お盆にカミサンの母親の十三回忌でお墓参りにいった帰り、親族で会席料理を食べる。74歳の義理の父から、2歳の甥っ子までの総勢10人。とんでもなく賑やかである。特に2歳と5歳の甥が、おとなしく1時間も椅子に座っているわけはない。10歳になった息子がやっと席を立たたずにいられるようになったのだから、当たり前である。
さて5歳の甥が席をまわって集めはじめたのが、厚紙のコースターとカニの形をした陶器の箸置きである。全員のものを集めると、個室の床に座って、「カニ屋さんごっこ」をはじめた。コースターをカニの入った皿にみたて、その上にカニ型の箸置きを並べるのである。「いらっしゃいませ」と声を出して、店屋の主人となる。それを目の前に2歳の甥はきょとんとしている。しばらくすると子どもは一つの遊びに飽きるものだ。この二人もごたぶんにもれず、「カニ屋さんごっこ」を放棄して別の遊びに夢中になった。
ところがである。数分すると5歳の甥がとんでもない「オブジェ」を制作して、私たち大人に見せたのだ。コースターの間に2個のカニ型箸置きをのせ、その上にまたコースターを置き、またその上にカニの箸置きをのせて、再びコースターでサンドする。これが何重かになっている。そして彼はニヤリと笑ってこういったのだ。
「ビックマック・カニバーガーだよ。」
なんということだ。5歳の子どもがマクドナルドの製品をもじって新たな製品名を考えているのだ。作品もさることながら、私が驚いたのはこの名称である。マック(あるいはマクド)は、グローバルな食品として有名である。ヨーロッパに行ってもアジアに行っても、マクドナルドを目にしないことはない。悪く言えばアメリカ発「帝国主義」バーガーの火付け役がマクドナルドである。5歳の甥は頻繁にマクドナルドに行くわけではない。たまたま最近、新聞の折込広告のクーポン券をじっと眺めたに過ぎないのだ。しかし彼の脳には重層構造のビックマックがしっかりと刻み付けられた。ビックマックを食べたことのない子どもに、その名称とイメージを記憶させてしまうマクドナルドの戦略は偉大である。だからこそ、マクドナルドは「帝国の覇者」になりえたのである。
さて5歳の甥が席をまわって集めはじめたのが、厚紙のコースターとカニの形をした陶器の箸置きである。全員のものを集めると、個室の床に座って、「カニ屋さんごっこ」をはじめた。コースターをカニの入った皿にみたて、その上にカニ型の箸置きを並べるのである。「いらっしゃいませ」と声を出して、店屋の主人となる。それを目の前に2歳の甥はきょとんとしている。しばらくすると子どもは一つの遊びに飽きるものだ。この二人もごたぶんにもれず、「カニ屋さんごっこ」を放棄して別の遊びに夢中になった。
ところがである。数分すると5歳の甥がとんでもない「オブジェ」を制作して、私たち大人に見せたのだ。コースターの間に2個のカニ型箸置きをのせ、その上にまたコースターを置き、またその上にカニの箸置きをのせて、再びコースターでサンドする。これが何重かになっている。そして彼はニヤリと笑ってこういったのだ。
「ビックマック・カニバーガーだよ。」
なんということだ。5歳の子どもがマクドナルドの製品をもじって新たな製品名を考えているのだ。作品もさることながら、私が驚いたのはこの名称である。マック(あるいはマクド)は、グローバルな食品として有名である。ヨーロッパに行ってもアジアに行っても、マクドナルドを目にしないことはない。悪く言えばアメリカ発「帝国主義」バーガーの火付け役がマクドナルドである。5歳の甥は頻繁にマクドナルドに行くわけではない。たまたま最近、新聞の折込広告のクーポン券をじっと眺めたに過ぎないのだ。しかし彼の脳には重層構造のビックマックがしっかりと刻み付けられた。ビックマックを食べたことのない子どもに、その名称とイメージを記憶させてしまうマクドナルドの戦略は偉大である。だからこそ、マクドナルドは「帝国の覇者」になりえたのである。