先週、足柄サービスエリアから撮影した富士山です。静岡=富士山のような構図が作られていますが、浜松にいるとほとんど富士山は見えません。国分寺の方がずっと大きく見えるものです。だから富士山に愛情はないのか、といえばやっぱり日本人なわけで、美しい富士山を目の前にするとこうしてシャッターを切ってしまうものです。
新幹線に乗っていても山側の窓からはしっかり富士山が見えますが、なかなか写真がとれるポイントというのはありません。塀もあるし、だいたい速度が速すぎて携帯を使っても、私の撮影テクニックレベルではきれいな写真なんてとれません。しかも新幹線のお客様はビジネスマンが多いので、富士山がみえても「ふん!」って感じで撮影している人なんていないわけです。
その点、バスはいいですね。時速100キロ程度なら写真もとれるし、しかもサービスエリアでの休憩もあります。特に天気の良い日の足柄サービスエリアは撮影休憩みたいなものですかね。ちなみに写真をとっていたのは私だけではありませんでした。今週はもっと白く雪を被っているのかな。残念ながら明日は新幹線で東京です。富士山が見えるあたりで起きているかしら?朝8時前の新幹線に乗る予定なので。
11月24日のブログに掲載したアクト・シティを背にした風景から約2週間が経過。アクト通りの木々はすっかり色づいて晩秋(初冬)の光景である。ちなみに私の勤める大学まで続くこの街路樹は2000年に大学が開校したことで整備されたという。ということは今年で16年ということか。一見すればオシャレに見えるが、言い換えればさびしくてまわりには真新しいビルとりっぱな住宅だけが立ち並ぶ街の中に取り残されたような街路樹である。
この周辺は再開発地域だという。戦前から戦後にかけてはたくさんの織物工場がたくさんあり、織機の音が響いていたらしい。浜松は工業で発展してきた街だから当然といえば当然である。それが駅の周辺だけはそんな雰囲気がなくなり、妙にスタイリッシュに生まれ変わったのだが、私が思うに中身はまだまだ変わっていないかもしれない。要するに表面上の激しい変化に中の部分がすべて追いつかないというわけだ。
しかしそのアンバランスを私は否定的にとらえていない。それが浜松なのである。そしてそれが浜松の「売り」なのだ。どうしたらそんな街を生かしつつ多様な音楽文化を発信できる街になるだろう?そんなことを考えながら、ぼくはこの美しく整備された街路樹を歩いている。
先週の金曜日に撮影した玉川上水の紅葉。一週間前にもだいたい同じ場所で撮影した写真にくらべると1週間であっという間に紅葉が進み、もうその時期も終わりろうとしています。光塾のワヤンの季節はちょうど紅葉の終盤なのです。
私はこの道は「きれいだな」なんて思いながら歩くだけですが。実は、玉川上水沿いに住む方々はこの時期たいへんです。というのも大量の落ち葉が、公道だけでなく自分の家の中にも大量に降ってくるからです。この時期、道を歩くとあちらこちらで落ち葉をはく人たちの姿を見かけます。「ありがとうございます」の一言です。紅葉は自然現象なのですが、それを美しく見せるのためには、人の力も必要です。掃除や管理をしてくれる人々がいて美しい紅葉が成立するんです。
時々そんなことを忘れて身勝手なことを言う人たちを見かけます。しかし今一度、それを支えている人々のことを考えなくてはなりません。今や自然は誰のものでもない、なんて絵空事なんです。
光塾は渋谷の新南口から歩いて1分という、とにかく駅から近いレンタルスペースである。はじめて名前を聞くと、学習塾のようなイメージがあるが、そういう塾とは全く関係はない。ちなみに隣のビルの2階には「早稲田……」という有名な進学塾があって夕方になると子どものお出迎えでビルの前が大賑わいである。ちなみに今回、午前中にそのビル1階のテナントであるドトールコーヒーに入ったら、アイスコーヒーを注文した小学生が必死にドリルをやっている姿を見かけた。高校生や浪人生ではなく、もう小学生がドトールにこもる時代である。
さて光塾だが、今回でお世話になるのは6回目である。友人のライブなどでも訪れるから10回以上は通っている。便利だしこじんまりしているから、ちょっとしたアコースティックなライブにはぴったりである。ちなみにこのスペースの設計者はわが一座のK氏であり、たぶんワヤン上演を前提に設計してくれたんだろうと、今なお勝手に信じている。
今回のイベントの定員は一回40人。この人数だと会場の中を自由に移動できる。観客はワヤンの影側と上演側の両方を移動して鑑賞することができるわけだ。その方が飽きなくていいし、お尻も痛くならない。しかし今回の公演、なんと初日には、さまざまな事情が重なり51人に入っていただくことになってしまった。その人数でもお客様に入っていただけるのだが、移動ができないのである。今回の反省点の一つ。たくさんの方には見ていただきたいのだが、見るのがつらいということになるとまた勝手が違ってくるのだ。来年は40人にしよう!と固く誓ったのだったが、いやはや、この誓いを守りとおすことができるだろうか?
12月恒例の光塾でのワヤン、二日間の公演が無事終わりました。いらしてくださって方々、またFBなどを通してシェアしてくださったり、友人にお話し下さったりした方々、本当にありがとうございました。おかげで大勢のお客様にウィラタ・パルワを楽しんでいただけました。
短く上演するのも技のうち、と師匠に言われたことがあります。長い物語でもきちんと構成を考えれば短くなるものだと言うのです。もちろん幹だけにして肉の部分(かなり贅肉があると思いますが)を切り取っていけばできないことはないのですが、それだけで楽しんでいただける自信もなく、結局、解説部分を除いても2時間強の舞台になってしまいました。集中力が切れちゃった人もいたと思います。そういう点では、まだまだ勉強が足りませんね。もっともっと話芸も人形の動かし方も鍛錬して、皆様に満足していただけるワヤンを次の機会にはお見せできればと思います。
私としては、ウィラタ・パルワを上演した、というよりもむしろ、上演を始めた、という気持ちです。ここからバラタ・ユダという大戦争に突入していくわけですから、この演目を完全に「自分のモノ」にしてから、次のステップである「クリシュナ使者に立つ」の演目へ挑戦していきたいと思っています。もうかなり先まで台本ができているのですが、さて、いつになったら上演できるのか。まずは練習あるのみ。それにしても、練習時間が欲しい…。
光塾の初日の公演が終了です。新しい演目の初日ですから、まずはしっかり終えることができたことに一安心です。もちろん何度同じ演目を上演したとしても反省点はありますが、今回のような場合はそれにもましていろいろ修正点が見えてきます。そういう意味で毎回、毎回、公演は変わっていくものです。
この公演、懐かしい友人たちにお会いできるのも楽しみの一つ。大学時代、会社員時代などなど。またそうした友人たちは、時にとても辛辣な意見を聞かせてくれます。それが次の公演に生きるものです。
本日は2日目。今年最後の公演で、次は来年1月28日の神戸公演です。後片付けも含め、今日の公演もすべてがうまくいきますように。
毎年12月第1週末に渋谷光塾で行われるバリ島ワヤン公演、とうとう明日が初日です。先週末、荷物をすべてまとめて明日の朝、出発を待つのみです。この公演は常にこれまで上演したことのない新しい演目に挑戦する場。何度も上演した演目と、初めての演目だとやはり緊張の度合いが違います。とはいえ、あまり不安なことは考えずに上演することが大事。練習してきたわけだし、その成果をお客様に楽しんでいただくだけですね。
今回の演目は長いこと温めてきたウィラタ・パルワです。1987年に今は亡き私の師匠であるラジェグさんから学びました。またその時代、毎日のようにワヤンの依頼上演がありましたから、師匠は繰り返しこの演目を私のために行く先々で上演してくれ、私はその場面構成や上演方法をグンデルの演奏をしながら頭に焼き付けました。ですから、このワヤンの練習をしていると節々で師匠の上演する光景が蘇ってきます。
ただ、全く同じというわけではありません(だいたい師匠と同じようにできるわけないし)。ここはバリではなく日本ですから、そういう意味で、マハバラタ物語を知らない日本の観客を意識してだいぶ台本を書き直しましたし、演出も変えました。それが日本で上演する意味なんだと思います。さて明日はどんな公演になるのでしょうか。緊張もしますが、ちょっぴり楽しみでもあります。
私の中で「串カツ」といえばコテコテの大阪の食べ物である。しかも通天閣周辺のお店で関西弁に囲まれながら食べると、「うん、これだ!」と納得する。味や食べ方も重要だが、その場所や音も食文化には重要だと思う。
国分寺に串カツ屋があることは知っていたが、他にいきつけの店があることや、「国分寺で関西」というなんとなく「場違い」を感じてなかなかこの店に足が向かなかった。一度行ったことのある仲間は「出てくるのが遅い」と愚痴っていたし。しかし、たまたま行こうとした店が開店前で、「じゃあ、行ってみようか」ということになった。
予想はしていたが、疑似大阪風の雰囲気。東京の沖縄料理屋に行ったときの気分である。しかし串カツは「郷土料理」のカテゴリーに分類していいかどうかも疑問である。味については、何ら問題なく楽しくお酒を飲んだのであった。しかし、やっぱり串カツには関西弁が似合うと思うのは私の勝手なイメージだろうか?ちなみに出てくるのは決して遅くなかったことを付け加えておこう。さらに、もう一つ。この店の隣は沖縄料理屋である。