名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

桐のタンス

2018年08月30日 11時49分21秒 | 昔の記事

 「インドネシアのある地方では、子供が産まれると、庭にバナナの木を1本植える。」という話を読んだ。子供が大きくなるまでの間、そのバナナは、子供の大切な食料になるという。

 この国でも、農村では、かつて娘が産まれると、庭に桐の苗を植えた。娘が嫁ぐ日に、この桐でタンスをあつらえて、嫁入り道具にして持たせるためである。親は、丹精込めてその桐を育てたのだろう。

 貧しさゆえの習慣と言えばそれまでのことかも知れない。しかし、そこには、親の愛情が、分かり易く目に見える形で表現されていた。

 そういう意味では良い時代だった。今は、親の愛情もお金に換算されてしまう。子供が通う小学校の費用が引き落とされた預金通帳を前にして、ふと、そう思った。


ひな人形

2018年08月30日 11時47分54秒 | 昔の記事

 ある人にひな人形の処分を頼まれた。昔から何かと言い伝えがあるから、自分で捨てたり焼いたりするのが恐かったのだろう。私の寺へ話が持ち込まれた。別に人形供養をなりわいにしている寺ではないが、簡単なことなので、引き受けた。

 焼却炉で焼くと、古い人形だったせいか、思いの外よく燃えた。もちろん、人形が悲鳴を上げたりすることもなかった。

 ただ、燃えた後の灰を掻き出していたら、土でできた人形の首から上が、そのままの形で出てきた。髪の毛も目も眉もなくなった人形の首というのは、不気味である。火かき棒で首をくずしながら、人形を処分するのをいやがる理由が判ったような気がした。

 思えば、これまでにも奇妙な依頼を受けてきた。お墓に人の顔をした苔が生えたから何とかしてくれ、土と混じったお骨を新しい骨壷に移してくれ、等々。そのたびに、タワシで墓をこすったり、お骨を掻き出したりしてきた。

 「人形もお墓もお骨も恐くない。本当に恐いのは人間だよ」とつぶやきながら。


メンマ

2018年08月30日 11時45分11秒 | 昔の記事

 悲しい「メンマ」の物語である。「メンマ」は、昔、「支那竹(しなちく)」という名前だった。しかし、戦争には負けたくない。昭和21年6月21日、アホな外務省が、国内の各新聞社・雑誌社に対して、次のような局長通達を出したのである。

 「支那という文字は中華民国として極度に嫌ふものであり、現に終戦後、同国代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があったので、今度は理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様にしたい云々」。

 そして、言論の自由を主張するはずのマスコミも、今日に至るまで、これまた「理屈抜き」で、この通達に従ってきた。この時から、「メンマ」は、生き延びるために、「支那竹」という名前を捨てた。ただ、「メンマ」は、幸いに、竹の頭のやわらかい部分だったから、少しは、この事態を考えた。

 もし、この通達が、連合国統治下のやむを得ない処置だったならば、なぜ、日本は、講和条約締結後、独立を期に通達を撤回しなかったのか。もし、「支那」が差別用語だというならば、なぜ、同じ語源の英語のチャイナは差別用語ではないのか。もし、日本が「支那」を侵略したから差別用語になるというならば、なぜ、アヘン戦争に始まって、99年の長きに渡って、香港を支配してきた英国は、チャイナと呼べるのか。

 最近、また、街で「支那そば」(=ラーメン)という看板を見かけるようになった。「メンマ」は、ひょっとしたら自分も「支那竹」と改名できる日が来るかも知れない、と期待している。


うなぎ

2018年08月30日 11時43分08秒 | 昔の記事

 とある養殖場のウナギ達の話。

ウナギA みんな知っとるか。なんでも、聞くところによると、地獄という恐ろしいところがあって、オレ達も、最後は、そこへ行くらしい。

ウナギB どう恐ろしいんや。

ウナギA 地獄へ行くと、オレ達はみんな、頭に釘を刺されて、腹を裂かれてしまうそうや。しかも、その後、串刺しにされて、おまけに火であぶられるという話や。

ウナギC 何をアホなこと、言うとるねや。わしらの生活見てみい。3度の食事はきちんと食べられるし、衛生状態も申し分ない。こんな、わしらが、なんで地獄へ行かないかんね。第一、お前、その地獄へ行って、様子を見てきたんか。

ウナギA いや、見てきた訳やないけど...。

ウナギB それやったら、機嫌よう生きとるもんに、つまらんことを聞かすなよ。

一同 せや、せや。


健康診断

2018年08月30日 11時42分25秒 | 昔の記事

 健康診断を受けた。正確には、受けさせられた。まず、準備と称して、自分の糞を2日にわたって、麻雀の点棒のようなスティックでなでたりつついたりして採らされた。当日は朝から飲まず食わずで検診。紙コップに尿を採らされ、血を抜かれ、あげくはバリウムとかいう白いどろりとした液体を飲まされ、胃をガスで膨らまされた。こうしておいてから、エロ写真のモデルよろしく、変な姿勢でX線写真を撮られる。仕上げは下剤で、久しぶりに下痢までさせて貰った。

 健康診断とは言うが、これで判るのは、せいぜい五病か十病。死に至る病は星の数ほどあるから、五病十病を免れたとて、健康とは言えまい。それに、病気と判ったからといって必ず治るわけでもないし、事故、災害で死なぬという保証もない。阪神大震災で亡くなった人の中にも、健康診断を受けていた人は大勢いたはずである。あの人達にとって、健康診断とは何だったのか。

 帰り際に、健康管理のパンフレットをたくさん渡された。健康管理と言えば聞こえは良いが、要するに肉体管理である。河川管理に通貨管理、そして肉体管理。現代は、本来、管理不能なものを管理しようとムキになる時代なのかも知れない。