遊廓→赤線
明治10年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数16、娼妓数63
昭和11年、業者数12、娼妓数60
地福寺の入口のあたりから山陽本線を渡ると、町家風の建物が連なる通りへ出る。
遊里はこの先に広がっていたようだ。
二階の窓を広く取った洋風建築。カフェーのようにも見えるし、理容店のようにも見える。
心情的にはカフェーと考えたいところだが、あまりそういう建物には見えない。
妻入りと平入りが複合したタイプの木造建築。老朽化が進んでいる。
妓楼という感じの外観ではないものの、平入り側の奥深い入口は気になった。
正面の空き地には近年まで三階建てのカフェー建築があったが、火災に遭って消失。
書籍の表紙を飾るなど、非常に見映えのする建物だっただけに、残念でならない。
横に長い和風建築。かつては車庫の部分にも入口があったと思われる。
腰のタイルがうねっているように見えるが、タイルの模様が引き起こす目の錯覚らしい。
格子窓や欄干といった往年の趣向が残る中で、もっとも気に入ったのは袖壁の先。
当時のままと思われる盗賊返しがいまなおしっかり残っている。
相当手直しされている一階、それに対して昔の造作そのままの二階。対照的な眺めだ。
採光用らしい小窓にまで親子格子がしつらえられており、細部へのこだわりが光る。
明治10年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数16、娼妓数63
昭和11年、業者数12、娼妓数60
地福寺の入口のあたりから山陽本線を渡ると、町家風の建物が連なる通りへ出る。
遊里はこの先に広がっていたようだ。
二階の窓を広く取った洋風建築。カフェーのようにも見えるし、理容店のようにも見える。
心情的にはカフェーと考えたいところだが、あまりそういう建物には見えない。
妻入りと平入りが複合したタイプの木造建築。老朽化が進んでいる。
妓楼という感じの外観ではないものの、平入り側の奥深い入口は気になった。
正面の空き地には近年まで三階建てのカフェー建築があったが、火災に遭って消失。
書籍の表紙を飾るなど、非常に見映えのする建物だっただけに、残念でならない。
横に長い和風建築。かつては車庫の部分にも入口があったと思われる。
腰のタイルがうねっているように見えるが、タイルの模様が引き起こす目の錯覚らしい。
格子窓や欄干といった往年の趣向が残る中で、もっとも気に入ったのは袖壁の先。
当時のままと思われる盗賊返しがいまなおしっかり残っている。
相当手直しされている一階、それに対して昔の造作そのままの二階。対照的な眺めだ。
採光用らしい小窓にまで親子格子がしつらえられており、細部へのこだわりが光る。
ひきつづき倉敷界隈を探索。
スナック風の店舗が連なる長屋建築。現役の店はないようだ。
目を引くのは「バー女王蜂」。欠落した文字看板が、閉店からの歳月を物語っている。
現役と思われる旅館。複数の入口や出格子など、定番ともいえる造作が揃う。
奥行きはかなりのもの。裏手には客が出入りしていたかもしれない立派な門があった。
平屋建てのスナック。路傍には意図のわからない豆タイルが残っている。
四つの棟割りに和風の屋根がかかった造り。相当思い切った改築をおこなった模様。
すぐ右の路地へ入ると、反対側に粋な和風の意匠が現れた。
遊里につきものの銭湯。看板建築の見本のようなファサードが美しい。
この銭湯は旅館業も兼ねており、左脇には、奥の旅館への通路が設けられている。
気になる外観。左側の入口の鮮やかな山吹色が目を引く。
撮影時は引き戸にばかり注目していたが、後日写真を見て、開き戸の存在に気づいた。
一見なんの変哲もない古い住宅。入口をよく見ると、十八歳未満お断りのプレートが。
娼家や飲み屋には見えない。ほかに年齢制限を要する場所というと、何があるだろうか。
スナック風の店舗が連なる長屋建築。現役の店はないようだ。
目を引くのは「バー女王蜂」。欠落した文字看板が、閉店からの歳月を物語っている。
現役と思われる旅館。複数の入口や出格子など、定番ともいえる造作が揃う。
奥行きはかなりのもの。裏手には客が出入りしていたかもしれない立派な門があった。
平屋建てのスナック。路傍には意図のわからない豆タイルが残っている。
四つの棟割りに和風の屋根がかかった造り。相当思い切った改築をおこなった模様。
すぐ右の路地へ入ると、反対側に粋な和風の意匠が現れた。
遊里につきものの銭湯。看板建築の見本のようなファサードが美しい。
この銭湯は旅館業も兼ねており、左脇には、奥の旅館への通路が設けられている。
気になる外観。左側の入口の鮮やかな山吹色が目を引く。
撮影時は引き戸にばかり注目していたが、後日写真を見て、開き戸の存在に気づいた。
一見なんの変哲もない古い住宅。入口をよく見ると、十八歳未満お断りのプレートが。
娼家や飲み屋には見えない。ほかに年齢制限を要する場所というと、何があるだろうか。
遊廓→赤線
明治4年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数17、娼妓数113
昭和11年、業者数18、娼妓数120
幅が左右に広く、入口も多い物件。内部がどのような構造になっているのか興味深い。
ファサードはスナックの集合店舗といった雰囲気。妻側へ回ると純和風の装いが現れる。
正面と側面に違いがあるのはめずらしいことではないが、このギャップには驚かされた。
カフェー風の物件。十字路の角に入口を置くことで、道行く人を見渡しやすくなっている。
[左]転業旅館だろうか。看板こそ残っているものの、旅館業は退役済みと思われる。
[右]遊興飲食税は、客の税金を店が徴収して納める方式。いまの消費税に似ている。
一部だけ洋風の建物。和風建築に増築するかたちで、洋風の意匠を取り入れたらしい。
袖看板のカバーが外れ、中の電灯がむき出しになっている。電灯のみよく残ったものだ。
ほぼ左右対称の物件。一階のレンガ型のタイルと、床の黒石風のタイルが特色。
銭湯のような印象を受ける見た目だが、銭湯にしては規模が小さすぎるだろうか。
大胆に貼り付けられた石材が印象的。左側の入口にはレトロな照明が残っている。
二つのドアの配置から推して、窮屈な間取りが想像できるが、実際はどうだろうか。
明治4年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数17、娼妓数113
昭和11年、業者数18、娼妓数120
幅が左右に広く、入口も多い物件。内部がどのような構造になっているのか興味深い。
ファサードはスナックの集合店舗といった雰囲気。妻側へ回ると純和風の装いが現れる。
正面と側面に違いがあるのはめずらしいことではないが、このギャップには驚かされた。
カフェー風の物件。十字路の角に入口を置くことで、道行く人を見渡しやすくなっている。
[左]転業旅館だろうか。看板こそ残っているものの、旅館業は退役済みと思われる。
[右]遊興飲食税は、客の税金を店が徴収して納める方式。いまの消費税に似ている。
一部だけ洋風の建物。和風建築に増築するかたちで、洋風の意匠を取り入れたらしい。
袖看板のカバーが外れ、中の電灯がむき出しになっている。電灯のみよく残ったものだ。
ほぼ左右対称の物件。一階のレンガ型のタイルと、床の黒石風のタイルが特色。
銭湯のような印象を受ける見た目だが、銭湯にしては規模が小さすぎるだろうか。
大胆に貼り付けられた石材が印象的。左側の入口にはレトロな照明が残っている。
二つのドアの配置から推して、窮屈な間取りが想像できるが、実際はどうだろうか。
さらに西中島を歩く。
左右の端に入口を配した建物。
腰の装飾が左と右で微妙に異なっているのがおもしろい。
店舗兼住宅風の建物。外壁の装飾や窓の造りなど、気になる趣向がいくつか。
奥行きはさほどではないとはいえ、横幅がこれだけ広いと圧倒される。
西側の川岸に下りてみた。背後が旭川。左上に写り込んでいるのは新京橋。
川側から見ると三階建て、道路側から見ると二階建て。斜面をうまく利用している。
連続する出格子が美しい。二階の欄干や欄間など、木材を用いた細やかさが際立つ。
軒下には行灯風の小さな照明がぶら下がっている。当時からのものかは不明。
引き戸や飾り窓が凝っている和風建築。ほんの一部だけ洋風に作り変えられている。
興味深かったのは雨戸。収納されていない二枚の雨戸が新たな着眼点を与えてくれた。
中島めぐりもそろそろおわり、というところで現れた和風建築。現役の店だろうか。
大きな電球は遊里でおなじみのものだが、小庇の下にあるのはめずらしいかもしれない。
最後に東中島へ戻り、先ほどアングルに苦心した建物群を、ズームを上げて撮影。
こうして見ると、和風洋風を問わず、建物の基本構成が四角、直線であることに気づく。
この特徴は西中島全域に共通していた。丸窓やアールの意匠はなかったのだろうか。
左右の端に入口を配した建物。
腰の装飾が左と右で微妙に異なっているのがおもしろい。
店舗兼住宅風の建物。外壁の装飾や窓の造りなど、気になる趣向がいくつか。
奥行きはさほどではないとはいえ、横幅がこれだけ広いと圧倒される。
西側の川岸に下りてみた。背後が旭川。左上に写り込んでいるのは新京橋。
川側から見ると三階建て、道路側から見ると二階建て。斜面をうまく利用している。
連続する出格子が美しい。二階の欄干や欄間など、木材を用いた細やかさが際立つ。
軒下には行灯風の小さな照明がぶら下がっている。当時からのものかは不明。
引き戸や飾り窓が凝っている和風建築。ほんの一部だけ洋風に作り変えられている。
興味深かったのは雨戸。収納されていない二枚の雨戸が新たな着眼点を与えてくれた。
中島めぐりもそろそろおわり、というところで現れた和風建築。現役の店だろうか。
大きな電球は遊里でおなじみのものだが、小庇の下にあるのはめずらしいかもしれない。
最後に東中島へ戻り、先ほどアングルに苦心した建物群を、ズームを上げて撮影。
こうして見ると、和風洋風を問わず、建物の基本構成が四角、直線であることに気づく。
この特徴は西中島全域に共通していた。丸窓やアールの意匠はなかったのだろうか。
遊廓→RAA施設→赤線
明治10年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数59、娼妓数350
洋瓦のついた小庇が特徴の洋風建築。側面の小窓の上にも洋瓦があしらわれている。
東中島と向かい合うこの通りは、道幅が非常に狭く、撮影に苦労した。
入口は全部で三つだろうか。二階には袖看板の跡とおぼしい金具が二か所に見られる。
壁の白色は後から塗ったものと当て推量。本来の色は、左上のくすんだ山吹色か。
年季の入った和風建築。漆喰と木材が互いを引き立てている。角のベルはなんだろうか。
二階に戸のような窓。渡り廊下のなごりかと思ったが、向かいの物件にはその痕跡がない。
大店だったであろう和風建築が向き合う空間。いつまでもこの景色を保っていてほしい。
ここ中島町は「風致地区」に指定されているが、その法的効力は不勉強でわからない。
【2012.10.17追記】中島町の風致地区は北側のごく一部で、このあたりは含まれなかった。
[左]上記の左側の建物。軒下には照明が並んでいる。全体を撮れないのがうらめしい。
[右]すりガラスに透明抜きがなされ、屋号らしき文字が浮かぶ。読みは「ふくどめ」だろうか。
[左]ファサードのみを洋風に直した建物。腰には大小二種類のレンガが積まれている。
[右]木材を直線に見立てることで、直角三角形、二等辺三角形、正三角形を作っている。
羽目板の朽ち具合が経てきた年月の長さを物語っている。
遺構かどうかは微妙だが、山形紋を彷彿させる明かり取りに惹かれてカメラを向けた。
明治10年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数59、娼妓数350
洋瓦のついた小庇が特徴の洋風建築。側面の小窓の上にも洋瓦があしらわれている。
東中島と向かい合うこの通りは、道幅が非常に狭く、撮影に苦労した。
入口は全部で三つだろうか。二階には袖看板の跡とおぼしい金具が二か所に見られる。
壁の白色は後から塗ったものと当て推量。本来の色は、左上のくすんだ山吹色か。
年季の入った和風建築。漆喰と木材が互いを引き立てている。角のベルはなんだろうか。
二階に戸のような窓。渡り廊下のなごりかと思ったが、向かいの物件にはその痕跡がない。
大店だったであろう和風建築が向き合う空間。いつまでもこの景色を保っていてほしい。
ここ中島町は「風致地区」に指定されているが、その法的効力は不勉強でわからない。
【2012.10.17追記】中島町の風致地区は北側のごく一部で、このあたりは含まれなかった。
[左]上記の左側の建物。軒下には照明が並んでいる。全体を撮れないのがうらめしい。
[右]すりガラスに透明抜きがなされ、屋号らしき文字が浮かぶ。読みは「ふくどめ」だろうか。
[左]ファサードのみを洋風に直した建物。腰には大小二種類のレンガが積まれている。
[右]木材を直線に見立てることで、直角三角形、二等辺三角形、正三角形を作っている。
羽目板の朽ち具合が経てきた年月の長さを物語っている。
遺構かどうかは微妙だが、山形紋を彷彿させる明かり取りに惹かれてカメラを向けた。
東中島探索のつづき。
落ち着いた旅館といった雰囲気のただよう物件。二つの入口がありし日の役割を偲ばせる。
玄関の照明に消滅寸前の文字を確認。かろうじて「旅館」「福久屋」と読み取れた。
一階の商店部分はかなり直されているものの、二階の造りは往年の姿をとどめている。
妙なところから飛び出ている雨どい。脇の路地へ入ると、和風の引き戸が現れた。
おそらくは切妻式の建築に箱をかぶせるような強引なリフォームをおこなったのだろう。
[左]洋風の左側、和風の右側で一棟の建物。上から見ればL字型になっているだろう。
[右]右へ回ると、年季の入った木造の妻壁が姿を現す。平側の赤い壁も見のがせない。
真っ黒な焼板。こういった建物は日中こそ目を引くものの、肝心の夜はどうだったのだろう。
入母屋造の物件。左隣の屋敷から連続しているが、不思議と違和感はない。
何かの店だったのだろうと推測できても、どんな店だったのかは見当がつかない。
趣向の異なる三棟。中央と左の建物は遺構に見えるが、右のアパート風の物件が謎。
案外見た目どおりに、当初からアパートとして出発して現在に至るのかもしれない。
落ち着いた旅館といった雰囲気のただよう物件。二つの入口がありし日の役割を偲ばせる。
玄関の照明に消滅寸前の文字を確認。かろうじて「旅館」「福久屋」と読み取れた。
一階の商店部分はかなり直されているものの、二階の造りは往年の姿をとどめている。
妙なところから飛び出ている雨どい。脇の路地へ入ると、和風の引き戸が現れた。
おそらくは切妻式の建築に箱をかぶせるような強引なリフォームをおこなったのだろう。
[左]洋風の左側、和風の右側で一棟の建物。上から見ればL字型になっているだろう。
[右]右へ回ると、年季の入った木造の妻壁が姿を現す。平側の赤い壁も見のがせない。
真っ黒な焼板。こういった建物は日中こそ目を引くものの、肝心の夜はどうだったのだろう。
入母屋造の物件。左隣の屋敷から連続しているが、不思議と違和感はない。
何かの店だったのだろうと推測できても、どんな店だったのかは見当がつかない。
趣向の異なる三棟。中央と左の建物は遺構に見えるが、右のアパート風の物件が謎。
案外見た目どおりに、当初からアパートとして出発して現在に至るのかもしれない。
遊廓→RAA施設→赤線
明治10年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数70、娼妓数400
東中島の川上にかけられた橋から撮影。左が東中島、右が西中島。
遊里は風紀上、周囲から隔離されるケースが多いが、これほど格好の場所はそうあるまい。
こぢんまりとした外観ながら、奥深い玄関に入口が二つ。普通の住宅ではない風情だ。
玄関をのぞき込むと、料理店の鑑札と年齢制限のプレートが引き戸の上に並んでいた。
壁の色が左右で塗り分けられ、二軒の建物が連なっているかのように見える。
左半分がきれいに直されており、オリジナルの色分けなのか定かではない。
トタンなどでかなり改修されているものの、和風の意匠がしっかり残っている。
平側をのぞくと、狭い間口からは想像できないほどの奥行きに驚く。
シンプルながら重量感のあるバルコニーが特色。腰には長方形のタイルが貼られている。
右奥の平屋部分も建物の一部。そちらは酒を飲ませる場所だったのかもしれない。
奥に引っ込んだ入口と、若干ななめに振られた扉が想像をかき立てる。
やや単調なきらいのある外壁に、腰の鉄平石が効果的なアクセントになっている。
窓枠と出格子が過去の面影をわずかにとどめている。玄関には見慣れない文様が。
わからないのは石鉢。先人から受け継がれてきた遺産なのか、住人の方の趣味なのか。
明治10年、遊廓指定
昭和5年ごろ、業者数70、娼妓数400
東中島の川上にかけられた橋から撮影。左が東中島、右が西中島。
遊里は風紀上、周囲から隔離されるケースが多いが、これほど格好の場所はそうあるまい。
こぢんまりとした外観ながら、奥深い玄関に入口が二つ。普通の住宅ではない風情だ。
玄関をのぞき込むと、料理店の鑑札と年齢制限のプレートが引き戸の上に並んでいた。
壁の色が左右で塗り分けられ、二軒の建物が連なっているかのように見える。
左半分がきれいに直されており、オリジナルの色分けなのか定かではない。
トタンなどでかなり改修されているものの、和風の意匠がしっかり残っている。
平側をのぞくと、狭い間口からは想像できないほどの奥行きに驚く。
シンプルながら重量感のあるバルコニーが特色。腰には長方形のタイルが貼られている。
右奥の平屋部分も建物の一部。そちらは酒を飲ませる場所だったのかもしれない。
奥に引っ込んだ入口と、若干ななめに振られた扉が想像をかき立てる。
やや単調なきらいのある外壁に、腰の鉄平石が効果的なアクセントになっている。
窓枠と出格子が過去の面影をわずかにとどめている。玄関には見慣れない文様が。
わからないのは石鉢。先人から受け継がれてきた遺産なのか、住人の方の趣味なのか。