続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

湯殿一世之行人・源海(東光院法楽寺)

2023-07-15 16:50:15 | 早川物語2

雨上がりを待って、少し遅めの朝散歩です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の西に出ます。

マリーゴールド、土もほとんどないところにしっかり咲いてます

「雨が降ってくるといやだから、近回りで帰ろうよ

 

堀之内の端を歩いてきました。

あれ、アオサギだ

カメラが間に合いません

朝ご飯探していたのかな?

この道の右は堀之内、左は東芝(ひがししば)です。

山上の字(やまがみのあざ)もいっぱいあるね

 

 

 

6月12日、庶民の湯治場としてにぎわった、女塚鉱泉(おなづかこうせん)の記憶を確認できました

帰りは、東光院法楽寺に寄ります。

 

「女塚薬師鉱泉縁起」に、「この地の東光院住職玄海大僧正はこの水は飲み水には適さないが、暖めて入浴すれば万病に効果があると教えたのが始まりと聞いております。」とありました

 

『世良田村旧蹟案内』(昭和11年、世良田村誌編纂会)には、

                      
大字女塚の北方にあり。薬王山東光院法楽寺と称す。新義真言宗にして、大字世良田総持寺の末寺なり。開創年月は詳ならず。
安永年間、毛呂権蔵の筆記に曰く。
女塚の法楽寺は総持寺の寺中東光院とす。慶安二年に寺号を改め、今の地に移す。元は高橋の西、道の北に屋敷あり。今に其時の住持源海という人の墳あり。夫故高橋の西北の畠を源海といふ。
境内に先住の石塔五基あり、内宝塔形の一基に「湯殿一世之行人源海」と標題し。左右に「元和元年十一月廿九日」と刻す。是れ右に述ぶる所の住持源海なるべし。また卵塔の一基に「法印俊海不生安永七戌戌八月籾二日」と標題し、表面に「当寺建立寛心」と刻す。思ふに此建立とは、再建の意味にして創建の意味には非ざるべし。

境内別に法印重英の廟所あり。重英は正徳享保頃の当寺住持にして常に四方に巡錫し、囚人の疾病災難に悩む者あれば、加持祈祷を施して直ちに厄災を去らしむ。世人因て祈祷坊と称したり。

 

 

行きに素通りしてあるので、迷うことなく到着です。

祈祷法印開山堂ですって

もう女塚鉱泉との係わりは、忘れてしまったのかな?

玄海(源海)さんの記憶は、忘れられてしまったのかな?

 

真っ赤な屋根の本堂です。

隣に神社があります。

どこから入って、参拝しよう

ちょっと拒否されてる感じ

 

隣の元気な神社から参拝しましょう。

女塚稲荷大明神です。

2礼2拍1礼です

 

さて、本堂前で合掌です

建物はクラシックでいい感じなのですけど、隣の庫裏らしいところに声は掛けにくい

 

後ろの開山堂を覗きます。

祈祷法印・重英さんの廟所です。

合掌

 

開山道の脇には、歴住の墓標かな?

合掌

塔婆の立ってるところが気になります

うっかり確認してきませんでした

玄海(源海)さんお墓標かも。

今度行ったら、しっかり確認しましょう

 

 

裏には、東武鉄道伊勢崎線が走ります。

踏切を渡って左に、大きな墓地があります。

 

 

石造物の皆さんに、さようならです

ここは、佐波郡境町女塚(さわぐんさかいまちおなづか)でした

昭和30年迄は、新田郡世良田村大字女塚でした

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天幕城跡のヤマユリの花(あ... | トップ | 国道17号線をくぐって »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

早川物語2」カテゴリの最新記事