名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

2014年5月の寺だよりに掲載しました 珍名

2016年10月27日 12時08分27秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 最近、珍名とも呼ぶべき奇妙な名前が増加している。大宙(てん)、月(あかり)、虹実(ななみ)、獅雄(れお)等々。名付け親にはそれなりの言い分があるのだろうが、子供に不利益をもたらすことはあっても、良いことはない。私立小中学校の受験、就職活動は言うに及ばず、他の子供にからかわれることになる。
 吉田兼好は徒然草の中で、寺の名前を語った後で、「人の名も見慣れない文字を付けようとするのは益のないこと。何事も珍しいことを求め異説を好むのは、教養のない人がやることだ」と書いている。例えば、「希星」と書いて「きらら」、「絆星」と書いて「きら」と読ませたい親がいるようだが、「きらら」や「きら」というのは雲母のこと。忠臣蔵の仇役吉良上野介の吉良は、雲母の産出地に由来する地名だから意味があるのだ。我が子をウンモにして何がうれしいのやら。
 歌人の俵万智は、「覚えやすくて 感じよく 平凡すぎず 非凡すぎぬ名」が良いと歌った。名言である。訳あって「英麿」と名付けられた私は、この名前のせいで、子供時代から何度となく不愉快を経験してきた。その私が言う。子供のことを考えるなら、親の自己満足は捨てて、珍名は避けた方が良いと。

2014年3月の寺だよりに掲載しました アショカ王

2016年10月27日 12時06分26秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 アショカ王は、古代インド・マウリヤ朝の第3代国王。生年没年は不明だが、王位にあったのは、紀元前268年頃から232年頃だと言われている。インド史上、インド亜大陸を統一した最初にして最後の国王である。
 父ビンドゥサーラ王に疎まれて育ったようで、反乱軍鎮圧を命じられたときに、父である王から軍備も与えられなかったという逸話が残っている。親に嫌われて育った腹違いの弟ならグレて当然。ということで、父が亡くなると、後継者とされていた異母兄を倒して王位に就く。
 王位に就くと、自分を軽んじる官僚や自分を嫌う女官を、五百人ほども殺した。更に、インド亜大陸南部に勢力を張る宿敵カリンガ国を滅ぼし、十万人以上を殺したと、彼自身が磨崖に彫らせている。付いたあだ名が暴虐のアショカ。
 ところが、カリンガを征服し、インド亜大陸を統一してからは、一転して領土拡張主義を捨て、ダルマ(人倫の法)による統治に切り替える。仏教に帰依し、仏教以外の宗教も保護し、多くの仏塔を建立した。仏教伝道にも尽力し、スリランカ、ベトナム、タイなどに仏教を伝えている。
 世間ではあまり知られていないのに、坊主だけがこの王様に詳しいのは、そういう事情があるから。

2013年10月の寺だよりに掲載しました 古紙再生

2016年10月27日 12時05分31秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 日本の製紙会社が会員になっている「日本製紙連合会」という組織がある。インターネットに公表されているこの会の2012年の資料が興味深い。

 紙の原料になる木材 (天然林は管理された天然林)
輸入1086万トン  国産490万トン
人工林材 88% 21%
天然林材 04% 30%
製材残材 01% 43%

 この数字が正しいとすると、日本の製紙産業はほとんど森林破壊をしていない。もし、数字が怪しいとすれば、賄賂の横行する中南米やアジアの国々だろう。ひょっとすると、木材として使えない低品質木と偽って、良質の天然林材を輸出しているかもしれない。それでも、せいぜい全輸入量の3%程度にしかならない。
 製紙が森林を破壊していないのならば、紙のリサイクルに神経質になるのは滑稽だ。紙のリサイクルでは、運搬加工に多くのエネルギーを消費する。実際、日本製紙は、石油の使用量が2倍以上になることがあるとして、5年以上前に、古紙100%の再生紙の生産を止めてしまった。
 無理をして再生するくらいなら、再生紙などは、ゴミとして燃やした方が、環境には良いかもしれない。ゴミ焼却場といえども、生ゴミをそのまま燃やすことなどできないから、石油燃料を使っている。紙を燃やせば、この石油の使用量は減らせるはずである。

2013年8月の寺だよりに掲載しました 友引

2016年10月27日 12時02分36秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 友引(ともびき)の日に葬式をすると、友を引く(=友が死ぬ)と言う人がいる。これは迷信。友引は、本家中国の六曜(ろくよう)では留引だったが、訛って「ゆういん」になり、友引と表記されるようになった。そして、陰陽道の友引(ゆういん)日と混同されて、友を引くことになってしまった。本来は、ある状態が続く(留引)という意味でしかなかったのに。
 仏滅も仏教とは無関係で、元は「空亡」と言い、これを、すべてのものが虚しいと解釈して、物滅と呼ぶようになった。この物の字が仏に変わって、今日に至っている。仏(釈迦)とは全く無関係。
 このような誤った解釈が広まったのは、江戸後期、文化文政時代だと言われている。文化文政時代は、江戸文化の爛熟(らんじゆく)期だ。爛熟というのは、熟れすぎ、腐りかけということ。少し前の表現を使えば、エロ・グロ・ナンセンスの時代だったということ。こういうつまらない迷信も、まことしやかに広がったのだろう。
 明治になって、太陽暦が採用されたとき、歴注(れきちゆう)(日の吉凶の注記)は政府によって禁止された。これによって、北斗七星の動きを元にした十二直、陰陽道の九星、十干十二支などは消えていったが、六曜だけは禁止されず、そのために、今日まで残っている。

2013年5月の寺だよりに掲載しました 言葉の変化

2016年10月27日 11時59分34秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
 「五月(さつき)晴れ」という言葉は、昔、梅雨の合間の晴れを意味した。旧暦では、梅雨は五月だったからである。ところが、新暦に変わってからは、梅雨が6月になってしまった。そこで、5月の晴れも五月晴れと呼ぶようになった。更に、旧暦の「さつき」ではなく「ごがつ」なのだからと、「ごがつばれ」と読むこともある。
 単語の意味が変わるだけではない。基本的な文法さえ変わっていく。最近では、「ら抜き」表現がこれに当たる。「見られる」「食べられる」など、上一段、下一段活用する動詞の可能を表す場合に、「見れる」「食べれる」と、「ら」を抜くのである。私は決して「ら抜き」表現をしないが、すでに、若者の間では、かなり定着しているように思う。
 言葉が変化するのは今に始まったことではない。清少納言は、『「出んとす」「言わんとす」を「出んずる」「言わんずる」と書く』と、「枕の草子」で嘆いている。しかし、彼女が嘆いた「むずる」という助動詞は、その後、日本語として定着したが、「言わんとす」同様、今では全く使われない。
言葉の変化の善し悪しを論じても、詮無いことだと思う。