時空トラベラー THE TIME TRAVELER'S PHOTO ESSAY

歴史の現場を巡る旅 旅のお供はいつも電脳写真機

三度目の奇跡? ー明治維新、戦後復興の次は?ー

2011年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム
 このごろ日本は「三度目の奇跡」を起こさねば、という議論が盛んだ。評論家や日経新聞あたりがわいわい言ってるのが引き金になっているようだ。「明治維新」と「戦後の復興」につぐ「三度目の奇跡」という訳だ。
 欧米列強に対抗して,アジアのなかでいち早く近代化を成し遂げ、アジア初の国民国家を樹立し、さらに、戦争で壊滅的破壊を経験したにもかかわらず、世界第2位の経済大国に成長した日本。この時レファレンスモデルは「欧米」諸国である。アジアの国なのに欧米のように近代化した「例外としての日本」という訳だ。これが「奇跡」と呼ぶ所以である。

 そこで今、なぜ「三度目の奇跡」が必要という議論になっているか。それは「少子高齢化」「経済の低成長」「国家財政の大赤字」という三つ子の不安材料を抱え、国家の衰退に直面しているからだ。遅れているはずのアジアの国々、すなわち韓国や台湾や中国に追い上げられ、追いこされる事態に直面しているからだ。さらにはインドやASEAN諸国も急速に経済成長して来ている。

 とりわけ中国の経済、政治、外交、軍事面で急速な成長が大きなな脅威と感じ始めている。このように常に外部に「脅威」があり、それが臨界点に達した時に「奇跡」を起こして来た、という日本の歴史から来くる期待がある。やや「神風」みたいな「奇跡」を待望する空気もあるようだ。

 これからはアメリカじゃない。中国だ、とか、いやアメリカと中国の板挟みだとか、歴史上想定出来なかった事態に「第三の奇跡」を求める志向となっているのだろう。確かに,この日本を取り巻く事態は明治維新/戦後復興のときと違って、追いかけるモデルがない事態になっているのは事実だ。

 もっとも日本は歴史上、既に「三度」の奇跡を経験している。上述の二つの「奇跡」以前に1450年ほど時間を戻してほしい。このときの脅威は隣国である中国、当時の大唐帝国だ。そして一度目の日本の「奇跡」は645年に始まる「大化の改新」だ。これは我々が歴史で習った中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我入鹿を誅殺し,時の権力者蘇我氏を滅ぼした,いわば宮廷クーデタそのものを言うのではない。

 最近の歴史認識では、「大化の改新」は、この宮廷クーデター(巳支の変)に始まる天皇中心の政治体制,すなわち律令体制、公地公民制、班田収受法等による経済改革などの一連の改革を言うとされている。この改革には実は「大化の改新の詔」から30年以上の時間を要し、壬申の乱以降の天武天皇、その妃の持統天皇の時代になってようやく大王の「倭国」(いわば連合王国)から天皇中心の国家「日本」(中央集権国家)が実現している。
 
 しかし、何故このような「改革」、いや「革命」が必要だったのか。この動きを強いたのは,当時の「倭国」を取り巻く東アジア情勢に他ならない。すなわち朝鮮半島白村江での唐/新羅連合軍との戦いでの倭国/百済の決定的敗北、大陸からの撤退である。これは単に朝鮮半島での「倭国」の権益を失う、という事態に留まらず,引き続き唐が日本本土に侵攻してくる、というホラーストーリーを想定させるに十分な事態であった。

 この事態に対応する為に、天智天皇以来、急速に強力な国家体制を整備する必要に迫られた。すなわち富国強兵(防衛線の建設と徴兵制)、殖産興業(公地公民制、土地人民の国有化、生産性向上)、政治の近代化(天皇中心の律令体制)、官僚制の確立(ヤクサノ姓)、あげくには近江京への遷都を進めざるを得なかった。これが第一回目の「奇跡」である。

 ちなみに、ここまで聞いて、この時のこの事態と改革のプロセスは実に明治維新に似ていると思われるだろう。その通り,明治維新が「王政復古」と呼ばれる理由は、この天皇中心の国家体制の創建をモデルとし、この時代の国家体制を戻そう(少なくとも武家の棟梁将軍中心から天皇中心への政権交代、すなわちアンシャンレジュームという意味において)とした事による。明治期に如何に天皇制が日本の国家の基礎であるかを認識させる営みが数々行われたのはこの為である。この話はまた別途。

 話を戻す。日本という国は,その地政学的な位置から,常に近隣の大国の文化的、経済的便益を享受しつつも、その脅威に対抗してゆかざるを得ない宿命であった。もっとも隣の朝鮮半島ほどではないにしても。最初は,大唐帝国であり、次は大航海時代を経て東洋に進出して来た西欧列強諸国。そして帝国主義戦争で勝利したアメリカである。

 もちろん長い歴史の中で,周辺諸国に日本は忘れられた時期があったり、一時的に侵攻されたり(元寇)、自ら西欧諸国の進出の脅威を「鎖国」という形で防御したりした時代もあるが、ユーラシア大陸の東辺部にある島国として常に大陸の影響を肌身に感じつつ国家経営して来た。

 こうした点ではユーラシア大陸の西の端の島国であるイギリス(正確にはイングランド、スコットランド、アイルランド、ウエールズ等の国々と言うべきだが)と同じである事が面白い。イギリスの場合は,実際に大陸からの侵攻を受けている。ゲルマン人やバイキングによる侵攻、ローマ帝国の属領化、フランスのノルマンコンケスト。スペインによる圧迫、海上封鎖等。そうした厳しい「国際環境」が遂にはイギリスに絶対王政を確立させ、七つの海に進出させるエネルギーとなるのだが,その話もまた別途。

 このようにマクロ的に歴史を振り返ってみても日本を取り巻く環境は激的に変化したと言わざるを得ない。世界が狭かった時代には隣の大陸の大国、文明を気にしてれば良かった。そのうちユーラシア大陸の反対側からやって来た近代文明と緊張関係が生まれ、さらには広大な太平洋に阻まれているが故に、「隣」とは意識しなかった新大陸からやって来た文明と戦うはめに。そしてふと気付くと今度は旧文明となり脅威でなくなっていたはずであった隣の中国が再び歴史の表舞台に躍り出て脅威に。日本は東西両面の強大国の狭間に存在する国家になってしまった。

 それだけではない。「World is flat.」世界は歴史上経験した事がない新たなフェーズに移りつつある。 経済のボーダレス化が国家の有り様を変えつつある。近代の象徴である国民国家を枠を超えるグローバルなステージにどのような立ち位置を確立するのか、これは日本だけではなく、それぞれの国家が直面する挑戦的な課題である。

 こうしたなか、日本は、アメリカにつくか、中国につくか,なんていう亡国的な二者択一でもなく、両大国の橋渡しをするクニになる、なんて誰も期待してない役割を勝手に自任するのでもなく、永世中立国になる、なんて第2の「鎖国」を夢想するのでもなく、国境のないグローバルな世界の中で独自の役割を果たす国になることを目指さねばならなくなる。その時、その中心は多分日本という「国家」ではなく、国家の枠組みを越えて世界で活動する日本人という「人」となるのかもしれない。またそのような人材を多く輩出する「国家」日本になる。それこそが「第四の奇跡」だ。

 



ライカM9チタン初見参 !

2011年01月05日 | 時空トラベラーの「写真機」談義
 昨年の12月には発売,とされていた、全世界500台限定のライカM9チタン。年末の29日に、いつもライカシステムではお世話になっている、日本橋のF越写真機店のSさんから「はいりますよ」「見ますか?」と連絡あり。

 おっ、約束通り12月中に入荷ですか、かろうじて... 昨年9月のフォトキナの華々しいデビューいらい、音沙汰がなかったので、また出荷が延期になりました、なんてアナウンスがあるのかと思っていたが。聞けば、年内に入荷出来たのは日本では10台未満だとか。なかなかもったいつけるなあライカは。

 さて、現物を早速拝見。でっかい箱に二重に梱包されている。オープニングセレモニーだ。まずはあのホルスターが黒い袋に入ってお目見え。その下から出て来た玉手箱のような黒い立派なハコ。これを左右に引っ張ってスライドさせて開ける。立派な装丁の「取り説」と「うんちく本」等が同梱。さらにその下に赤絨毯ならぬ赤いスエードの内装に囲まれてボディー、35mmレンズ、フードが鎮座ましましている。なかなか脱がすのに苦労するがワクワクする正月の姫始めのようだ(あくまでも喩えです)

 フィンガーループとショルダーストラップもボディーレザーと同系統の革製のものが付いて来た。例のホルスタータイプのケースもなかなかの出来映えだ。が,ちと恥ずかしくてこれ肩にかけて撮影には出ないだろうな。何だろう?と衆目を集める事間違いない。目立ちたい人にはおススメですが。

 さて肝心のボディー。ひんやりとしたチタンの感触がたまらない。かつてのM6チタンのような真鍮板にチタンコーティングしたもの(Titan finish)とは異なり、無垢のチタン削り出し。M7チタンも無垢だそうだが、M9の方がふんだんにチタン使ってそうだ。現にボディーサイズはわずかに従来のM9よりは大きい。しかし,重量は軽い。また指紋がつかないような特殊コーティング処理がなされている。

 ライカの赤いエンブレムが目を引く。レザーも未来的でいい。中身はこれまでのM9と同じなのだからあんまり感動する部分はないのがもったいないくらい外装は素晴らしい。久しぶりに興奮するカメラボディーに出会えた感じだ。ボディーの面取りやレザー部分が手を加えられて近未来的なルックスになった。アクセサリーシューはチタンでカバーされ、シャッターボタンはレリーズ用のネジを塞いで指触りがよい。正面から見たら、採光窓がなくなり代わってその位置にLeicaのアクリルネームプレートが鎮座している。手作業で墨入れしたものとか。全体にバランスのとれた精悍なルックスとなった。

 デザインを言うなら、以前から気になっているアクセサリーシューのオフセット位置を、この際レンズ中心線上に持って来れなかったのだろうか?そして正面のライカエンブレム左上のほくろのような丸い採光窓(何用だったっけ?デジタルになって唐突に付けられた)、これもデザインバランスを壊してると思うんだけど。

 ストラップ類は一新され、右肩にあるアナに、フィンガーループ(大小3種)、ショルダーストラップのコネクターを差し込むことが出来る。この為には裏蓋を開けて、専用のフックを引っ張ると、アナのカバーが外れる仕掛けになっている。この辺が「ライカのお作法」を踏襲している。しかし、ちょっと頼りなげなアナのロック。本当にこの高価なカメラが外れて落ちたりしないのだろうね。
 ただフィンガーグリップはホールドが良い。新しいカメラの保持スタイルを提案している。

 同じくチタン素材の鏡胴の35mmズミルクスと、同じ素材で出来た花形フード。これを装着した姿は最高。フードはねじ込み式。レンズ先端のリングを外してからフードをねじ込む。フードの切りカキ位置がちょうどになるようにねじ込みが一定位置でロックされるようになっている。ドイツらしからぬ芸の細かさだ。

 全体に愛でて楽しむのにいいが、それだけではなく、手になじむ形状と,適度な重さ、チタンの手触りはこのカメラを持ち歩く事を楽しくするに十分な逸品にしている。お散歩ブラパチカメラにはもってこいだ。もっともベンツSクラスに乗ってコンビニへ弁当買いに、みたいな空気だが...

 唯一、機能面で通常のM9と異なるのは、ファインダー。フレームが赤いLEDで表示される点だ。これはなかなかいい。レンズ装着と電源スイッチオンで自動設定されるので、フレームセレクターレバーが正面になくなった。何よりも見やすい。これまでのM3以来の伝統のフレームは正面の白いアクリルの明かり取りから入る光で白く輝かせる「光学式フレーム」であった。これが光線との向きで見にくいのが問題視されて来たが,解決した訳だ。

 ライカは感触を楽しむ趣味カメラなのだから,このM9チタンの出来は素晴らしく、趣味人をなかなか虜にさせてくれる。これまでのライカお得意の限定版商法ではあるが、この一品はかなり限定版として本格的に差異化を計っている。これからのライカレンジファインダーデジタルを暗示するスタイルだろう。

 しかし、惜しむらくは、その手の届かない価格にふさわしいもっとデジタルカメラとしての機能のブラッシュアップ、強化充実を計って欲しいものだ。もっともコレを撮影現場でガンガン使う人はどれくらいいるのか。したがってこの際これ以上言うまい。まあ一言居士を黙らせるオーラを持っているよ、このM9チタンの工芸品としての造り込みへのこだわりは。

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気まぐれライカM9に手を焼くの巻き

2011年01月03日 | 時空トラベラーの「写真機」談義
 正月もあっという間に終わって、三日には羽田から伊丹まで飛び,西部戦線に復帰。

 東京の正月は晴れ。日本全国が風雪による厳しい寒波で翻弄される中、関東平野はカラっ風のいい天気。Uターンラッシュに混雑する羽田到着ロビーを横目に,逆Uターンでゆったりと大阪へ。

 羽田は新滑走路を離陸。やがて左手に東京スカイツリーと東京ゲートブリッジがちょうど見えたので愛用のM9でパシャリ。両方が見渡せる絶好のアングルだ。東京ゲートブリッジもまだ建設中で繋がっていない。よく見ると双子の怪獣が向き合っているようだ。新しい東京のランドマークが間もなく誕生する。

 離陸後一時間もしないうちに、はや伊丹着陸態勢。大阪は近い。高速陸蒸気でも二時間半なのだから。機内サービスのお茶飲んでる暇もない。しかし、雲間から見える奈良の東山中、紀伊山系は白銀の世界。飛鳥の里も冬景色だ。日本も狭いようで広い。様々な季節が同居している。

 奈良盆地から生駒山を超えると河内平野。八尾飛行場が見える。やがて大阪城を左下に見て機は市街地広がる大阪の街のど真ん中にドンドン降りてゆく。ビルや高速道路をかすめながら着陸。 と、平穏な飛行であったが、この間,我が愛用のライカM9はご機嫌斜め。突然「フォルダー番号をリセットしろ」「SDカードがフル」とのメッセージがでて、シャッターが下りなくなってしまった。正月早々...
 SDカードの容量はまだ70%程空いているのに。MENUからフォルダー番号リセットボタンを選んで押しても何の変化もなし。今カードの初期化すると全部消えてしまう。どうしたらいいんだ!?

 パニック状態でそれ以上の撮影続行は不可能となる。したがって東京スカイツリーまでは撮れたが、白銀の東山中、大阪城は、くやしいが見過ごすよりなかった。動かない金属の塊(文鎮と化した)ライカを握りしめ「この役立たずメ」と、よほど床に投げつけてやろうかと思った。

 なんか「いざ本番」「決定的瞬間」という時になって,突然写せなくなる事が多いような気がする。以前にも「カードが認識出来ません」とか「カードがロックされてます」とか、たわけたメッセージが出て撮影を中断しなくてはならない事があった。「これだ」と思ってスイッチオンしてシャッター押すと,反応しなくてチャンスを逃した、なあんて事も。

 家に帰ってマニュアルを読む。この説明文の日本語がまた何言ってるのかよくわからない。ドイツ語の直訳? 訳したヤツは内容を理解して書いたとはとても思えない。一瞬オレの日本語読解力がなくなったのか、と考え込んでしまった。
 気を取り直して何度か読み直すと,要するにどうもフォルダー番号がL99999999になるとそれ以上記録しないようだ!(SDカードに容量があっても!)。 その場合、マニュアルで番号をリセットする事が必要らしい。しかもリセットするにはSDカードを初期化する必要がある、と書いてある。しかも初期化は「上書き」を選ばねば完全な初期化は出来ず、フォルダーに大量のデータが残るようだ。そして「上書き」には数十分かかる、とある。したがってバッテリーはフルに充電しておくように、とご丁寧に注意書きが...

 バカヤロウ! 冗談じゃないよ。撮影現場でそんなことが出来るか! 少なくともニコンやキャノンでそんな経験は一度もない。M8でもそんなリセットのモードはなかったのに。故障でないとしても、使い手が想定出来ない事象が発生するということは、道具として完成されてない事の証明だろう。
 
 仕方ないから,これまでM9用に使用している(ライカ社ご指定の)SDカード3枚の中身を全てハードディスクに落としてから、一時間程かけてセッセと「上書き」で初期化。バッテリー2個があがり!充電中。で、ようやく撮影可能になった。でもこれで大丈夫なんだろうな?不安だ。

 もうあんまりライカの悪口いいたくないのだが、こう度々だと「怒ってしまう」というより「笑ってしまう」(イヤ、とほほほほ、と「泣いてしまう」)。いくらライカはマニア向けの趣味カメラとは言っても、こんな作業を「ライカのお作法」として楽しむ程、私もお人好しのアホではない。少なくともプロ用機材としては信頼感0。やっぱりライカはシンプルで堅牢な銀塩機械式カメラしか信頼出来ないのか。

 大阪だけに、締めは「そんなアホな」「ええ加減にしろ」「もうええわ」「ありがとうございましたあ~~~」かあ。


L9999990_3

(東京の新しいランドマークとなる、東京スカイツリーと東京ゲートブリッジ)


新年を迎えて

2011年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム
 2011年が明けた。東京は晴天で穏やかな新年となったが、日本は寒波に覆われ厳しい寒さと積雪の正月となった。

 紅白歌合戦見て、ゆく年来る年みて、何となく正月に突入。新年を目出度がってばかり入られない。一晩寝て正月が来たからといって,情けない今の日本の現状が変わる訳ではない。日本はこれからはモデルのない変革を果たさねばならぬ時代へ突入する。

 少子高齢化、経済成長の低迷、国の借金の増大という3重苦を抱えて、明治維新や戦後の復興につぐ3度目の奇跡を起こさねばならない。いや、白村江戦敗戦後の復興改新を含めれば4度目だ。しかしこの変革には先行事例はない。大唐帝国や西欧列強や米国といったモデルはない。独自にあらたな国家ビジョンを作り出さねばならない。前代未聞のチャレンジであるが、これを乗り越えなければ「衰退」の二文字が現実のものとなる。

 今こそ「イノベーション」という言葉の意味を真剣に考えなくてはならない。これを「技術革新」と翻訳する時代は終わった。全ての価値創造モデルイノベーションだ。それには独創的な価値創造を可能とする「人」を育てる必要がある。あたらしいヒーロー、そう「英雄像」が必要だ。「モノ造り」よりも「人創り」が優先だ。時間がかかるが100年の国家戦略とビジョンがいる。

 初夢はどんな夢になるのだろう。



 
Photo
(2011年元旦の初日の出。ちょっと寝坊して太陽が高く揚がってしまった。東京の正月はスッコーンと良い天気)