続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

龍燈伝説の香林寺

2023-07-10 17:48:25 | 早川物語2

朝から強すぎる日射しです

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

暑いねえ

でも、お家に帰ると、玄関に直行です。

入れてね

お家に入れてもらって、ひと遊びして、朝御飯と一緒にテラスのお部屋(サークル)に帰ります。

 

さくらもちさんに、赤ちゃんタバサねーちゃんの絵を描いていただきました

グルメとペットの絵のブログ

ありがとうございます

同腹のきょうだいたちと、ミニドッグランで思い切り遊んだ記憶の写真です。

15才になったタバサねーちゃんは、この絵のように天真爛漫に生きてるように思えます

 

 

 

6月11日、三ツ木(伊勢崎市境三ツ木)の香林寺を、数年ぶりに訪れました。

実は前日も寄ろうとして、付近を探したのですけど、見つかりませんでした。

まさか廃寺

ストリートビューでよくよく確認、ちゃんと存在してます

 

めだたなく住宅地の中にあります。

龍燈山香林寺(りゅうとうさんこうりんじ)です。

お堂の前で合掌

 

ここは『世良田村旧蹟案内』(昭和11年 世良田村誌編纂会)に、しっかり由緒が載ってます。

香林寺
大字三ツ木早川の西にあり。臨済宗にして勢多郡粕川村龍源寺末なり。慶長年間、新井五左衛門開基なり。同家先祖代々菩提、並に子孫繁栄の為創建したるものにて龍燈山香寺と称す。当地は元亀天正の頃、数度の戦争ありて、敵味方の戦死者少なからざれば、旁以て其の霊魂を弔ひしといふ。
 附 、香林寺の東早川の西に、龍燈堀趾なるものを存す。往古此処より、数々の龍燈上りし事あり。依て香林寺の山号に用ゐたるなりと云ふ。

 

臨済宗はまちがいです。

曹洞宗です。

勢多郡粕川村(前橋市粕川町)龍源寺で、末寺である事を確認済みです。

それにしても、どうして龍源寺末なのかな?

遠い

 

 

お堂の裏には古い墓石が積み上げられてます。

新しいお墓も増えてるような

 

前回の訪問、2017年12月、付近の家で庭仕事のおじさんと会話出来ました


『世良田村旧跡案内』にあった事を告げると、「ここは世良田村だったんだよ。」
「お寺はまだやってるんですか?」
「やってるよ。最初から曹洞宗だよ。」
「檀家はどのくらいいるんですか?」
「5軒。本家が抜けちゃってねー

おじさんには、新田郡世良田村の記憶が残ってました
おじさんは、開基家の分家らしかったです

今回は逢えませんでしたけど、檀家は増えてるようです

よかった

 

 

付近を少し散策です

 

香林寺前からの早川です。

 

左手に、三ツ木橋のあたりです。

 

自転車道からの、三ツ木橋です。

 

下流の流れです。

東武鉄道伊勢崎線の線路が見えます。

世良田駅と境町駅のちょうど中間当たりです。

 

龍燈堀址と思われるものは、やはりありません

蛇行する川は嫌われて、改修工事がされたのでしょう。


龍燈が出現するためには水が必要です。
早川から水を引いたか、あるいは早川へ注ぐ川か?


戦乱で多くの戦死者が出たというと人魂かな


早川付近に、怪火が出る条件はそろってます



新里の奥沢の山奥から流れ出した早川は、ここより少しだけ上流のあたり、国道17号線(上武道路)と国道354号線が交差して立体交差になっているあたりから、それまで東南に流れていた進路を南に変えます。
17号線の北側を平行して走っていたのが、17号線をくぐり、進路を南にとるのです

(後日、早川が進路変更するあたりを歩いてみました。記事はのちほど

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