続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

北組の夜泣き観音

2022-08-25 14:39:25 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

通道の庭先に古墳の石かと思われる石が、無造作に置かれています。

ひめちゃんたちは、なかなかコラボしてくれません。

ここは中世には葛塚村、葛に覆われた古墳だらけの村だったのです。

 

早く帰って御飯にしようよ

 

昨夜少し雨が降ったからかな?

今朝は久しぶりに普通の大きさのカエルです

酷暑が去って、少しずつ草むしりが出来るようになりました。

三四郎地蔵・サマンサ地蔵・ののこ地蔵にも、お日様がいっぱい当たるようになりました

 

 

 

「めいがん様」は、路上駐車で訪問でした。

駐車した所の左手は、大きな墓地のようです。

この一角に、北組霊園の石仏があるようです。

ちょっと寄ってみましょう。

中央奥の赤い点のようなトタン屋根の所が、めいがん様です。

ここには和尚さんの墓石もあります。

おや、線刻のお地蔵様です

でも、墓石で北組霊園の石仏ではなさそうです

何処だろう?

 

そばには、地域の大きなゴミ収集場所があります。

 

さらに左手が地域の会議所(北組会議所)のようです。

左手にちょっと行くと、ありました

北組霊園の石仏ですね

かなり古いものです。

凝灰岩石仏です。

子供の夜泣きを治してくれたのですね

合掌

 

隣には、庚申塔の山です。

実にたくさんの庚申塔が、無造作に積み上げられています。

 

後ろには石仏群です。

でも、何か変な方もいます。

 

あれ、何だろう?

会議所の裏に、めったに見かけないものがあります

 

会議所の正面に廻ります。

ここは北組会議所です。

北組の石仏のみなさんに逢えました

 

帰りがけに車中より撮った竣工記念碑です。

このあたりにあった5つの墓地をまとめたのですね

移転途中で傷ついた方もいたのでしょう。

 

めいがん様を左に見ながら帰ります。

おや、シラサギです。

今日はたくさんのシラサギに逢えました

 

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シラサギとめいがん様

2022-08-23 16:10:13 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

沼下のひまわりは、もう種が出来始まってます

 

岩神沼(いわがみぬま)に久しぶりに到着です。

獅子くんが、よく「はいポーズ」してくれた場所だね

 

 

 

 

一昨日、お使いついでに、西大室(前橋市西大室町)の「めいがん様」を訪ねました。

何年ぶりだろう?

確か前回は、大室神社から歩いてきたと思います。

今回はストリートビューをよくよく見て来たので、最寄りの墓地脇に路上駐車です。

 

右端のあのトタン屋根のある所が「めいがん様」です。

あれ、シラサギがいる

これから歩いて行こうとしてるあぜ道に、シラサギです。

しばらく見つめていると、彼女(?)は飛び立ちました。

 

あれ、向こうにもシラサギがいる

彼女が舞い降りた先には、何羽ものシラサギです

恋人同志かな?

 

シラサギの姿に癒やされて、「めいがん様」にこんにちは

ポールも何もありません

何も知らないとただの五輪塔です

 

鉢形城歴史館(埼玉県大里郡寄居町)の「平成25年度秋期企画展 長尾景春と鉢形城」には、

「双林寺伝」によると、(長尾景春の嫡子)影英は大永7年(1527)12月5日に死去し、墓所は渋川市空恵寺とされています。また前橋市西大室にある「めいがん様」と呼ばれる五輪塔が影英の供養塔と伝えられ、「為明巌宗哲禅定門」と影英の戒名が刻まれています。この五輪塔は地元では景春の墓とも言い伝えられています。また、大室神社は大室城跡といわれ、影英がここで隠居し、その後代である牧泉守が居城したと言われています。

 

刻まれているという文字は確認できません。

でも、白井長尾氏の故郷・白井の方を向いています。

合掌

 

ちょうど側のサルスベリが満開でした

このサルスベリは、ずっと「めいがん様」を見守ってきたのでしょう。

なんとも表現のしようがない樹形です。

 

昔、実家にも大きなこの色のサルスベリがありました。

親たちは百日紅(ひゃくじっこう)と言っていました。

郷愁を誘う花です

 

振り返ると、シラサギの群れは、まだいます

シラサギの舞う「めいがん様」、もう一度合掌

 

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上三原田の歌舞伎舞台(教育的配慮で移転)

2022-08-22 14:38:05 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

まだカンカン照りではないので、高齢犬のタバサねーちゃんも、少し遠くまで歩けそうです

久しぶりに山上の薬師の道でも行こうか

 

諏訪神社の向こうの高台中央で、北に進路をとります。

お久しぶりの薬師の道です。

草に埋もれているけど、みなさんご無事です。

合掌

 

この道の先には、正泉寺(しょうせんじ)です。

今は山門を残すだけで農耕されています。

でも、常広寺が兼務と言う形で、寺としては存続しているそうです。

右折して帰ります。

 

少し行くと、姿は見えねど、川を渡ります。

胡桃の木の下を、水音を立てて流れる川があります。

この川は、山上の元蓮田の脇を流れ、膳八幡神社の脇を流れ、やがて八幡(やはた)橋で蕨沢川(天神川)に合流します。

地図を眺めると、ここが始点です。

でも、振り返ると、もっと先から流れてきているようです。

そのうちに探検してみましょう

 

 

 

8月9日、吾妻から大正橋で利根川を渡って、国道353号線で帰ります。

 

おや、妙にクラシックで気になる建物があります。

上三原田(かみみはらだ)の歌舞伎舞台です。

噂は聞いていましたけど、そして何度も前を通っていたけれど、初めて気がつきました

 

一応駐車場もあります。

これは是非見学です

 

懐かしい心安らぐ景色です

 

説明板を確認です。

この地、赤城町上三原田に生まれた大工、永井長治郎翁が各地を巡遊した後、大阪で技術を修行し、工夫考案して文政二年(1819)に赤城山天竜寺境内に建立した。

それを明治十五年(1882)に現在の地に移設した。

 

そんなに凝った建造物を、何故わざわざ移転したんだろう?

 

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成11)に、赤城山天龍寺(勢多郡赤城村大字上三原田)があります。

舞台移設の経緯もありました。

文政二年(1819)、名工永井長治郎が、龍龍寺境内へ歌舞伎回り舞台を建築した。しかし、龍龍寺が三原田学校の校舎に使用された(明治七年)ので、教育上差し支えがあることから、明治十五年(1882)に、現在地に移転された。(角田恵重『名工永井長治郎伝』)

 

現在とは価値観が違うのでしょう。

教育的に差し支えがあったんですか

むしろ教育的な事のように思えますけど

 

 

上演の写真です。

客席のアーチは、地元の人々が竹を組みあわせて、作るんだそうですね。

 

由来がありそうだけど、分かりません。

 

左から見学です。

 

舞台正面です。

赤城山が見えます

ここは勢多郡赤城村でした。

 

振り返って客席です。

ここに巨大なアーチのドームが作られるんですね。

地域の人々の協力って素晴らしい

 

駐車場の側に、バス停「舞台上」です。

赤城山の中央に聳える地蔵岳が見えます

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どうぞお参りください(岩井堂観世音御堂)

2022-08-21 15:31:27 | 吾妻紀行

雨上がりの朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、諏訪神社前を南下します。

山上城は濡れていて歩きにくいかもだね

今朝の山上城跡公園は、歩きにくそうだから左折せず、そのまま行きます。

 

字西久保の田んぼには、鳥除け獣除けのアイテムが出そろい始めてます。

 

山上城の南郭(現在は元町集会所のある所)の北側を帰ります。

何人もの人が草刈り機を持って、集会所に入っていきます。

今朝は地区の人総出の草刈りのようです。

ひめちゃんたちは、人が多いので落ち着きません

 

常広寺の東に出て、やっと落ち着きました

あの画面中央奥の鬱蒼とした木立の南に、天神川の名の由来の天神宮があったと思われます

 

ケンくんちの畑の花を愛でながら帰ります

 

 

 

(8月9日)吾妻からの帰り、吾妻川左岸の国道353号線を走ります。

サイカチの木を過ぎてしばらくいくと、岩井堂観世音です。

「Pここです どうぞお参りください」とあります

昨年の11月四万からの帰り、初めて存在に気づき参拝しました

お久しぶりの参拝です。

 

後ろを見ると、あれ、お店がない

道の南側にあったはずの、岩井洞ドライブインの名残のまんじゅうやさんがありません

この間は、おまんじゅうを買って帰りました。

岩井洞ドライブインは、かつては観光バスが必ず寄ったドライブインです

 

 

岩井堂観世音の由緒を確認です。

ここは、やま文庫『上州の観音札』(内山信次 平成3)によれば、吾妻卅三所の元二番 村上 岩松山岩間寺です。

 

元二番 村上 岩松山岩間寺

       北群馬郡小野上村村上塩川

有名な岩井堂の観音様である。御堂は延久五年(1073)創建、享保年間(1716~35)再建、大正三年、昭和二年大改修と看板にある。

 御堂の左裏の石庇の下は洞窟観音とある。中央は石の御堂で、数基の観音石仏と夥しいつみ石、地蔵・閻魔・脱エバ・宝暦九年(1759)の戒源童子の地蔵石塔にも石が積まれている。ここを賽の河原にみたてたか。

 ドライブインの騒音が響いてくる中で、異様な他界が見えてくる。

昔よりたれか仏といわい堂

夢をさますか峯の松かぜ

 

 

東側の階段を上って参拝です。

まず見下ろしてしまいました。

ドライブインが賑わっていた頃は、ここまでその賑わいが響いていたのでしょう。

 

こんにちは、お久しぶりです

合掌

 

西側の階段を下りると、洞窟の中に多くの石仏です。

確かに閻魔大王はおいでです。

みなさんに、合掌

 

隣の大鳥神社にも参拝です。

2礼2拍1礼です

 

 

神社から見上げて、岩井堂観音堂です。

正面から見上げた観音堂です。

合掌

そのうちに、ここを管理しているという如意寺も訪問してみたいものです

 

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市代の牧(いちしろのまき)跡のサイカチ

2022-08-19 15:31:18 | 吾妻紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

朝から猛烈な日射しですけど、まだ気温が低い。

高齢犬のタバサねーちゃんも、今朝は少し遠くまで歩けるかな?

 

諏訪神社の向こうには、久しぶりに浅間山が見えます。

 

やっぱり、日陰のありそうな山上城を歩いて帰ります。

でも、すさまじい木漏れ日です。

さすがに今朝は蚊が少ない。

でも、何故かカラスがいっぱいです。

 

二の丸と三の丸の間を通って帰ります。

二の丸には数年前まで、元気な城山幼稚園の子供達の姿がありました。

 

ランランラン、2人の足は、ある所に向かいます

 

ケンくん、いるかな?

残念、今朝もお散歩に出ているようです。

 

ケンくんちの朝顔とサルスベリを愛でながら帰ります

 

 

 

 

「ミュゼ」からの帰路、国道353号線を東に進みます。

しばらく走って、JR吾妻線の市城駅(いちしろえき)を過ぎたあたりで、気になる風景です

 

道の反対側に駐車スペースがあります。

ちょっと利用させてもらって、気になる景色を確認です。

「群馬県指定天然記念物・中之条のサイカチ」とあります。

 

道の向こうのあの大木です。

 

樹齢500年以上ですって

サイカチは、薬用に、また石けんの代わりになったんですか

「また、馬を洗うのに用いられたという。」ですって

 

馬の話が続きます

 

この地一帯は、『延喜式』による上野九牧の一つ「市代の牧(いちしろのまき)」のあったところとされ、平安時代初期の勅旨牧(皇室用の馬を育てる牧場)としてその役割を担っていたと推察される。養和二(1182)年源頼朝が神馬・砂金を伊勢神宮に奉納したとき、吾妻八郎が栗毛の馬を献じていることから、鎌倉時代に活躍した吾妻氏は市代牧を母体として成長した武士団と考えられる。

 

このあたりは市代の牧のあった所ですか

「中之条のサイカチ」より「市城のサイカチ」の方が、ロマンがありそうだけど

 

このあたりは不動沢で、土石流に注意が必要な土地ですか

流れてくる不動沢川、今はほとんど水の流れがありませんけど、要注意の川なのですね

でも、不動沢・不動沢川・不動橋、どこか近くにお不動様が祀られているのかな

 

不動沢川はサイカチの側を流れて、吾妻川に合流してます。

 

吾妻川左岸の国道353号線を帰ります。

 

 

(つづく)

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