Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

2007年08月20日 | 家・わたくしごと
 「蝉は採っちゃいけない」と子どもの頃、父に言われた。蝉は7年も8年も土の中で暮らして、やっと明るい地上に出たと思ったとたん1週間もすると死んでしまうのだから、そんな蝉をとるのはかわいそうだ、と言うのがその理由だった。私は長いこと、その言葉をずっと信じ続けた。だからこれまでの人生で蝉を一匹も採ったことがない。
 自分の子どもが、沖縄でセミをとってムシかごに入れてきたことがある。その時に、私は以前、父が私に話してくれたことを同じように息子に伝えた。子どもは素直にその話を聞いて、セミを放した。セミがまっすぐ空に向かって飛んでいった。
 しかし、蝉はほんとうに約1週間を明るい大地のもとで太陽の光と外の空気を満喫しているのだろうか?やっと明るい場所に出てこられた、という表現は適当なのだろうか?蝉は真っ暗な地下の世界の中での長い年月こそが幸せな時間だったのであり、地上に出てきた7日間は、繁殖という大事業があるとはいえ、暑さの中、死を間近にひかえ、苦悶の叫び声をあげているだけではないだろうか?
 確かに人間の大部分は、何年間も地下に住み続けて太陽の光を浴びなければ、精神的にも肉体的にもすさんでくるかもしれない。少なくても私ならば苦痛である。しかし、それは人間の価値観であって、蝉に当てはめるのは間違っている。ある意味、人間的価値観の押し売りであり、絶対主義である。
 蝉の声が今日も朝から聞こえる。喜びの合唱なのか、苦悶の叫びなのか・・・私にはわからない。