Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

旅行と季節

2007年08月11日 | 
 奈良と京都はとてつもなく暑かった。天気予報の最高気温予想は34,35度だったし、たぶんコンクリートの照り返しも手伝って、街中では体感温度はもっと高かったのではないだろうか?両方とも盆地であり、沖縄のように海風が常に吹いているわけでもない。とにかく暑さの中に立つと、時間をねっとりと感じるのである。水面がとろりと感じるようなそんな時間の感覚である。法隆寺の回廊を歩きながら目を瞑ってみる。蝉の鳴き声が鼓膜を刺すように聞こえてくる。汗が額を流れるのを感じる。
 暑い奈良と京都・・・、夏に行けば暑いに決まっているわけで、文句を言うなら涼しい時期に行け、と言われそうである。しかし、私はこの時期の古都が好きだ。というよりはこの時期だからこそ、私にとっての古都なのである。
 私が最初に奈良と京都に行ったのは、小学校高学年の夏休みで、弟とともに母に連れられて古都をめぐった。私の記憶の中にはとてつもなく暑かった古都の記憶が残っている。今から35年近くも前の話である。当然のことながら、冷房施設はほとんどなかった。のどが渇けば、アルミ製の水筒に入った生ぬるい水を飲んだ。このときの旅はもう一つの大事件にみまわれた。奈良滞在中に祖母が危篤になって、朝早く奈良を発って、新幹線で座る椅子もなく、東京まで急ぎ戻った記憶がある。その祖母は危篤を乗り越え、今95歳である。
 最初に旅行にいったときの季節というのはとても重要だ。その季節がその土地のイメージを旅行者の中に作り出してしまう。6月に金沢に行ったときにそれを強く感じた。最初にいった金沢は寒い時期だったこともあって、梅雨の金沢に降り立ったとき、なんだか妙な違和感があった。今回の古都めぐりは、まさに自分の中でイメージができあがっている奈良、京都とまさにぴったりである。先日の祇園祭もそうだったが、今回の季節はさらに幼少時代の古都体験と重なるものがある。
 息子もまた私の幼少時代と同じように、真夏に古都を訪れた。二人で何度も寺院の参道で目を瞑った。彼の脳裏にも蝉の鳴き声が刻みついたはずだ。私と同様に、古都はきっと暑い夏と強く結びつくに違いない。