志情(しなさき)の海へ

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サンデルの政治哲学と玉野井芳郎の理論ですか?沖縄自治憲章第17条と先住民族権の違いは?

2012-07-07 11:44:38 | グローカルな文化現象

                                      (オオゴマダラは自分の生まれた場所に戻ってくる!捕食されない限り!)

1.共同体とは?、2.事態を捉える認識、3.沖縄向こう10年の展望の3点で「沖縄対外問題研究会」が7月8日、沖縄大で午後2時から5時ころまで鼎談を予定している。小説家の目取真俊、沖縄現代歴史家の新崎盛暉、国際政治学者我部政明さん、ご三名の登壇である。さてどんなビジョンが認識が論じられるのか、興味は湧く。

今朝の新聞に寄せられた宮里政玄氏の寄せ書きを読むと、基地問題の解決策の模索が焦点だが、宮里氏は沖縄の自発的努力を強調している。つまりコミュニティー論を論じようというのがメインだということにも感じられる。自らこの汚物のような基地をどう取り除くか?その沖縄コミュニティーの知恵・戦術が問われているのだということ、それをマクロの国際的位置づけとミクロの戦後政治や歴史の視点がある。そして辺野古で闘うオジーやオバーの目線を含んだ、目取真さんの現場感覚と作家の時代を捕獲する優れた感性・知性のことばを期待したい。

ただ玉野井さんの提唱を一部読んで思ったのは、すでにこのブログでも紹介した本である。

http://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/a02a0a15c336d2fbf62e778431b55a7a  精神の奴隷化脱却を!

http://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/72096f1830974579d5c56c948d5b16ad 市民社会の共生ー東アジアに生きる

を改めて紹介しておきます。渡名喜守太の「琉球先住民族論」を真剣に取り返すところに可能性があるかもしれませんね。土地を自らのものとして奪取していく法的、人権の論拠がそこにあるかもしれません。日本の中の沖縄であるかぎり、意思決定権は奪われていますから、基地撤去は世界の世論に訴えて、アメリカ軍事帝国とその追従半主権国家日本の改造、はやりの脱構築がない限り厳しいところがありますよね。原発で揺れる今の日本は明治以降から、近代から現代の歴史を再検証せざるをえないのでしょうし、戦後の敗戦国論などを含め、この67年間アメリカの手のひらで踊ってきた日本の民主主義の実態を厳しく捉え返す必要に迫られているのは確かで、さて沖縄は?基地閉鎖の4語が意味するところは大きいね。実際に閉鎖できたことがこの間あったのか?ゼネストの時は閉鎖に至ったのか?沖縄が基地と運命共同体のような戦後を生かされてきた歴史を振り返ってみる必要があるね。

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「琉球先住民族論」(渡名喜守太)


1879年の琉球処分を琉球併合だとみる渡名喜さんの論の斬新さは戦前66年、戦後67年の根っこの構造を読み解き、「軍事、安全保障問題以外の重要な問題、文化、言語、自衛隊配備、土地、居住者による人口動態の変化、外部資金による富の収奪、開発による自然や民族的聖地の破壊、土地の収奪、各種の格差など経済・社会などの分野の沖縄の意識の低さ」を指摘し、日本への同化の推進母体の教職員組合の日本への適合を主なターゲットにしてきたこの間の歴史の歪みを突く。近代化、富、外形的豊かさにめくらましされ日本人になろうと突っ走ってきた歴史の背景は、巧妙な日本による外交(清など)を断ち、内部に取り組む仕掛けにのっていたこと、いざとなったら植民地として切り離してきた日本の歴史‥政治的意思‥からくりが切開されていると同時にその日本の枠組みに積極的に加担していった沖縄の指導者たちの欺瞞‥隠蔽・思慮の弱さも見えてくる。スパイ扱いされ殺され、盾にされた沖縄人は日本人ではなかった。

琉球併合、沖縄戦、戦後の琉球『処理』、琉球人の意識の問題など、「琉球・沖縄人が独自の言語、文化‥歴史・精神世界を持っていることが強調される。

「今までの琉球‥沖縄の指導者たちは強者に同化しようとしてきたため反戦平和を唱えてきた革新勢力さえ他の弱者への共感は弱かった。グアムへの海兵隊の移転の支持はその表れである。」との視線がある。

今後の展望では松島さんや王暉さんの論が紹介される。與那覇潤の「中国化する日本」も面白かったが、ポップ調で若者に受け取りやすい構成で、やんわり現況の日本を歴史の推移で切るという批評である。日中の関係の書物なら売れるようになっている潮流なのだろうが、なんとなく王さんの『世界史のなかの中国、文革、琉球、チベット』の本がベストセラーになったらいいなーと思ったりする。今年1月に台北で会った北京の研究者も言及していて、世界が狭くなったと感じた。東アジア共同体なり共栄圏なりをもっと大胆に思考してもいいのではないかと思った次第だが、渡名喜さんの論からすると、琉球‥沖縄の民族主義は大国のナショナリズムと異なる、大国に支配された者の解放のための思想、運動ということになる。

被支配者、被抑圧者の解放のための思想であり、弱者の思想である、と論じる。そのへんは以前戦略的本質論のところで紹介して、現在UPしていない論をまたUPしたくなった。その辺の弱者の論をまた切り刻もうとする支配者の論があったりする。

今後の展望として琉球‥沖縄人の独自のアイデンティティーが問われると結論づける。

ところで2010年3月国連人権差別撤廃条約審査委員会は日本政府に対し「ーーー沖縄の住民は特定の民族的集団として認識されることを求めており、また、現在の島の状況が沖縄の住民に対する差別的行為につながっていると主張している」という勧告を出した。

戦時中沖縄人をスパイとして殺した加害者(日本兵)の人権侵害については処罰していないのではないか、の指摘もなるほどに思えた。「沖縄戦における住民の死はまさに個人の被害であると同時に琉球・沖縄人という民族集団の被害であり、琉球・沖縄に対するジェノサイドである。日本軍がアジア太平洋地域で行った住民に対する加害と同質のものであり、治安活動の結果であると同時に、日本という他者による戦争に巻き込まれた非業死である」は現在新聞紙面でよく見られるようになった構造差別の根っこを示していると言えよう。

「琉球・沖縄人が日本人になるということは琉球・沖縄人に対する決定権、すなわち『生、殺、与、奪」の権利を日本が握るということである。琉球・沖縄人は日本と同じ同一制度、同権獲得を地位向上と誤解してきた。従来の主張の「同じ日本人として差別するな」「本土並み」である。自ら生得の権利を日本に渡し、日本人化するため、琉球・沖縄人独自のものを否定し、必死に日本人になろうとして自ら日本ナショナリズムに統合されていった。」

なるほど!
一方で東アジアなりアジア共同体構想は国を超えた市民社会なりコミュニティーがつながり得るゆるやかな地域共同体がありえるのではないかと希望を持ちたい。

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