今年の桜は、開花が例年になく早い。寒くて長かった冬。3月に入って急に暖かくなり、たちまち開花宣言。4月に入る前に満開が続出だ。福岡や高知に始まり、首都圏は先週の3月22、23日が満開に。サクラ咲くのニュースに煽られて、週末、東京は慌ただしい花見ラッシュだったようだ。4月に入った今日にはもう散り始めている。恒例のお花見セールなどのイベントは、早すぎる満開に置いてきぼりに。
関西はそれに比べると開花が遅れ(といっても例年よりは一週間は早いが)この週末30、31日に盛りを迎えた。まだ梅が咲いている時期の桜満開で、両方を一時に楽しめると言う贅沢な今年の春だ。この土、日は、京都の醍醐寺、円山公園、高台寺と廻り、さらに毎年訪れる大和路の大野寺の枝垂桜、花の寺長谷寺、そして大阪の桜宮、大川端の桜並木、造幣局と、関西の桜の名所を集中的に廻るという忙しさであった。桜を満喫したが,あんまり桜漬けで少々毒気に当てられた感じもする。過ぎたるはは及ばざるがごとし、か。
大和の大野寺の枝垂桜はまだ満開とはいかないが、それでも滝のような流麗さににはいつも感動させられる。近鉄室生口大野駅前の桜並木はようやく開花したばかりだった。長谷寺は全山程よく開花。ここは桜だけでなく、ハクモクレンやサンシュユも大木に花をいっぱいに咲かせ、「花の御寺」の彩りを華やかにしている。舞台から見渡す初瀬の里はまさに春爛漫。一方、大阪大川端の桜もなかなか壮観。あちこちにブルーシートが敷かれ、花見の宴会で盛り上がっていて、これはこれで都会の季節感を感じる。
さて醍醐寺の桜は初めてであった。やはり太閤さんの「醍醐の花見」で名高い寺だけに、壮観の一言。特に枝垂桜の古木の枝振り、スケールの大きさと数の多さにに圧倒された。ここの桜の種類は100種あるそうだが、比較的開花が早い枝垂桜の種類も豊富で色とりどりの「花の噴水」を楽しむことが出来る。この歴史に名高い「醍醐の花見」は、太閤さんが、慶長3年3月、1598年に我が子秀頼、北政所、淀殿など側室達,それに従う侍女達総勢1300名を呼んで、日頃の労をねぎらった「ご苦労さん会」エンターテインメント。女性は出入り自由。男子は招待客のみという花見だったようだ。いろいろな意味でお世話になっている女性陣への大サービス。史上最大の「女子会」ってわけだ。太閤さんはフェミニストだったにちがいない。いや、ただのスケベー親爺? しかし天下人ともなればスケベー親爺のスケールも「ただの」とは違う。この日のために近畿一円から桜の木を集めて植えさせたんだから。女性に限らず人たらしの術も充分に心得ていた秀吉ならではだ。しかし、この花見イベントの5ヶ月後には他界し、2年後の1600年には関ヶ原の戦いで徳川家康の天下となる。豊臣秀吉最後の大打ち上げ花火だった。
現代の醍醐の花見は誰でも参加自由。京都の桜名所の一つになっている。皆でこの世の春を楽しもう。しかし、国宝の三宝院は庭園を含め全て写真撮影禁止。霊宝院館内からの枝垂桜の写真撮影も禁止。花見なのに境内での飲食も禁止。ベンチでおかし食べてたら注意されてる親子連れ。かわいそうに、別にお酒飲んで騒いでる訳でもないのに。チョット無粋じゃないか。まあ、こんなにいっぱいの花見客に世界遺産で国宝の寺の中で自由にさせたら収拾がつかないのかもしれないが、せっかくの花見なのだからこの日だけは無礼講に...「太閤ハンに免じてよろしおす」てワケにいかないものか。
このように花見で浮かれたイメージが先に立つが、醍醐寺そのものは真言宗醍醐寺派の由緒ある寺院。御本尊は薬師如来。真言宗の神聖な道場なのだ。平安初期816年、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝の創建になるが、後世には応仁の乱や、幾多の戦乱で荒れ果て創建当時の建物は五重塔しか残らない状況にまでなっていた。豊臣秀吉の庇護のもとに再建され、秀吉自身も三宝院や金堂を寄進している。、我々が廻ったのは三宝院や霊宝院、金堂、五重塔がある下醍醐。さらに険しい山を越えると奥の院、薬師堂、清滝宮拝殿、開山堂などが建ち並ぶ上醍醐がある。かつては険しい修行の場であったところだ。花見目当ての俗世の垢にまみれた私にとって、今日は下醍醐で充分。神聖で荘厳な上醍醐は、またそのうちにお参りさせていただきます。
醍醐寺の桜を堪能した後に、祇園から円山公園、高台寺の枝垂桜を見て回ったが、あまりにも醍醐寺の桜のインパクトが強くて、なんだかイマイチ感動しにくかった。残念な事である。巡る順番を考えるべきであったかもしれない。総じて京都の桜の季節は華やか。大勢の人がわれもわれもと京都に押し掛ける訳がわかる。一方、大和路の桜は、吉野や長谷寺のように平安貴族の憧れとなるような豪華さを持つところもあるが、元来静かで,気高く、自然とともにある。里を埋め尽くす桜、山肌に咲く山桜などまさに大和路の春の風景だ。もちろんどちらも良い。今年は満喫した。
霊宝館の枝垂桜。見事な枝振りで広がりが大きく写真に入り切らない。
今年は梅と桜が同時に楽しめる。なんと贅沢な...
西門(仁王門)からの眺め。花の季節の賑わい。
桜に浮かれる世俗をよそに、修行に励む若き僧達。ここは真言宗醍醐寺派の総本山だ。
スライドショーはここから?
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(撮影機材:Nikon D800E, AF Nikkor 24-120mm)
関西はそれに比べると開花が遅れ(といっても例年よりは一週間は早いが)この週末30、31日に盛りを迎えた。まだ梅が咲いている時期の桜満開で、両方を一時に楽しめると言う贅沢な今年の春だ。この土、日は、京都の醍醐寺、円山公園、高台寺と廻り、さらに毎年訪れる大和路の大野寺の枝垂桜、花の寺長谷寺、そして大阪の桜宮、大川端の桜並木、造幣局と、関西の桜の名所を集中的に廻るという忙しさであった。桜を満喫したが,あんまり桜漬けで少々毒気に当てられた感じもする。過ぎたるはは及ばざるがごとし、か。
大和の大野寺の枝垂桜はまだ満開とはいかないが、それでも滝のような流麗さににはいつも感動させられる。近鉄室生口大野駅前の桜並木はようやく開花したばかりだった。長谷寺は全山程よく開花。ここは桜だけでなく、ハクモクレンやサンシュユも大木に花をいっぱいに咲かせ、「花の御寺」の彩りを華やかにしている。舞台から見渡す初瀬の里はまさに春爛漫。一方、大阪大川端の桜もなかなか壮観。あちこちにブルーシートが敷かれ、花見の宴会で盛り上がっていて、これはこれで都会の季節感を感じる。
さて醍醐寺の桜は初めてであった。やはり太閤さんの「醍醐の花見」で名高い寺だけに、壮観の一言。特に枝垂桜の古木の枝振り、スケールの大きさと数の多さにに圧倒された。ここの桜の種類は100種あるそうだが、比較的開花が早い枝垂桜の種類も豊富で色とりどりの「花の噴水」を楽しむことが出来る。この歴史に名高い「醍醐の花見」は、太閤さんが、慶長3年3月、1598年に我が子秀頼、北政所、淀殿など側室達,それに従う侍女達総勢1300名を呼んで、日頃の労をねぎらった「ご苦労さん会」エンターテインメント。女性は出入り自由。男子は招待客のみという花見だったようだ。いろいろな意味でお世話になっている女性陣への大サービス。史上最大の「女子会」ってわけだ。太閤さんはフェミニストだったにちがいない。いや、ただのスケベー親爺? しかし天下人ともなればスケベー親爺のスケールも「ただの」とは違う。この日のために近畿一円から桜の木を集めて植えさせたんだから。女性に限らず人たらしの術も充分に心得ていた秀吉ならではだ。しかし、この花見イベントの5ヶ月後には他界し、2年後の1600年には関ヶ原の戦いで徳川家康の天下となる。豊臣秀吉最後の大打ち上げ花火だった。
現代の醍醐の花見は誰でも参加自由。京都の桜名所の一つになっている。皆でこの世の春を楽しもう。しかし、国宝の三宝院は庭園を含め全て写真撮影禁止。霊宝院館内からの枝垂桜の写真撮影も禁止。花見なのに境内での飲食も禁止。ベンチでおかし食べてたら注意されてる親子連れ。かわいそうに、別にお酒飲んで騒いでる訳でもないのに。チョット無粋じゃないか。まあ、こんなにいっぱいの花見客に世界遺産で国宝の寺の中で自由にさせたら収拾がつかないのかもしれないが、せっかくの花見なのだからこの日だけは無礼講に...「太閤ハンに免じてよろしおす」てワケにいかないものか。
このように花見で浮かれたイメージが先に立つが、醍醐寺そのものは真言宗醍醐寺派の由緒ある寺院。御本尊は薬師如来。真言宗の神聖な道場なのだ。平安初期816年、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝の創建になるが、後世には応仁の乱や、幾多の戦乱で荒れ果て創建当時の建物は五重塔しか残らない状況にまでなっていた。豊臣秀吉の庇護のもとに再建され、秀吉自身も三宝院や金堂を寄進している。、我々が廻ったのは三宝院や霊宝院、金堂、五重塔がある下醍醐。さらに険しい山を越えると奥の院、薬師堂、清滝宮拝殿、開山堂などが建ち並ぶ上醍醐がある。かつては険しい修行の場であったところだ。花見目当ての俗世の垢にまみれた私にとって、今日は下醍醐で充分。神聖で荘厳な上醍醐は、またそのうちにお参りさせていただきます。
醍醐寺の桜を堪能した後に、祇園から円山公園、高台寺の枝垂桜を見て回ったが、あまりにも醍醐寺の桜のインパクトが強くて、なんだかイマイチ感動しにくかった。残念な事である。巡る順番を考えるべきであったかもしれない。総じて京都の桜の季節は華やか。大勢の人がわれもわれもと京都に押し掛ける訳がわかる。一方、大和路の桜は、吉野や長谷寺のように平安貴族の憧れとなるような豪華さを持つところもあるが、元来静かで,気高く、自然とともにある。里を埋め尽くす桜、山肌に咲く山桜などまさに大和路の春の風景だ。もちろんどちらも良い。今年は満喫した。
霊宝館の枝垂桜。見事な枝振りで広がりが大きく写真に入り切らない。
今年は梅と桜が同時に楽しめる。なんと贅沢な...
西門(仁王門)からの眺め。花の季節の賑わい。
桜に浮かれる世俗をよそに、修行に励む若き僧達。ここは真言宗醍醐寺派の総本山だ。
スライドショーはここから?
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(撮影機材:Nikon D800E, AF Nikkor 24-120mm)