名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

アマゾンから本が届いた

2016年12月31日 20時43分43秒 | 日記
 宅配便が年末で超多忙だと知りながら、アマゾンで本を注文しました。以下の4冊です。



 自分で言うのも何ですが、相変わらず統一感のない選択ですね。







さて、これから除夜の鐘の準備です。
11:30頃から撞き始めます。我が煩悩、百八つどころではないので、来年に持ち越しですね。

それでは、良いお年を。

新年の準備

2016年12月30日 22時27分11秒 | 教行寺・寺務関連

 新年に合わせて、あれこれ買い物をしました。
まずは、壁掛け式の電波時計を2台。カシオのIQ-2000J-8JFです。集会所と居間の時計です。共に動かなくなっていたので、古い時計を引っ張り出して使っていました。



普通の壁掛け時計より一回り大きくて、文字が見やすく、夜にライトが点灯するのが特徴です。そのかわり、電池は単2が2本必要です。

 続いて、電球型蛍光灯がいくつかダメになっていたので、今時の電球型LEDを購入しました。



LEDの点灯回路の設計や使用部品の信頼性を考えて、国産品を選びました。東芝にしたのは、単に、家電量販店でこれが一番安かったからです。

 そして、墓の花立て。



 ご覧の通り、個人墓です。歴代住職の墓が並んでいます。



 これは、当寺初代蓮藝権律師(れんげい・ごんのりっし)の墓です。蓮藝師については、Wikipediaのこちらを参照して下さい。
 蓮藝師の墓の後ろに写っているのは、蓮藝師の劣化コピーである私が入る予定の墓です。アハハ
ちなみに、この墓石の形は、坊主用です。無縫塔(むほうとう)、芋墓(いもばか)、卵塔(らんとう)などと呼ばれています。無縫塔についての解説はこちらです。

 これは、先代住職の墓。岡大医学部の教授でした。



 私が、字面のバランスを考えて、法名に旧字を使うと、新字を使えと煩く言う父でした。そこで、先代住職の院号法名は、すべて新字で構成しました。軽い感じがして、父に相応しい気がします。エヘヘ


クリスマス

2016年12月25日 01時13分50秒 | 日記
 寺ですから、さすがにクリスマスとは無縁ですが、毎年、25日には、昼過ぎに投げ売りされているケーキを買います。その私が、今年はクリスマスケーキを買いました。



 シンゴジラのクリスマスケーキです。ゴジラの絵がプリントされているのを除けば、ごく普通のチョコレートケーキです。



 クリスマスケーキはどうでも良いのです。このゴジラの絵皿が欲しかったのです。アハハ

 今年も、大晦日(31日)には除夜の鐘を撞きます。午後11時30分頃、開始です。翌日(1日)の午前0時15分頃には終了します。お時間のある方は、どうぞお越し下さい。

たけくらべ その2

2016年12月19日 00時53分13秒 | 日記
 まだ、「たけくらべ」ネタで引っ張ります。(苦笑)

 廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまえ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社(みしまさま)の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂(でんがく)みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、

前回は、たけくらべの最後の一節を引用しましたが、これは冒頭部分です。

 当時の町並みの模型が台東区立一葉記念館にあります。

 吉原遊廓は、昭和33年の売春防止法で消滅し、地名も、台東区千束4丁目に変更されて、現在では、「吉原大門(おおもん)」という交差点名だけが残っています。私が大学生の頃、今から40年ほど前には、「吉原郵便局」という特定郵便局がありましたが、今は別の名前になっています。グーグルの地図はこちら

 お歯黒溝(ドブ)というのは、この千束4丁目の周囲を囲っていました。遊女の逃亡禁止、周辺からの隔離などを目的として造られたもののようです。三嶋神社は下谷3丁目、吉原の西に有り、この三嶋神社と吉原の間の下谷竜泉寺町に、一葉は住んでいました。

 まあ、そんなこんなを図書館で調べながら、高校生の私は、遊廓ヲタクへと育っていくのです。





たけくらべ

2016年12月13日 18時17分37秒 | 日記
 前回の、「全国遊郭案内」繋がりです。

 龍華寺の信如が我が宗の修業の庭に立出る風説をも美登利は絶えて聞かざりき、有し意地をば其まゝに封じ込めて、此處しばらくの怪しの現象に我れを我れとも思はれず、唯何事も恥かしうのみ有けるに、或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞く其明けの日は信如が何がしの學林に袖の色かへぬべき當日なりしとぞ。

 青空文庫に収められた樋口一葉の「たけくらべ」の最後です。
 私がこの小説を最初に読んだのは、高校生の時でした。京都大学出身の非常勤講師が現代国語の教材として選んだのがこの物語でした。生意気盛りの私は、「これのどこが現代国語やねん!!」とツッコミを入れましたが、完全に無視されました。

 主人公の信如と美登利は、14歳くらいで、高等小学校の同級生。信如は寺の跡取り息子、美登利は吉原遊郭で働く姉を持つ娘。二人は、お互いに惹かれながら、幼さゆえに自分の気持ちに正直になれず、小さな行き違いのまま別れます。青春の入り口に立った男女の淡い恋物語の最後が、上の引用文です。勝手に現代語に訳すとこんなものでしょうか。

 龍華寺(りゅうげじ)の信如が、自分の宗旨の修行に出るという噂さえ、美登利は聞かなかった。意地をそのまま封じ込めて、ここしばらくの怪しい様に、自分を自分とも思えず、ただ何事も恥かしく感じていた。そんな日々を送っていたある霜の立つ朝、水仙の造花を格子門からさし入れて置いた者があった。誰の仕業か知るよしもなかったけれど、美登利はなぜか懐かしい思いがして、違い棚の一輪挿しに入れて、淋しく清らかな姿をめでた。自然に耳に入ってきた話では、その日の明け方は、信如がどこかの学林で修行僧になる当日だったとか。

 今となってはどうでもいい話ですが、私がこの小説に心動かされたのは、中学生の時、本当に好きな人がいたからです。信如同様、自分の気持ちを伝えられないまま卒業し、別々の高校に進学してからは文通をしていました。文通ですよ、文通。今のように格安の携帯もスマホもネットもない時代、親に内緒で公衆電話で山と貯め込んだ10円玉を入れながら、僅かな時間、話をするくらいしかなかった時代でした。
 寺の跡取りの信如に感情移入し易かったのかもしれません。相手の女の子が抱えている事情も、うすうす感じていましたし。アハハ。

 とにかく、私が遊郭に興味を持ったのは、「たけくらべ」を読んだせいです。変な高校生でしたねえ。