サントリーのビール部門が40年ぶりに初めて黒字化したという。もうとっくに黒字だろうと思っていたのだが、そうでないので非常に驚いた。
私がこの事実に人一倍驚いたのにはワケがある。私はサントリービールが開発される前から、サントリービールを知っていたからである。
小学校の同級生にS君という子がいた。S君の父親はサントリーに勤めていた。そのころ、サントリーはビールを製造しようと調査をしていた。
調査のためにスタッフをドイツに派遣したりしていた。S君の父親は、そのときドイツに派遣された一人だった。
S君の父親は、ビール工場だけでなく、ドイツの町並みや人々の暮らしを8ミリ映画に収めて帰国した。
当時、ドラマ以外では海外の映像をほとんど見ることができなかった。TVで世界旅行の番組が始まったのは、まだまだ後のことだった。
S君の父親は、自分の撮った映像を子供たちに見せてやろうと、息子の小学校に申し入れて、8ミリ映画会が実現した。
私には新鮮な映像だった。しかも、当時まだ珍しいカラー撮影だった。この映像により、サントリーはビール開発をもくろんでいるのだなと知った。
S君の家に遊びに行ったことがある。家は閑静な住宅街にあり、なんとホームバーがあった。どの家もまだ、朝、ふとんを上げて、そこにちゃぶ台を出して朝食を摂っていた時代である。
サントリーは儲かっているのだなと子供心に思った。
私がこの事実に人一倍驚いたのにはワケがある。私はサントリービールが開発される前から、サントリービールを知っていたからである。
小学校の同級生にS君という子がいた。S君の父親はサントリーに勤めていた。そのころ、サントリーはビールを製造しようと調査をしていた。
調査のためにスタッフをドイツに派遣したりしていた。S君の父親は、そのときドイツに派遣された一人だった。
S君の父親は、ビール工場だけでなく、ドイツの町並みや人々の暮らしを8ミリ映画に収めて帰国した。
当時、ドラマ以外では海外の映像をほとんど見ることができなかった。TVで世界旅行の番組が始まったのは、まだまだ後のことだった。
S君の父親は、自分の撮った映像を子供たちに見せてやろうと、息子の小学校に申し入れて、8ミリ映画会が実現した。
私には新鮮な映像だった。しかも、当時まだ珍しいカラー撮影だった。この映像により、サントリーはビール開発をもくろんでいるのだなと知った。
S君の家に遊びに行ったことがある。家は閑静な住宅街にあり、なんとホームバーがあった。どの家もまだ、朝、ふとんを上げて、そこにちゃぶ台を出して朝食を摂っていた時代である。
サントリーは儲かっているのだなと子供心に思った。