院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

フジとコニカ

2008-11-15 08:40:13 | Weblog
 昔、まだカメラがモノクロしか使えなかった時代、フジフィルムとコニカのサクラフィルムは競っていた。しかし、いずれも老舗のコダックに勝てないでいた。

 すぐに、カラーフィルムの時代になった。それでも、まだコダックに10年は遅れていた。コダックのカラーフィルムはラーメン一杯80円の時代に一本4000円もした。それでもコダックは品質が良いので売れた。

 国産のカラーフィルムを作るのが写真業界の悲願だった。フジもコニカもがんばった。そして、昭和40年ころ、ついにフジが感度400のカラーフィルムを成功させて市場のトップに立った。

 フジのフィルムの性能の割りにコダックのフィルムは依然として高価で、人気を無くして行った。コニカはついにフジを超えることができなかった。

 フジもコニカもカメラを作っていた。でも、カメラではコニカのほうが上だった。フィルムではフジが上、カメラではコニカが上という時代があった。でも、カメラではニコンのほうが遥かに上だった。

 フジは普通のカメラに見切りをつけ、使い捨てカメラで成功した。ここでもコニカは負けた。これではならじと、コニカは「100年プリント」というフィルムを出した。でも、フィルムが100年もつというのではなく、プリントが100年持つという意味だった。

 ところがコニカは「100年プリント」という印画紙ではなくて、フィルムを出した。これは矛盾である。コニカのフィルムでコニカの印画紙以外にプリントされるのが常識となっていた時代である。「100年プリント」というのは消費者を欺くキャッチコピーだと当時の私は思った。

 これでコニカは万策尽きた。あとはフジの独壇場になった。コニカはミノルタと合併して、コニカミノルタとして細々と生きなくてはならなくなった。

 だが、フジの独壇場も長くは続かなかった。それはデジタルカメラの出現によってである。フジはもともとIT技術に優れていたわけではない。だから、フジのデジタルカメラは人気がない。フィルムを使う人口が激減してきた。フジも今後どうなるのか分からない。

 私の短い半生で、これほどまでに優劣が入れ替わっている。今後、このような熾烈な競争が続けられると思うと、こういう世界に入らなくてよかったなぁとつくづく思う私である。

セイコー・エプソン

2008-11-14 08:25:26 | Weblog
 セイコー・エプソンの名前を知っている人は、けっこう年配である。

 昔、NECがPC98という国民的PCを出していたころ、懸命にそのコピー商品を出していたのがセイコー・エプソンである。機能は同じでNECの製品よりも少し安かった。

 セイコーと付くくらいだから、時計のセイコー社の関係か?本社はセイコー社もセイコー・エプソンも共に長野県の諏訪湖畔にあった。

 私はセイコー・エプソンを気の毒に思っていた。コピー機で食い繋ぐなんて哀れではないか?

 だがその後、Windowsの出現によって、NECのPC98はゴミになってしまった。でも、セイコー・エプソンは頑張った。プリンターなどに活路を見出したのである。

 いまや、エプソンはプリンターの一大メーカーである。いつの間にかセイコーの文字が取れて、エプソンとなった。現在ではTVでも宣伝している。不遇の時代に技術者を手放さない努力をセイコー・エプソンはしていたのだと察する。

 エプソン株式会社様、おめでとうございます。苦難の道を乗り越えてこられたのですから、今後も優秀な製品を我々に提供してください。

IPCCはもはや権威がない

2008-11-13 09:18:00 | Weblog
 IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の権威が、少なくともわが国では失墜している。

 地球は温暖化し、それは人為的なCO2 が原因だと言い切ってしまったのがIPCCである。

 IPCCは2600人の学者の集まりであり、科学的にものごとを考えていくはずの組織であった。それが出した結果が上記の結果である。

 気象庁も環境省もIPCCの提言を信じている。IPCCの見解を徹底的に論駁したのが、わが国の学者、池田清彦氏である。

 池田氏のデータに基づいた立論には説得力がある。少なくともIPCCのそれよりはよっぽどマシである。

 IPCCはひとつの結論を出すのではなく、せめて両論併記くらいにすべきである。2600人の学者全員が同じ意見であるというのは、極めて考えにくいことである。

 IPCCは機能停止している。というより害毒をばらまいている。

 わが国の気象庁も環境省も、いい加減IPCCを見捨てたらどうか。

オグシオって何?

2008-11-12 08:10:52 | Weblog
 オグシオが解散するってTVで報道されていた。でも、ちょっと待ってほしい。オグシオって何?可愛らしい女の子のペアくらいのことは知っているけれども、なんのペアなの?

 バドミントンっだったけ?それともビーチバレー?それを私は知らない。知らないからといって恥ずかしいとも思わない。

 オグシオの解散ってそもそもTVという公器で報道するほどのことなの?TVにはもっと重要なことを言ってほしい。

 同じことが新聞にも言える。女優Aが離婚したという。それが小さいながらも記事になっている。女優Aなら私も知っている。しかし、離婚したと言われたって、そもそも結婚したことを知らなかったのだもの、なんの情報的価値もない。

 もっとひどいのは女優Bが離婚したという記事がある。私はその女優Bという人そのものを知らない。そんなのが記事になるのだったら、日本中の離婚を記事にしなくてはなるまい。

 女性週刊誌だったら理解できなくもないが、TVや新聞がそんなことを報道していてはますますバカにされることになるだろう。10年以内にTV局も新聞も潰れるのではないか?

「お」と「ご」

2008-11-11 08:24:53 | Weblog
 ものごとを丁寧に述べるとき名詞の前に「お」や「ご」をつける。

 ただし例外があるようである。「鉛筆」には「お」や「ご」はつけない。「柿」にもつけない。

 法則性はないかと考えてみたが、見つからない。

 「あ行」で始まる名詞でも、「ご案内」のようにつけることがある。どうも慣用のようであるというところに落ち着いた。

ふぐ料理

2008-11-10 09:55:55 | Weblog
 私はふぐ料理が嫌いではない。でも、めったに食べない。

 おいしさの割りに、値段が高すぎるからだ。あんなに高くても好きな人は惜しげもなく食べる。ふぐのどこがおいしいのだろう。

 ふぐ料理の値段が高いのは、それだけ需要があるということである。不思議でならない。

 目隠しをしてこんにゃくの薄切りをふぐとして食べさせた実験があるらしい。テストされた人は皆それをふぐと思い込んだそうだ。

 そのような料理に私は何万円も払いたくない。

ニンジンのグラッセ

2008-11-09 08:28:22 | Weblog
 私は食べ物の好き嫌いは少ないほうなのだが、ニンジンがダメである。

 カレーライスにニンジンが入っていると、食欲が落ちる。私は漬物が好きだがニンジンの漬物はいただけない。

 きんぴらごぼうに入っているニンジンは、まあ食える。

 サラダには生のニンジンを入れないでほしい。

 ただひとつ、わたしが好きなニンジン料理は、ニンジンのグラッセである。これはおいしい。ステーキの付け合わせなどにニンジンのグラッセがあると、嬉しくなる。

 ニンジンのグラッセはニンジン料理の最高峰だと思う。グラッセならいくらでも食える。

小室哲哉の音楽

2008-11-08 08:35:39 | Weblog
 小室哲哉が詐欺容疑で逮捕された。でも、この欄ではそういうことを論じない。

 今回は小室哲哉が流行歌にどういう影響を与えたかを考えたい。

 小室哲哉の出現によってわが国の流行歌シーンは変わってしまった。それ以前と以後とで全然違うのだ。

 小室以前の流行歌に親しんでいる人たちは、小室出現によって流行歌が理解できなくなってしまった。そのような人々がカラオケで歌うのは小室以前の歌である。

 小室音楽は難しい。カラオケで素人が歌うほど簡単ではない。だから、小室音楽をカラオケで歌える人は小室以後の若者だけである。

 難しいだけではない。小室音楽は旋律が美しくない。だから、小室以前に親しんでいる人は小室にそっぽを向いてしまっている。

 実は私も小室音楽のどこが良いのか分からない。私が分かるのはせいぜい工藤静香あたりまでである。

 要は歴史の審判を待つよりない。小室音楽でスタンダードになれる曲がどれほどあるだろうか?私は小室音楽からスタンダードは出ないとにらんでいるのだが・・・。

浮浪者考

2008-11-07 11:40:50 | Weblog
 浮浪者を見かけなくなった。

 昔、浮浪者には2種類があって、ほんものの浮浪者と重症の精神障害者だった。重症の精神障害者は、風呂も入らず、髪も延ばしほうだいだった。

 彼らは何年もかけて次第に精神科病院に保護され、まともな生活が保障されるようになり、また治療もほどこされた。

 ほんものの浮浪者は、「おもらい」をして過ごしていたけれども、世の中が豊かになり、コンビニも期限切れの弁当を捨てるようになったので、「おもらい」はなくなった。

 ホームレスを浮浪者の現代版と呼ぶかどうか難しい。彼らは公園にテントを張り、自由気ままな生活を謳歌しているように見える。

 ときどきホームレスが羨ましくなるときがある。

大型テレビ

2008-11-05 17:14:42 | Weblog
 妻のたっての希望で液晶大型テレビを買った。それにしても大きすぎる。

 わが国の家屋は狭い。マンションなんてすごく狭い。そこに大型テレビを置いてどうするのだろうか?

 大型テレビは大きいから離れて見なければならない。6畳に大型テレビを置いたら、部屋のはじから見なくてはならない。

 私は日本での大型テレビの需要は頭打ちになると思う者である。家やマンションの大きさから当然そうなる。

 テレビ製造会社は、もっと家の広い国にターゲットを定めるべきである。わが国の狭い住宅事情をもっと考慮すべきである。

漁師になりたかったけれど

2008-11-05 08:11:00 | Weblog
 漁師はいい商売だと思う。なれるものなら、なってみたい。

 種まきや耕作も必要なく、ただ自然の恵みを採ってくるだけである。

 大漁ならかなり儲かる。不漁でも市場価格が上がるから、さして影響がない。

 ただ、私が漁師になろうとしても、漁業権という壁が立ちはだかっている。素人が漁業権なしに魚を採れば、密漁ということになってしまう。

 漁業権はほぼ世襲である。農家の後継ぎが減っているのに、漁師の跡継ぎが減ったとは聞かない。きっと、いい商売なのだろう。

 だが、先日の原油高騰で漁師がデモをやった。なぜだろう?農家が不作だからといってデモをやったという記憶はない。

 ちょっと甘いのではないか?これまで儲けておいて、原油価格が上がると「政府はなんとかしろ」とデモをする。

 あのデモで、私は漁師に対する敬意を失った。

コカコーラ

2008-11-04 12:27:00 | Weblog
 コカコーラがわが国へ入ってきたのは昭和30年代と記憶する。

 ひどく炭酸がきつく、あまりおいしいとは思わなかった。アメリカの味をそのまま持ってきたからである。きつい炭酸はアメリカの乾燥した風土には合っているかもしれないが、わが国では合わない。

 コカコーラは次第に日本人の口に合うように改良されて現在に至っている。

 コカコーラの前にもわが国にはコーラがあった。その名をウインコーラと言った。だが、この商品はコカコーラに駆逐されてしまった。コカコーラの宣伝がうまかったからである。

 ペプシコーラが入ってきたのは、ずっと後のことである。だから、いまだにコカコーラに追いつけないでいる。

国産ワインの嘘

2008-11-03 07:34:33 | Weblog
最近、国産ワインがおいしくなってきたと思っていた。甲州ワインなぞボルドーに引けを取らないではないか。

 だが、現実を聞いてがっかりしてしまった。10%でも国産ワインが入っていれば、国産と名乗れるそうである。甲州ワインの多くが、チリ産などのワインをブレンドというよりも、大部分が外国産だそうだ。

 30年ほど前、わが国ではワインがべらぼうに高かったころ、学会でフランスに行った。そしたら、ワイン1本100円から300円で、それがとてもおいしいのである。

 以来、私は日本でワインを買うことが馬鹿馬鹿しくて辞めた。

 それが30年たって、国産のワインがおいしくなったと喜んでいたら、ほとんど外国産ワインを混ぜてある知って愕然とした。

 日本はやはり日本酒がおいしい。外国産のワインを日本産と偽ったワインなぞ呑みたくない。

スピルバーグの映画

2008-11-02 08:25:48 | Weblog
このたびBSが見られるようになったので、スピルバーグの映画を初めて見た。

 それが今や世界的な名監督と言われているのに、ちっとも面白くない。

 E.T.を見た。子供だましではないか。特撮はみごとだった。しかし、内容に深みもなにもないのである。何を訴えたいのか分からない。

 ジュラシック・パークも見た。これも恐竜が特撮で出てくるだけで、人間の深奥に迫るところがない。

 がっかりしてしまった。スピルバーグとはこの程度の人物なのか。それなのに、どうしてこんなに人気があるのだろう。

 スピルバーグの出世作ジョーズは見ていない。たぶん同様に特撮オンリーで、深みはないと思うから、見るだけ無駄である。

 ハリウッドというところは、売れさえすればよいということを今更ながら知った。

「糟糠の妻」が絶滅した

2008-11-01 08:24:32 | Weblog
 昭和30年代の話が続いて恐縮だが、もう少しおつきあい願いたい。また、食い物の話が好きなので、それもお許しを。

 私のひい婆さんは糠漬けの名人と近所で言われていた。毎日、糠床を整えていた。そして、夏はどのくらいの時間漬ければよいか、冬はどうするかといったことを勘で知り抜いていて、絶妙のタイミングで漬物を糠床から取り出した。

 糠漬けは早いとナマ漬け、遅いと古漬け。塩加減が悪くてもダメな、きわめて神経質な料理なのである。

 昔から「糟糠(そうこう)の妻」と言い、長年連れ添った良妻の代名詞だった。「糟糠の妻」とは、毎日糠床を手入れして、本人が糠みそ臭くなってしまったような妻である。

 私が幼いころの糠漬けは本当においしく、どこでも食べられた。それが10年後には食べられなくなってしまい、現在では高級料亭でしか食べられないのではないか?

 第一、糠床のある家がなくなってしまった。うちにもない。糠漬けは非常に手のかかるものである。また匂いがよくない。マンションでは糠床を持つのは不可能だろう。

 こうして「糟糠の妻」という言葉は死語になった。それに匹敵するような妻たちは沢山いるだろうが、なにせ糠床がなくなってしまった。

 私は老後の楽しみに糠漬けを復活させようと、今から構想を練っている。