日本橋から3・4分北へ歩いた今川橋交差点の手前に、十軒店跡の案内板が建っている。場所は中央区日本橋室町三ーニー十五 その案内板に曰く
「十軒店は雛市の立つ場所として知られていました。「寛永江戸図」に「十間たな」と記された、石町二・三丁目と本町に・三丁目に挟まれた小さな町で、日本橋通りの両側に面していました。江戸時代の初め、桃の節句・端午の節句に人形を売る仮の店が十軒あったことから、この名があるとも言われています。
江戸時代中期以降、三月と五月の節句や十二月歳暮市には内裏雛・禿人形・飾道具
・甲人形・鯉のぼり・破魔弓・手毬・羽子板など、季節に応じた人形や玩具を売る店が軒を並べていました。『江戸名所図会』には「十軒店雛市」と題し、店先に小屋掛けまで設けて繁盛している挿絵が描かれています。・・・・・・・・」
今手元に「熈代勝覧(きだいしょうらん)の日本橋」と言う本があります。今年2月1日のBLOGにも書きましたが、三井記念美術館の開館記念特別展Ⅱのときに購入していたものです。この絵巻に載せられている場所がまさに今川橋に始まり十軒店から日本橋へ向かう大通りが描かれているのです。この絵図の十軒店の部分には、京糸物問屋(藤屋)、雛人形屋(万屋)・雛人形屋(大黒屋)・二八蕎麦饂飩屋(三河屋)・帳面問屋(槌屋)・薬種問屋(藤木)などが瓦葺の二階家の店として描かれ、その前に仮説の雛人形店が三軒描かれ、手前にも仮説店舗があるようです。そして沢山の人たちが行き来していますが、おおむね左側通行をしているように見えます。絵図では十軒店の両側、本石町とか、本町に比較して、十軒店の部分は人並みが倍くらい沢山書かれています。
今はビルの中に所どころ商店がある状況ですが、中央通りとしての華やかさは失われてはいないようです。
「十軒店は雛市の立つ場所として知られていました。「寛永江戸図」に「十間たな」と記された、石町二・三丁目と本町に・三丁目に挟まれた小さな町で、日本橋通りの両側に面していました。江戸時代の初め、桃の節句・端午の節句に人形を売る仮の店が十軒あったことから、この名があるとも言われています。
江戸時代中期以降、三月と五月の節句や十二月歳暮市には内裏雛・禿人形・飾道具
・甲人形・鯉のぼり・破魔弓・手毬・羽子板など、季節に応じた人形や玩具を売る店が軒を並べていました。『江戸名所図会』には「十軒店雛市」と題し、店先に小屋掛けまで設けて繁盛している挿絵が描かれています。・・・・・・・・」
今手元に「熈代勝覧(きだいしょうらん)の日本橋」と言う本があります。今年2月1日のBLOGにも書きましたが、三井記念美術館の開館記念特別展Ⅱのときに購入していたものです。この絵巻に載せられている場所がまさに今川橋に始まり十軒店から日本橋へ向かう大通りが描かれているのです。この絵図の十軒店の部分には、京糸物問屋(藤屋)、雛人形屋(万屋)・雛人形屋(大黒屋)・二八蕎麦饂飩屋(三河屋)・帳面問屋(槌屋)・薬種問屋(藤木)などが瓦葺の二階家の店として描かれ、その前に仮説の雛人形店が三軒描かれ、手前にも仮説店舗があるようです。そして沢山の人たちが行き来していますが、おおむね左側通行をしているように見えます。絵図では十軒店の両側、本石町とか、本町に比較して、十軒店の部分は人並みが倍くらい沢山書かれています。
今はビルの中に所どころ商店がある状況ですが、中央通りとしての華やかさは失われてはいないようです。