出張で熊本へ行った。九州新幹線の鹿児島中央、博多間全線開通に伴い,新大阪から3時間ほどで熊本へ直通で行けるようになった。「さくら」は素晴らしい列車だ。欧州の優等列車に引けを取らない品格と質感を持つ。九州島内の緑濃い筑紫平野を南へ疾走する姿は美しい。この九州新幹線の全線開通の日は3月12日。そう、東日本大震災の翌日だ。一切のセレモニーはキャンセルされ、しずかに開業した。しかし,それでもJR九州のあの開業CMは感動的で涙が出るほどだ。名作でしょう、あれは。
ところで、新幹線開通で熊本は活気づいているのだろうか?熊本駅前の住宅地が公示価格高騰率が日本一になった,と報道されている所を見ると、少しバブルしているのかもしれない。市内でタクシーの運転手さんに聞くと,たしかに熊本駅から街中まで乗る客が増えた,と言っている。「じゃあタクシーとしては新幹線歓迎だね」というと。「なんも。いっちょんもうからんばい」。新幹線が来る前は、東京や大阪から来る客は、たいてい飛行機。しかも熊本市街からはるかにはなれた阿蘇山との中間(は少しオーバー?)に位置する熊本空港との間を乗ってくれるんで、タクシーウハウハ状態だったと... なるほど。
熊本駅はそもそも都心から外れた所に位置している。城下町の常で,明治の頃の鉄道開通に際し,陸蒸気への期待と忌避が相半ばして,鉄道停車場は大抵が御城下の外れに造られた。ここ熊本もそういう事だった。確かに駅前には何もない。最近になって国の出先機関が入るビルが中心街から移ってきたという。さらに熊本初の超高層マンションが建設中だ。しかしなあ... 新幹線側にいたってはましていわんや。広大な空き地が広がる。ここが地価高騰率一位なのは0がスタートだからかあ、と妙に納得。
熊本城は,疑いもなく名城だ。加藤清正が築城し,その後加藤家断絶後は細川家の居城となった。肥後細川は明治維新まで続いたにもかかわらず,この名城を築いたのは清正公だと言う事実。加藤神社もあれば、清正公銅像もそびえる熊本。熊本人にとっては,清正公こそおいらの兄貴なのだ。細川さん,少しかわいそう。
熊本城は西南戦争の時には九州鎮台として、官軍の拠点であった。谷干城率いる明治新政府軍が立てこもる熊本城を西郷軍は攻めあぐねた。田原坂の戦いなどの激戦の末、西郷軍は敗退。鹿児島の城山で自刃。こうして最後にして,最大の不平士族の反乱は終わった。しかし、この戦いのなかで熊本城の天守閣は燃え落ち、多くの櫓が破壊された。戦後も破却が進み、軍都熊本の基となる九州鎮台、のちの第六師団司令部として熊本城は使われる。
この頃から、熊本は九州の「首都」としての地位を固める。帝国陸軍はもとより、中央政府の九州出先機関はここ熊本にあつまり、旧制高等学校もいわゆるナンバースクール第五高等学校が熊本に設置される。なぜか九州帝国大学は福岡に持ってかれてしまったが,熊本は誰もが認める九州の中心であった。
我が社もつい最近まで,九州総支社は熊本にあった。いまは九州本部は福岡に移転。ここは熊本支店に格下げ。往年のよすがを忍ぶものはその城を望む絶好のロケーションと偉容を誇る建物だけだ。ちなみに九州の拠点を福岡に移すにあたっては,熊本の地元からは猛烈な抵抗が予想された。まるで明治維新後に京都から明治天皇が東京へ「行幸」されたまま帰ってない(?)という例のように、最初は法人営業本部など営業拠点を福岡に移し、管理機能は熊本から移さない事で事を進めた。しかし徐々にネズミの引越のように移り、結局最後は全てを福岡に移してしまったのだから、熊本人にすれば「やられた」という事だろう。京都人の気持ちがわかる?
江戸時代、明治維新、戦前とあまりぱっとしない通過都市福岡はいまや九州の中心都市に発展。逆に新幹線が開通しても熊本は通過都市になってしまう可能性すらある。あるいはストロー現象で客が博多駅や天神の商業施設に吸い取られる。先ほどの熊本駅前の地価高騰も博多へ30分という通勤の便利さからか??
鹿児島は多くの観光客を集めているようだが、熊本は,県の代表クマゴンが県知事に伴われて大阪に出張、熊本をアピールしてきたにもかかわらずその成果は... 先ほどのタクシーの運転手さんも「熊本はなんも観るもんはナカでっしょ」と切り捨てる。熊本城は?水前寺公園は?と水を向けると、「二つ観たらそれで終わりたい」と冷たい。食べるもんは旨いし,水はいいし...とさらにゴマを擦ると「馬刺と辛子レンコンだけですたい」。肥後モッコスらしい反応。取りつくシマもない。ミもフタもない。それを言っちゃあオシマイよ。
まあまあそういわずに、この清正公の名城見るだけでも熊本に行く価値充分ですよ。木造で再建された本丸御殿も昭君の間も眼を見張る美しさですよ。緑の山と清流に包まれた壮麗な平山城、熊本城。国の宝です。熊本人よもっと地元に誇りをもって。来年は九州で3番目の政令指定都市にもなるんだしね。道州制が導入されたら熊本が九州の首都に返り咲き...かな?
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熊本駅はそもそも都心から外れた所に位置している。城下町の常で,明治の頃の鉄道開通に際し,陸蒸気への期待と忌避が相半ばして,鉄道停車場は大抵が御城下の外れに造られた。ここ熊本もそういう事だった。確かに駅前には何もない。最近になって国の出先機関が入るビルが中心街から移ってきたという。さらに熊本初の超高層マンションが建設中だ。しかしなあ... 新幹線側にいたってはましていわんや。広大な空き地が広がる。ここが地価高騰率一位なのは0がスタートだからかあ、と妙に納得。
熊本城は,疑いもなく名城だ。加藤清正が築城し,その後加藤家断絶後は細川家の居城となった。肥後細川は明治維新まで続いたにもかかわらず,この名城を築いたのは清正公だと言う事実。加藤神社もあれば、清正公銅像もそびえる熊本。熊本人にとっては,清正公こそおいらの兄貴なのだ。細川さん,少しかわいそう。
熊本城は西南戦争の時には九州鎮台として、官軍の拠点であった。谷干城率いる明治新政府軍が立てこもる熊本城を西郷軍は攻めあぐねた。田原坂の戦いなどの激戦の末、西郷軍は敗退。鹿児島の城山で自刃。こうして最後にして,最大の不平士族の反乱は終わった。しかし、この戦いのなかで熊本城の天守閣は燃え落ち、多くの櫓が破壊された。戦後も破却が進み、軍都熊本の基となる九州鎮台、のちの第六師団司令部として熊本城は使われる。
この頃から、熊本は九州の「首都」としての地位を固める。帝国陸軍はもとより、中央政府の九州出先機関はここ熊本にあつまり、旧制高等学校もいわゆるナンバースクール第五高等学校が熊本に設置される。なぜか九州帝国大学は福岡に持ってかれてしまったが,熊本は誰もが認める九州の中心であった。
我が社もつい最近まで,九州総支社は熊本にあった。いまは九州本部は福岡に移転。ここは熊本支店に格下げ。往年のよすがを忍ぶものはその城を望む絶好のロケーションと偉容を誇る建物だけだ。ちなみに九州の拠点を福岡に移すにあたっては,熊本の地元からは猛烈な抵抗が予想された。まるで明治維新後に京都から明治天皇が東京へ「行幸」されたまま帰ってない(?)という例のように、最初は法人営業本部など営業拠点を福岡に移し、管理機能は熊本から移さない事で事を進めた。しかし徐々にネズミの引越のように移り、結局最後は全てを福岡に移してしまったのだから、熊本人にすれば「やられた」という事だろう。京都人の気持ちがわかる?
江戸時代、明治維新、戦前とあまりぱっとしない通過都市福岡はいまや九州の中心都市に発展。逆に新幹線が開通しても熊本は通過都市になってしまう可能性すらある。あるいはストロー現象で客が博多駅や天神の商業施設に吸い取られる。先ほどの熊本駅前の地価高騰も博多へ30分という通勤の便利さからか??
鹿児島は多くの観光客を集めているようだが、熊本は,県の代表クマゴンが県知事に伴われて大阪に出張、熊本をアピールしてきたにもかかわらずその成果は... 先ほどのタクシーの運転手さんも「熊本はなんも観るもんはナカでっしょ」と切り捨てる。熊本城は?水前寺公園は?と水を向けると、「二つ観たらそれで終わりたい」と冷たい。食べるもんは旨いし,水はいいし...とさらにゴマを擦ると「馬刺と辛子レンコンだけですたい」。肥後モッコスらしい反応。取りつくシマもない。ミもフタもない。それを言っちゃあオシマイよ。
まあまあそういわずに、この清正公の名城見るだけでも熊本に行く価値充分ですよ。木造で再建された本丸御殿も昭君の間も眼を見張る美しさですよ。緑の山と清流に包まれた壮麗な平山城、熊本城。国の宝です。熊本人よもっと地元に誇りをもって。来年は九州で3番目の政令指定都市にもなるんだしね。道州制が導入されたら熊本が九州の首都に返り咲き...かな?
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