院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

トイレットペーパー

2007-06-15 13:23:09 | Weblog
 トイレットペーパーの幅は国によって違うそうだ。わが国のトイレットペーパーの幅はやや広いほうだという。資源保護の文脈で知った。

 そして、わが国のトイレットペーパーの幅は、メーカーが違ってもすべて一緒である。

 当然、ペーパーラックの幅も同じである。資源保護云々よりも、この統一性に驚く。

 トイレットペーパーの幅がJIS規格か何かで決められているのかどうか、資源保護の文脈には書かれていなかった。

利き腕

2007-06-14 13:03:49 | Weblog
 プロ野球の投手には一般人口に比べて、左利きの人が多いように思う。これは、なぜだろうか?

 仮説を立ててみた。

 一般人口で左利きの人を1割と見積もろう。右利きの社会で左利きを押し通すのだもの、彼らは「本物の左利き」である。

 ここからが仮説なのだが、実は「本物の右利き」というのも人口の1割程度しかいないのではないか?

 残りの8割の人は「どちら利き」でもなく、ただ世の中が右利き優位なので、練習して「右利き」なったのではあるまいか?つまり、生来的な右利きではない。

 野球の投手のように腕の高度なテクニックを要する仕事は、生来的な「本物の右利き」か「本物の左利き」の人にしかできないと、私は考えている。

 つまり「どちら利き」でもない人は、投手になる才能がないということになる。

 投手は右投げの人は「本物の右利き」、左投げの人は「本物の左利き」である。このような仮説を立てると、一般人口に比べて投手に左利きが多いことが、ある程度説明できる。

少人数学級

2007-06-13 09:55:26 | Weblog
 小学校の1クラスの人数を少なくせよという声が大きい。

 現在、1クラス40名だろうか。それでもまだ多いと私は思う。

 だが、究極の人数というと、教師一人当たり1名ということになる。いわゆる個人授業である。

 そこまで行けばよいのだろうか?現実的に無理という話以前に、小学校は社会性や団体行動を学ぶ場でもある。個人授業では、それが困難になりはしまいか?

 それなら、1クラス何名くらいが最適か?だいぶ昔、友人の小学校教諭に聞いたことがある。彼の目算は「30名くらいかなぁ」というところだった。

 私は、野球やサッカーなどの遊びが1クラスで成立するくらいが最適人数だと思う。すなわち、18名から22名である。

 とにかく現在の教諭は忙しすぎる。生徒の数を減らすべきであるし、まして免許更新制なんて余分に教諭の時間をとらせるだけで、無意味である。(問題教師をオミットしたいなら、もっと真正面から臨むべきである)。

蚊取り線香

2007-06-12 13:37:27 | Weblog
 蚊取り線香の季節になった。

 あの香りに郷愁を覚える。しかし、蚊取り線香の煙は有毒ではないのか?

 蚊取り線香は蚊をマヒさせるだけで、殺すわけではないから有毒ではないと言う人がいる。

 私は蚊取り線香を枕元に置いて、夜中に強い吐き気に襲われ跳び起きたことがある。蚊取り線香の煙を直接吸っていたのだ。

 だから、私は蚊取り線香は有毒だと思う。少なくともタバコの煙程度には有毒だろう。タバコ反対論者は蚊取り線香にも反対してほしい。

 電気蚊取りというのがある。これは化学物質で、明らかに有毒である。一時使用していたが、翌日頭痛がするので止めてしまった。

インスタント食品あなどれず

2007-06-11 12:57:45 | Weblog
 「カップヌードル」が好きだ。「赤いきつね」や「緑のたぬき」もおいしい。

 行政が災害に備えて「カップヌードル」を何万食と備蓄してあるそうだ。

 「カップヌードル」が出たてのころ、「変な食品だなぁ」と思ったし、あまりおいしいとは思わなかった。

 ところが、最近のおいしさはどうだ。たゆまぬ研究が行われ、改良されてきたのだろう。

 粉末のスープがこんなにおいしくなるとは、思ってもいなかった。どちらかというと、これまでインスタント食品をバカにしていた。でも、もうバカにできなくなった。

 「サッポロ一番」のように煮るタイプのインスタント食品はもっとおいしい。へたなラーメン屋よりもおいしいと思う。

 カップ焼きそばもおいしい。家庭で作るソース焼きそばよりもよほどおいしい。

 インスタント食品あなどれずといった心境である。

延命治療の中止

2007-06-10 11:29:40 | Weblog
 臨死の患者をわざと死なせたとして、女医が殺人罪で起訴されている。また、別の県では、内科部長が同じく臨死患者の呼吸器を外したとして問題になっている。

 こういう事件は、昔はなかった。なぜか?

 理由の一つは、延命治療が発達していなかったからである。

 もう一つは、昔も同じことが行われていたのだが、明るみには出なかっただけである。

 昔は、臨死患者を故意に死なせることは、よく行われていた。延命治療を打ち切るのは医師の裁量だった。

 裁量というと聞こえはよいが、要するに現在事件になっていることと同じである。

 ただ、延命治療の中止は、医師がいろんな状況を勘案してこっそり行っていた。孤独な苦しい決断で、医師はその事実を墓場までもって行った。決して口外しなかった。むろん誰にも相談しなかった。

 なぜ私がそんなことを知っているかというと、先輩に教わったからである。先輩は、医師は孤独な決断をしなければならないことがあると私に教えた。

 その「孤独な決断」が白日の下にさらされてしまったから、今回の問題は起きた。告発者はいずれも医療者である。

 医療者の中で(とくに医師と看護師で)考え方の共有ができない時代になったのだ。

 昔は、医師は孤独な判断で致命的な癌の告知をためらった。わずか10年前までそうだった。でも、今は違う。告知ができるようになったので、医師はずいぶん気が楽になった。

 延命治療の中止も同じである。医師が孤独な判断をせずに、みんなで延命治療の中止を決められるようになれば、医師はずいぶん楽になるはずである。

地球温暖化と温室効果ガス

2007-06-09 14:04:53 | Weblog
 今年のサミットは地球温暖化対策が大きなテーマとなった。

 何度も言っていることだが、私は2つの疑問を持っている。地球温暖化、温室効果ガスという用語がジャーナリズムに出ない日はない。だから、それに関する私の疑問点を再度掲げる。

 (1)本当に地球温暖化が起こっているのだろうか?今は「第4間氷期」と言われている。第5氷河期に向け、億年の単位で見れば、地球は寒冷化していくのではないか?

 (2)CO2 が温暖化ガスと言われるが、本当か?人間が排出するCO2 は、火山活動が噴出するCO2 より多いのだろうか?

 ジャーナリズムは素朴にも、CO2 は温室効果ガスである→人間がCO2 を排出している→地球が温暖化する、という図式を信じ込んでしまっている。いずれの項目もアカデミックに実証されたとは、少なくとも私は聞いていない。

 そういう報告なり論文があるなら見せて欲しいと、私はここで何度も言ってきた。でも、そのような報道はまったくない。

 話は飛ぶが、子供のころ国語の試験で「ジャーナリズムの反対語は何か?」と問われて答えられなかった。正解はアカデミズムだそうだ。回答を聞いても、意味が分からなかった。

 しかし、今なら分かる。要するにジャーナリズムはテキトーなのである。それに対してアカデミズムは厳密である。

 本当に地球温暖化が起こっているのか、CO2 は本当に温暖化ガスなのか、今こそアカデミズムが出てきて、黒白をつける時である。

「味の素」

2007-06-08 13:52:11 | Weblog
 昔、私の祖母は漬け物に「味の素」をかけて食べていた。

 醗酵してグルタミン酸が増えておいしくなった漬け物に、さらにグルタミン酸そのものである「味の素」をかけるのは邪道のような気もするが、当時はそれがはやっていた。

 幼児の私は「味の素」をじかにかけるのが嫌いだった。食べ物がザラザラした感じになる。

 今、東南アジアのどこかの国で「味の素」かけるのがはやっているという。その国を訪問した人は、これをかけるとおいしいからと現地の人に「味の素」を勧められるそうだ。

 わが国より50年遅れて、「味の素」の「じかがけ」が流行していることになる。

「7%の法則」

2007-06-07 08:27:40 | Weblog
 海外生活を経験しても、バイリンガルになれる人は7%くらいだろうと、いつぞや書いた。海外生活が長すぎても、今度は日本語がおぼつかなくなり、バイリンガルにはなれない。

 いろんな技芸にこの「7%の法則」が通用するというのが、私の感触である。

 碁や将棋が好きな人で、アマ初段以上になれる人は、7%程度だろう。小さいときからピアノやバイオリンを習っていて、大人になってからも、人前で恥ずかしくない演奏ができるようになる人も7%くらいである。(あとの93%は、そうはならない)。

 鉄棒で蹴上がりできるようになる人は7%くらいである。あとの93%は、いくら練習しても蹴上がりができるようにはならない。

 ジョギングが好きな人で、フルマラソンを走れるような人は7%くらいだと思われる。小さいころから野球少年で、高校野球の地区予選にでられるようになる子も7%程度である。

 パソコンが好きな人の中で、独力でプログラムが組める人は7%である。(BASICがはやった時代、BASICをモノにできるのは7%だという統計を見たことがある)。

 東大入学希望者の中で、実際に東大に入れるのは7%くらいだと考えられる。

 あらゆる技芸に「7%の法則」が見られる。7%というのは正確な数ではむろんなく、1割には満たないというほどの意味である。

 ここに紹介しなかった技芸でも、一応のレベルに達する人は7%くらいしかいないはずだから、自らや周辺をそういう目で見直してみてほしい。

近未来の車

2007-06-06 07:25:03 | Weblog
 車を運転するときにはシートベルトの着用が義務づけられている。エアバッグを搭載した車もある。

 これらの装置は、車が衝突することを前提として装備されている。

 センサーやコンピュータ制御がこれだけ発達している時代に、上記の装置はいかにも時代遅れに感じられる。

 先端技術を用いれば、衝突しない車というのが作れるばずである。ただコストがかかり過ぎるので、原始的な装置でごまかし、交通事故を絶えなくさせているのだろう。

 もっと言えば、そもそも人間が運転する車というもの自体が原始的である。目的地を選べば運転しなくても自動的にそこへ運んでくれる車も、もはやSF的とは言えない。

 私の目が黒いうちに、そういう時代が来るだろう。

病原性大腸菌O-157

2007-06-05 13:04:27 | Weblog
 最近、O-157は話題にならなくなった。でも、いずれまた発生するだろうから、O-157にまつわる誤解を解いておきたい。

 O-157は大腸菌の一種に過ぎない。普通の無害な大腸菌より、特別に感染力が強いわけではない。

 ここが、みんな誤解するところである。無害な大腸菌は誰の腸の中にもいて、むろん症状がない。O-157はベロ毒素という毒素を出すので症状が出る。違いはそこだけで、別にO-157が特別に感染力が強いわけではなく、感染力は普通の大腸菌と同じである。

 前に、かいわれ大根が汚染源にしたてあげられたことがあったけれども、あれは最初から奇妙な調査だった。O-157がかいわれ大根に付いているのなら、無害な大腸菌も一緒に付いているはずである。無害な大腸菌さえ検出されなかったのではないか?だとしたら、あれは厚生省による冤罪事犯と言うほかはなく、厚生省は厳しく糾弾されてしかるべきである。

 ちなみに、わが国で一番最初にO-157を見つけたのは、私の大学の先輩で、勤務医時代の病院の先輩でもあった故西村豊先生(小児科)である。

南極観測隊

2007-06-04 12:32:37 | Weblog
 南極観測はいまでは地味な活動になってしまったが、始まったころはすごかった。日本中が応援した。

 小学生だった私は、南極観測のドキュメンタリー映画を映画館で食い入るように見た。当時では珍しいオールカラーだった。

 南極観測船「宗谷」は憧れの的だった。「宗谷」が氷に閉じ込められ、ソ連の「オビ号」に救出されたときは、なんだかがっかりした。

 越冬隊も憧れの対象だった。極寒の地で冬を過ごすなんて、すごいではないか。

 NHKの紅白歌合戦では、必ず「宗谷」からの電報が披露された。国民がみな「宗谷」に熱狂し、プロレスに狂奔した時代だった。

 友人の父親に「宗谷」の乗組員(観測隊にあらず)がいて、南極の氷を食べさせてもらった。強い圧力がかかっている氷なので、水に溶かすとソーダ水のようにピチピチと空気が跳ねた。

 「宗谷」が引退し、次の南極観測船は「ふじ」と言った。別の友人の父親が、その艦長だった。私は南極観測になにかと縁があった。

 「ふじ」の次は「しらせ」だった。装備は格段に進歩しており、もう「オビ号」の助けを借りることはなかった。

 先年、同僚医師が「しらせ」で越冬隊の医師として南極へ行った。自分で志願したら選ばれたらしい。うらやましかった。星を見るのが好きな男で、星の撮影してばかりしていたそうだ。(屈強な男たちの集団だから、医師の出番は少ないという)。

 私は南極の氷のボーリング調査に期待している。氷の層を見れば、いつ地球が冷えたり温暖化したりしていたかが分かるからである。現在喧伝されている地球温暖化は、億年の単位で見れば、ゴミみたいなものではないかと思うが、ボーリングをすれば、それが証明されるだろう。

焼き鳥屋とおでん屋

2007-06-03 13:45:55 | Weblog
 焼き鳥屋とおでん屋が激減した。

 昔は両方とも屋台でやっていた。屋台自体がなくなったと同時に、焼き鳥屋、おでん屋もなくなった。寂しい。

 屋台群は大部分、ビルの中に入ってしまった。屋台の風情がなくなった。

 私が愛用している焼き鳥屋がある。ただし、それも屋台ではなくなって、戸建てである。まず、キャベツがない。屋台の焼き鳥屋は、キャベツを角切りにして出した。それを、弁当箱のフタになみなみと注がれたウスターソースで食べた。それも無くなった。

 焼き鳥と言えば安いに決まっていた。それば今は高い。寿司屋なみである。

 おでん屋もなくなった。あるにはあるが、ネタがひどく凝ってしまって高い。

 昔は屋台で、おでんを2,3本食べて、コップ酒を呑んで、それで百円くらいだった。

 今、そういう安い酒場はどこがその役割を果たしているのだろうか?カップ酒の立ち飲み屋がはやっていると聞いた。しかし、カップ酒の銘柄にこだわりがあり、昔の立ち呑み屋とは違う。

 先進国の仲間入りを果たしたわが国は、そうした安い呑み屋を壊滅させてしまったのだろうか?

 私は、おでん2本とコップ酒だけで満足できるので、高級感はまったく必要性を感じない。

行政マン・Tさん

2007-06-02 08:31:09 | Weblog
 20年以上前、私がまだ名古屋市役所・衛生局に籍を置いていたころ、かなり年上の行政マンのTさんと知り合った。

 Tさんは品格があり、あらゆることに該博な知識をもち、若造の私を立ててくれて、理想的な人物だった。

 最近、Tさんから連絡があり、小説を出版したから買って読んでくれという。その本を買った。面白い小説だった。Tさんは、もうじき70歳である。すごいバイタリティーだと思った。

 でも、もうひとつ驚いたことがあった。著者略歴の欄から、Tさんは大学を出ていないことを知った。てっきり一流大学出身と思い込んでいた。彼の知識、とくに美術史に関する知識が尋常ではなかったからである。

 彼は一流高校の出身だった。あの高校なら、普通は一流大学に行くコースである。でも、Tさんは大学に行っていない。

 Tさんに何があったのだろうか?経済的な問題でも生じたのだろうか?詳細は分からないが、本人に聞くわけにも行かない。

 Tさんが高校3年生のときに、相当に悩んだことは想像に難くないが、役所時代に彼はそんなことをオクビにも出さなかった。偉大な人である。

精神障害者の作品の展示即売会

2007-06-01 13:01:16 | Weblog
 精神障害者が作業療法などで作った作品を展示即売することがある。

 場所はデパートの催事場フロアを借り切って行う。

 20年ほど前、私が精神障害者のリハビリ施設の所長をしていたころ、そういう会に参加したことがあった。

 作品は陶芸、木工、七宝焼き、籐細工などである。素人が作った作品だもの、そんなに上等なものがあるわけはない。だから、値段は市価の5分の1程度に設定され、デパートのフロア代もまかなえなかった。

 その会に参加して驚いた。

 デパート開店と同時に、主婦と思われる女性陣がどっと入場してきたのである。彼女らは作品を見る目があって、値段よりも格段に良くできた作品を大量に買いしめた。特に籐細工が人気だった。

 彼女らのピラニアのような貪欲さのために、開店30分後には、出来の良い作品はすべて売り切れてしまって、あとにはカスばかりが残った。

 その後から来たお客さんは、作品の出来の悪さに辟易としたことだろう。出来の悪い作品は、別の精神障害者が買っていった。

 それにしても、主婦たちの生活感覚の凄さに驚嘆した。同時にまだ若かった私は、人生勉強もさせてもらった。