院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私の能楽遍歴

2011-11-10 07:19:26 | Weblog
 中学生のとき、Uちゃんというアダナの国語教師が「このクラスの中で本物の能を見たことがある者はいるか?」と問うた。一人もいなかった。高校生になってJiというアダナの古文教師が「能のバックで演奏している人たちを何と言うか?」と問うた。みな曖昧な答えしかできなかった。正解は囃し方である。

 何度も教師が能について語るので、能とは日本の古典芸能として、そんなに重要なものなのかと思って、私は水道橋の能楽堂に一人で見に行った。演目は「葵の上」というものだった。初めに説明があったから筋は分かったが、楽しめたとは言えなかった。ただ、囃し方の演奏はすごいと思った。

 家の近くに能楽堂があったので、そこにも行ってみた。その時は「袴能」と言って、面や衣装を着けない能だった。そのためか、入場料もとても安かった。席は椅子ではなく、桟敷だった。これも全然意味が分からなかった。面や衣装なしだから、余計に。

 同時に演じられた狂言は分かった。太郎冠者、次郎冠者が出てきて滑稽な劇を演じる。能よりも台詞が聞き取れるので、意味は分かったが、大笑いするほど滑稽ではなかった。

 大学生になってからも、能を今の妻とデートで見に行った。相変わらず意味が分からず、したがって面白くもなかった。でも、囃し方がすごかったので、能の「紅葉狩り」というレコードを買って、聴いていた。

 それから、20年間くらい能とは無縁の生活をしていた。ひょんなことから、妻が大鼓(おおつづみ)(その筋では大皮(おおかわ)という)をやり始めた。気に入ったらしく、もう10年以上も大鼓の練習をしている。

 私も影響されて、能管(能の笛)を2年間習った。若いころから管楽器をやっていたおかげで、能管の演奏はどんどん上達した。しかし、謡(うたい)との合わせ方が分からない。

 やっと能の基本のすべては謡にあると分かった。だから、演奏をするにも舞いをするにも、まず謡が十分にできなければなんともならないことがようやく分かった。私は謡を習う気はなかった。だから、能管も止めてしまった。

 妻は謡が分かるし、実際に謡うことができるから楽しいらしい。月に1,2回は能を見に行く。私も最初のうちは付き合ったが、とても退屈で、とうとう能からは手を引いてしまった。

 けっきょく能を楽しむことは、私にはできなかったけれども、能に関する知識だけは付いてしまった。心から能を楽しめる妻が羨ましい。