濃霧の朝でした
ほんの先も見えません。
誰にも会いませんでした。
夕方には、薄日が差しました
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、南の方にお散歩です。
あちゃあ、小学生の下校時間です
「こんにちは」
「こんにちは あの子、かわいいね」
あの子って、どの子?
ひめちゃんだよね
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、今日は気温が低く雨っぽかったので、一日中室内犬です。
タバサねーちゃんは、煮干しが入ってる引き出しの前に、ズーッといて、何とか取り出そうと何度もチャレンジしていました
実は、タバサねーちゃんは、煩悩の塊でした
早めに出たので、ズーッと南まで足を延ばします。
途中に、石宮と石造物があります。
後ろの梅の木、幹は割れているのに、毎年花を咲かせています。
梅って、案外生命力のある木なのです
ひめちゃんちのロウバイ、葉っぱも落ちて、見頃になってきました
真冬の黄色、いいですね
1月3日、倭文神社(しどりじんじゃ 伊勢崎市東上之宮町)の後、下之宮の火雷神社(ほのいかづちじんじゃ 佐波郡玉村町)目指します。
大国神社でいただいた上野十二社リストの住所をナビに入れて、伊勢玉大橋で利根川を渡ります。
川を挟んで、上之宮と下之宮ということですから、川は利根川です。
そうすると、上之宮・倭文神社の脇を流れる宮川は、利根川の元の流れかな?
あれ、ナビの地図に、伊勢玉大橋の近くに火雷神社です
目的地の住所は、玉村八幡宮の近くで、まだ先です。
でも、利根川を挟んで、相対する所です
寄ってみましょう。
「延喜式内」の文字があります。
ここが、下之宮・火雷神社です
こんもりと太鼓橋風の石橋があります。
渡ると聖域です
右手には、手水社です。
神社の由緒もあります。
当神社は、上州名物の一つになっている雷の神様である火雷神をまつってある。景行天皇の時代に上野国の統治者御諸別王がまつったと伝えられ、平安時代の延暦十五年(798)官社となり、延喜の制では、小社に列して上野十二社の八の宮として、上野国の延喜式神名帳に従一位火雷大明神と書かれている。~(中略)~また、伊勢崎市上之宮の委文神社と相対し、その上之宮に対し下之宮といわれ、地名起源となっている。
ナビさんの地図、大正解でした
あれ、委文神社になってます
普通に入力して変換すると、委文神社です。
でも、上野九之宮は、「倭(やまと)」の文字の倭文神社です
手水社は、こだわりの手水社のようです。
菅原道真も祀ってます。
天神様は、元々は雷神を指していたといいます。
けれども、道真の死後の清涼殿落雷事件以来、道真と火雷神が結びついて祀られるようになったと言うことです
来る途中に寄った香林火雷神社も、天満宮の幟があがってました
狛犬さん、あけましておめでとう
配神の天神様にちなんだ梅で、明るく優しい火雷神社です
古い由緒書があります。
菅原道真命は、配祀神の中においでです。
本殿も、明るく元気が出そうな造りです。
人物が見えますけど、どなたかな?
あれ、奥の方に何かあります。
民家のようだけど、石造物がある
もしかして、火雷神社の別当寺だったかも?
ちょっと探検です
(つづく)