時空トラベラー THE TIME TRAVELER'S PHOTO ESSAY

歴史の現場を巡る旅 旅のお供はいつも電脳写真機

終戦の日

2009年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
8月15日は終戦記念日。ヒロシマ、ナガサキの原爆の日に続いて.....鎮魂。
真夏の太陽がジリジリと照りつけ、この世に生きるものは死者の業火の苦しみに想いを馳せる。先の大戦で亡くなった多くの人々の御霊を弔う。何と、この戦争で日本人だけでも310万人が亡くなった......
64年前のあの時、日本人は今では想像もできないような毎日を送っていた。数々の時空を超えた旅行の中でももっとも生々しく重い時空トラベル、これが64年前へのタイムスリップ。

西欧列強のアジアにおける帝国主義的植民地支配を排除するとして、一時はアジアの開放者にも見えかけた日本。結局は西欧列強に対抗する後発者としてアジア植民地支配の道に走ってしまった日本。その結果アジアの同胞に取り返しのつかない災いをもたらした歴史の事実は今さら語る必要もないが、この戦争は日本の国民にも未曾有の災いをもたらした事も忘れてはならない。本来「国民」を守るべき「国家」が「国民」を苦しめる。その事を感じずにはいられない。

ヒロシマの、ナガサキの原爆で、東京大空襲で何十万という市民がわずかな時間の間に殺戮された。沖縄では市民を巻き込んだ戦闘が。南方の島々での血みどろの戦闘で、無謀な作戦遂行の中で、大陸での行軍の中で、飢餓で、病気で、極寒の大地からの逃避行のなかで、抑留された収容所で、絶望的な特攻攻撃にかり出されて、頭上に炸裂した爆弾や焼夷弾で.....  普通に暮らしていた「国民」が、戦地にかり出され、国策で植民地へ移住させられ、内地に居て空襲にみまわれ、死なねばない事態に追いやられた悲劇。家族や友人を失う悲しみを味わわされた。

日本という国家の誕生以来、この民族がかつて経験した事もない悲劇にみまわれた。二度とこのような過ちが繰り返されない為の反省とケジメは出来たのか? 戦勝国が戦敗国に対して行った「裁判」では何の問題解決になっていない。国民あるいは市民の立場からの戦争の加害、被害についてなにも裁かれていない。「人道に対する罪」というなら戦勝国側の指導者にも負ってもらわなければならない。戦争を引き起こした「国家」は「国民」に対してどのように責任を負うのか? また「国家」が戦争へと突き進む事態を止められなかった「国民」は、その無力さをどのように反省し、民主主義と平和と自由を守っているか?

8月は旧盆でもあり、彼岸に旅立った者とこの世に生かされている者が相見える季節である。
今年はまた集中豪雨や台風で多くの方々が亡くなった。
あの日航機が群馬県の御巣鷹山に墜落したのもこの月。
ため息をつきたくなるほど多くの死者の霊がこの季節、何を我々に語りかけてくるのか。 
毎年8月にやってくる戦没者慰霊祭や原爆慰霊祭、各地で行われる精霊流しを季節の風物詩として眺めることはできない。暑い暑い夏を今年も過ごす。