このところ国分寺の実家に毎週戻っているのだが、1週間ごとに玉川上水の秋色が深まっている気がする。いや、正確に言えば、この時期は一日ごとに変化しているといっても過言ではなかろう。昨日にくらべれば、今日のモミジはより色づいているそんな季節である。落ちたばかりの乾いた落ち葉をカサッ、カサッと踏んで歩くと、そんな季節を強く実感するのである。
私が年を重ねてきたのと同様に、玉川上水の木々もだいぶ年をとった。幹の色つやが無くなり、乾燥肌のように幹の表面をさわるとその一部がポロポロとはがれるようになってしまっている。子どもの頃から見てきた木々が年を重ねていくのが少々寂しい。子どもの頃は、木々というのは屋久島の杉のようにどんどんと年輪を重ねて幹が太くなり、人間の平均寿命の10倍は生きるものと考えていたのだが、それは例外だと知った時はとても寂しかったことを記憶している。木々もまた私たちと同じように年を取り、枯れていく。
玉川上水の木々ももうそんな時代がやってきているのだろう。危険な状態となった木がいつの間には切り倒される。太いクヌギの木も少しずつ減ってきているのだ。晩秋の玉川上水でちょっと寂しいことを考えてしまう。しばらくはゆっくり冬眠して、またどの木も枯れることなく、春に芽吹いてもらいたいと思うのだ。
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