昔、まだカメラがモノクロしか使えなかった時代、フジフィルムとコニカのサクラフィルムは競っていた。しかし、いずれも老舗のコダックに勝てないでいた。
すぐに、カラーフィルムの時代になった。それでも、まだコダックに10年は遅れていた。コダックのカラーフィルムはラーメン一杯80円の時代に一本4000円もした。それでもコダックは品質が良いので売れた。
国産のカラーフィルムを作るのが写真業界の悲願だった。フジもコニカもがんばった。そして、昭和40年ころ、ついにフジが感度400のカラーフィルムを成功させて市場のトップに立った。
フジのフィルムの性能の割りにコダックのフィルムは依然として高価で、人気を無くして行った。コニカはついにフジを超えることができなかった。
フジもコニカもカメラを作っていた。でも、カメラではコニカのほうが上だった。フィルムではフジが上、カメラではコニカが上という時代があった。でも、カメラではニコンのほうが遥かに上だった。
フジは普通のカメラに見切りをつけ、使い捨てカメラで成功した。ここでもコニカは負けた。これではならじと、コニカは「100年プリント」というフィルムを出した。でも、フィルムが100年もつというのではなく、プリントが100年持つという意味だった。
ところがコニカは「100年プリント」という印画紙ではなくて、フィルムを出した。これは矛盾である。コニカのフィルムでコニカの印画紙以外にプリントされるのが常識となっていた時代である。「100年プリント」というのは消費者を欺くキャッチコピーだと当時の私は思った。
これでコニカは万策尽きた。あとはフジの独壇場になった。コニカはミノルタと合併して、コニカミノルタとして細々と生きなくてはならなくなった。
だが、フジの独壇場も長くは続かなかった。それはデジタルカメラの出現によってである。フジはもともとIT技術に優れていたわけではない。だから、フジのデジタルカメラは人気がない。フィルムを使う人口が激減してきた。フジも今後どうなるのか分からない。
私の短い半生で、これほどまでに優劣が入れ替わっている。今後、このような熾烈な競争が続けられると思うと、こういう世界に入らなくてよかったなぁとつくづく思う私である。
すぐに、カラーフィルムの時代になった。それでも、まだコダックに10年は遅れていた。コダックのカラーフィルムはラーメン一杯80円の時代に一本4000円もした。それでもコダックは品質が良いので売れた。
国産のカラーフィルムを作るのが写真業界の悲願だった。フジもコニカもがんばった。そして、昭和40年ころ、ついにフジが感度400のカラーフィルムを成功させて市場のトップに立った。
フジのフィルムの性能の割りにコダックのフィルムは依然として高価で、人気を無くして行った。コニカはついにフジを超えることができなかった。
フジもコニカもカメラを作っていた。でも、カメラではコニカのほうが上だった。フィルムではフジが上、カメラではコニカが上という時代があった。でも、カメラではニコンのほうが遥かに上だった。
フジは普通のカメラに見切りをつけ、使い捨てカメラで成功した。ここでもコニカは負けた。これではならじと、コニカは「100年プリント」というフィルムを出した。でも、フィルムが100年もつというのではなく、プリントが100年持つという意味だった。
ところがコニカは「100年プリント」という印画紙ではなくて、フィルムを出した。これは矛盾である。コニカのフィルムでコニカの印画紙以外にプリントされるのが常識となっていた時代である。「100年プリント」というのは消費者を欺くキャッチコピーだと当時の私は思った。
これでコニカは万策尽きた。あとはフジの独壇場になった。コニカはミノルタと合併して、コニカミノルタとして細々と生きなくてはならなくなった。
だが、フジの独壇場も長くは続かなかった。それはデジタルカメラの出現によってである。フジはもともとIT技術に優れていたわけではない。だから、フジのデジタルカメラは人気がない。フィルムを使う人口が激減してきた。フジも今後どうなるのか分からない。
私の短い半生で、これほどまでに優劣が入れ替わっている。今後、このような熾烈な競争が続けられると思うと、こういう世界に入らなくてよかったなぁとつくづく思う私である。