遊廓→赤線
明治27年開設
昭和5年ごろ、業者数15、娼妓数150
昭和30年、業者数18、娼妓数67
電柱を見上げると、プレートに馬場の名前が残っていた。
「馬場」の由来は不明。ありし日の地名なのか、はたまた遊廓固有の名前なのか。
複雑な構造をした建物。相当改築されているようで、当初の姿を想像するのは難しい。
玄関まわりは小料理屋風の装い。巴瓦を見ると、鷹と松のレリーフが施されている。
年代ものの木造建築が建ち並ぶ。かなり直されているが、当時から建物と思われる。
右奥にはラブホテルが見える。このホテルもまた、遊里の残照のひとすじだろうか。
解体中の物件。遺構かどうかは、さらっと見た感じでは微妙なところか。
もう少し時間をかけて観察したかったが、作業の邪魔になるので、早々に切り上げる。
フォルムが気になりカメラを向けたが、あらためて見ると、見当違いだった気もする。
どれもこれもが遺構のように思えてしまうのは、遊里探訪者におなじみの症状だ。
角地に残るカフェー建築。凹凸のついた正面と、教会アーチ風のくぼみが印象的。
赤レンガは近年付け足されたものらしい。かつては白一色のデザインだったのだろうか。
旅館風の木造建築。重厚感をただよわせながらも、気軽に立ち寄れそうな雰囲気。
注目は、正方形とひし形を組み合わせたユニークな丸窓。内側からの様子も見てみたい。
明治27年開設
昭和5年ごろ、業者数15、娼妓数150
昭和30年、業者数18、娼妓数67
電柱を見上げると、プレートに馬場の名前が残っていた。
「馬場」の由来は不明。ありし日の地名なのか、はたまた遊廓固有の名前なのか。
複雑な構造をした建物。相当改築されているようで、当初の姿を想像するのは難しい。
玄関まわりは小料理屋風の装い。巴瓦を見ると、鷹と松のレリーフが施されている。
年代ものの木造建築が建ち並ぶ。かなり直されているが、当時から建物と思われる。
右奥にはラブホテルが見える。このホテルもまた、遊里の残照のひとすじだろうか。
解体中の物件。遺構かどうかは、さらっと見た感じでは微妙なところか。
もう少し時間をかけて観察したかったが、作業の邪魔になるので、早々に切り上げる。
フォルムが気になりカメラを向けたが、あらためて見ると、見当違いだった気もする。
どれもこれもが遺構のように思えてしまうのは、遊里探訪者におなじみの症状だ。
角地に残るカフェー建築。凹凸のついた正面と、教会アーチ風のくぼみが印象的。
赤レンガは近年付け足されたものらしい。かつては白一色のデザインだったのだろうか。
旅館風の木造建築。重厚感をただよわせながらも、気軽に立ち寄れそうな雰囲気。
注目は、正方形とひし形を組み合わせたユニークな丸窓。内側からの様子も見てみたい。
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