Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

京都の鹿

2007年08月09日 | 
 仕事の前に北山の金閣寺に行く。10数年ぶりの金閣寺であったが、やはり以前と同様、いわゆる成金趣味の金ぴかさに満腹になってしまう。それにしてもすごい観光客である。西欧人(少なくとも英語圏、ドイツ語圏、フランス語圏は確認した)、韓国人、中国人などなど、外国人観光客の比率もかなり高い。彼らは自身でやってくる者もあれば、通訳同伴で解説を聞いている者もいる。耳をすますと、蝉の鳴き声とともに通訳の英語も聞こえてくるが、それぞれ特徴があっておもしろい。京都観光の通訳スペシャリストたちだろうからそれも当然である。
 ところで、この寺は金閣寺といわれるが、これは通称であって本当は別の名前がある。大学入試で日本史を選択するときっと覚えるのであろうが、その正式な名称は「鹿苑寺」である。ちゃんと入り口には、金閣寺が通称であることが墨書きされているのだが、暑さの中、黄金に輝く金閣寺を見ようとやってきた観光客にはそんな文字は目に入らない。「鹿の苑」は、鹿の公園を意味するが、もちろんここには奈良のように「本物」の鹿はいない。だからお土産屋にも奈良と違って「鹿グッズ」は置いていない。
 金閣寺の庭園を散策しながら、ふと、人間が鹿のように思えてきた。庭園のところどころにある「お守り」を販売する店(正確にはお守りは販売されるものではないと思うが)、お土産を売る店、お茶屋などに観光客が群がっている。金閣寺は最後の一箇所ではなく順路内のところどころにこうした店をうまく配置しているのである。いうなれば、この数箇所の売店は、奈良公園の各所に点在する「鹿せんべいの売店」である。そのまわりに群がる奈良の鹿と、金閣寺の庭園内の売店のまわりにあつまる観光客はあまり変わらないような気がしてきた。「お守り」や「お土産」を「鹿の餌」と同じだと表現するのは不謹慎きわまりないのだが、思えば思うほど、私には鹿苑寺の観光客が、鹿に見えて仕方ないのである。そう考えると、鹿苑寺という名称にも納得がいく。