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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

倉敷 川西町(2)

2012年05月04日 15時00分00秒 | ◆中国
ひきつづき倉敷界隈を探索。


スナック風の店舗が連なる長屋建築。現役の店はないようだ。
目を引くのは「バー女王蜂」。欠落した文字看板が、閉店からの歳月を物語っている。

 
現役と思われる旅館。複数の入口や出格子など、定番ともいえる造作が揃う。
奥行きはかなりのもの。裏手には客が出入りしていたかもしれない立派な門があった。

 
平屋建てのスナック。路傍には意図のわからない豆タイルが残っている。

 
四つの棟割りに和風の屋根がかかった造り。相当思い切った改築をおこなった模様。
すぐ右の路地へ入ると、反対側に粋な和風の意匠が現れた。


遊里につきものの銭湯。看板建築の見本のようなファサードが美しい。
この銭湯は旅館業も兼ねており、左脇には、奥の旅館への通路が設けられている。


気になる外観。左側の入口の鮮やかな山吹色が目を引く。
撮影時は引き戸にばかり注目していたが、後日写真を見て、開き戸の存在に気づいた。

 
一見なんの変哲もない古い住宅。入口をよく見ると、十八歳未満お断りのプレートが。
娼家や飲み屋には見えない。ほかに年齢制限を要する場所というと、何があるだろうか。

倉敷 川西町(1)

2012年05月04日 14時00分00秒 | ◆中国
遊廓→赤線
明治4年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数17、娼妓数113
昭和11年、業者数18、娼妓数120

 
幅が左右に広く、入口も多い物件。内部がどのような構造になっているのか興味深い。

 
ファサードはスナックの集合店舗といった雰囲気。妻側へ回ると純和風の装いが現れる。
正面と側面に違いがあるのはめずらしいことではないが、このギャップには驚かされた。


カフェー風の物件。十字路の角に入口を置くことで、道行く人を見渡しやすくなっている。

 
[左]転業旅館だろうか。看板こそ残っているものの、旅館業は退役済みと思われる。
[右]遊興飲食税は、客の税金を店が徴収して納める方式。いまの消費税に似ている。


一部だけ洋風の建物。和風建築に増築するかたちで、洋風の意匠を取り入れたらしい。
袖看板のカバーが外れ、中の電灯がむき出しになっている。電灯のみよく残ったものだ。


ほぼ左右対称の物件。一階のレンガ型のタイルと、床の黒石風のタイルが特色。
銭湯のような印象を受ける見た目だが、銭湯にしては規模が小さすぎるだろうか。

 
大胆に貼り付けられた石材が印象的。左側の入口にはレトロな照明が残っている。
二つのドアの配置から推して、窮屈な間取りが想像できるが、実際はどうだろうか。

岡山 西中島(2)

2012年05月04日 11時30分00秒 | ◆中国
さらに西中島を歩く。


左右の端に入口を配した建物。
腰の装飾が左と右で微妙に異なっているのがおもしろい。

 
店舗兼住宅風の建物。外壁の装飾や窓の造りなど、気になる趣向がいくつか。
奥行きはさほどではないとはいえ、横幅がこれだけ広いと圧倒される。


西側の川岸に下りてみた。背後が旭川。左上に写り込んでいるのは新京橋。
川側から見ると三階建て、道路側から見ると二階建て。斜面をうまく利用している。

 
連続する出格子が美しい。二階の欄干や欄間など、木材を用いた細やかさが際立つ。
軒下には行灯風の小さな照明がぶら下がっている。当時からのものかは不明。

 
引き戸や飾り窓が凝っている和風建築。ほんの一部だけ洋風に作り変えられている。
興味深かったのは雨戸。収納されていない二枚の雨戸が新たな着眼点を与えてくれた。


中島めぐりもそろそろおわり、というところで現れた和風建築。現役の店だろうか。
大きな電球は遊里でおなじみのものだが、小庇の下にあるのはめずらしいかもしれない。

 
最後に東中島へ戻り、先ほどアングルに苦心した建物群を、ズームを上げて撮影。
こうして見ると、和風洋風を問わず、建物の基本構成が四角、直線であることに気づく。
この特徴は西中島全域に共通していた。丸窓やアールの意匠はなかったのだろうか。

岡山 西中島(1)

2012年05月04日 11時00分00秒 | ◆中国
遊廓→RAA施設→赤線
明治10年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数59、娼妓数350


洋瓦のついた小庇が特徴の洋風建築。側面の小窓の上にも洋瓦があしらわれている。
東中島と向かい合うこの通りは、道幅が非常に狭く、撮影に苦労した。

 
入口は全部で三つだろうか。二階には袖看板の跡とおぼしい金具が二か所に見られる。
壁の白色は後から塗ったものと当て推量。本来の色は、左上のくすんだ山吹色か。

 
年季の入った和風建築。漆喰と木材が互いを引き立てている。角のベルはなんだろうか。
二階に戸のような窓。渡り廊下のなごりかと思ったが、向かいの物件にはその痕跡がない。


大店だったであろう和風建築が向き合う空間。いつまでもこの景色を保っていてほしい。
ここ中島町は「風致地区」に指定されているが、その法的効力は不勉強でわからない。
【2012.10.17追記】中島町の風致地区は北側のごく一部で、このあたりは含まれなかった。

 
[左]上記の左側の建物。軒下には照明が並んでいる。全体を撮れないのがうらめしい。
[右]すりガラスに透明抜きがなされ、屋号らしき文字が浮かぶ。読みは「ふくどめ」だろうか。

 
[左]ファサードのみを洋風に直した建物。腰には大小二種類のレンガが積まれている。
[右]木材を直線に見立てることで、直角三角形、二等辺三角形、正三角形を作っている。

 
羽目板の朽ち具合が経てきた年月の長さを物語っている。
遺構かどうかは微妙だが、山形紋を彷彿させる明かり取りに惹かれてカメラを向けた。

岡山 東中島(2)

2012年05月04日 10時30分00秒 | ◆中国
東中島探索のつづき。

 
落ち着いた旅館といった雰囲気のただよう物件。二つの入口がありし日の役割を偲ばせる。
玄関の照明に消滅寸前の文字を確認。かろうじて「旅館」「福久屋」と読み取れた。


一階の商店部分はかなり直されているものの、二階の造りは往年の姿をとどめている。

 
妙なところから飛び出ている雨どい。脇の路地へ入ると、和風の引き戸が現れた。
おそらくは切妻式の建築に箱をかぶせるような強引なリフォームをおこなったのだろう。

 
[左]洋風の左側、和風の右側で一棟の建物。上から見ればL字型になっているだろう。
[右]右へ回ると、年季の入った木造の妻壁が姿を現す。平側の赤い壁も見のがせない。


真っ黒な焼板。こういった建物は日中こそ目を引くものの、肝心の夜はどうだったのだろう。


入母屋造の物件。左隣の屋敷から連続しているが、不思議と違和感はない。
何かの店だったのだろうと推測できても、どんな店だったのかは見当がつかない。

 
趣向の異なる三棟。中央と左の建物は遺構に見えるが、右のアパート風の物件が謎。
案外見た目どおりに、当初からアパートとして出発して現在に至るのかもしれない。

岡山 東中島(1)

2012年05月04日 10時00分00秒 | ◆中国
遊廓→RAA施設→赤線
明治10年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数70、娼妓数400


東中島の川上にかけられた橋から撮影。左が東中島、右が西中島。
遊里は風紀上、周囲から隔離されるケースが多いが、これほど格好の場所はそうあるまい。

 
こぢんまりとした外観ながら、奥深い玄関に入口が二つ。普通の住宅ではない風情だ。
玄関をのぞき込むと、料理店の鑑札と年齢制限のプレートが引き戸の上に並んでいた。


壁の色が左右で塗り分けられ、二軒の建物が連なっているかのように見える。
左半分がきれいに直されており、オリジナルの色分けなのか定かではない。

 
トタンなどでかなり改修されているものの、和風の意匠がしっかり残っている。
平側をのぞくと、狭い間口からは想像できないほどの奥行きに驚く。


シンプルながら重量感のあるバルコニーが特色。腰には長方形のタイルが貼られている。
右奥の平屋部分も建物の一部。そちらは酒を飲ませる場所だったのかもしれない。

 
奥に引っ込んだ入口と、若干ななめに振られた扉が想像をかき立てる。
やや単調なきらいのある外壁に、腰の鉄平石が効果的なアクセントになっている。


窓枠と出格子が過去の面影をわずかにとどめている。玄関には見慣れない文様が。
わからないのは石鉢。先人から受け継がれてきた遺産なのか、住人の方の趣味なのか。