名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

親鸞聖人のお戸帳

2022年08月29日 17時06分00秒 | 教行寺・寺務関連
住職の娘です。

前回の輪灯に引き続き、親鸞聖人の『お戸帳新調計画』です。

輪灯と同じく、とりあえず、お世話になっているあみだ堂まんだらやさんでお願いしました。

本堂では、ご本尊の次に大切な御開山(ごかいさん)親鸞聖人…そのお戸帳が数年前から限界に達していました。

金襴で、祖母(91歳)曰くたぶん100年以上かけっぱなし。
すでに生地の糸が劣化していてどうしようもなくなっています。
自重に縦糸が耐えきれず、自然と切れて落ちてきている状態です。
写真で見ると、地の朱色と流れのある花柄のコントラストが美しいお戸帳であったことがうかがえます。

御本尊、御開山、蓮如上人のお戸帳の中でも古いものだと思われます。
輪灯の磨きに出すのと同じくして、このお戸帳も新調させて頂こうとと、ゴソゴソ動いています。



今日の午前に、様子を見にご足労頂きました。
お逗子(ずし・安置するための扉付きのもの)全体の採寸も難しく、脆くなっている台の上に上がれない為、計測だけで大変ご苦労なさってくださいました。
さて、肝心のお見積はこれからです。

正直、昔とは糸の質からして違うので、今のこういった品物の質と価格を考えると、今かかっているお戸帳よりも良い品は準備できないと思います。
本来は、今のものがとても美しいので、修繕というか、お仕立て直しができると1番いいのですけども。
どうなることやら。
急ぐことでもありませんし、いろいろ相談させて頂きながら、よく検討したいと思います。


↑いちおう蓮如上人のほうも採寸して頂きました。


時代の流れや自然の劣化、災害により、大変傷んでいる本堂ですが、今に至って多大なる御仏縁の末に、このご本尊を預からせて頂いております

全ては阿弥陀様のお慈悲とお同行様の変わらぬご支援のおかげと、深く感謝申し上げます。

南無阿弥陀仏




修繕つながりの余談…という名の、自分への尻叩き。
お彼岸までに、本堂の障子の破れたところを自分で修繕したいと思います。
しかし、場所が高い!誰か重たい脚立を移動させて、下で支えておいてくれないかしら…😅


本堂の輪灯:修繕

2022年08月27日 15時18分00秒 | 教行寺・寺務関連
住職の娘です。
 
お盆期間も終了して、お参りもすくない時期になりました。
この落ち着いた時期こそ、除草作業やメンテナンス…
ということで、本堂の内陣にある「輪灯(りんとう)」です。
 
写真では、↓赤く丸をつけています。

この輪灯一対は、天井からぶら下がっているもので、金属の塊でできているため非常に重量があります。
昔は、油を使ったお灯明でしたが、今は電球です。

お盆に、内陣のお荘厳(しょうごん)をおこないましたが、その準備中に悲劇はおこりました。
作業中の夫が、この輪灯に頭をおもいきり打ちつけてしまったのです…イタタ。。
衝撃により、輪灯にのっていた小さな部品が吹き飛び、落下。
結果、破損してしまったのでした。

↑折れてしまったので、くっつけるしかありません。
ただ、ボンドで!というわけにもいきませんので(^_^;

取り急ぎ、あみだ堂まんだらや三田店さんにお願いして、修理していただくことになりました。
今回の破損に関しては、夫にお願いしたいと思います。笑
 
そして、写真からもわかるとおり経年の変色や汚れが気になっていたので、これもご縁だと思い、磨きにだすことを検討しています。
以前から、変色などに関して周囲の方々も気にかけてくださっていたことですので。
ただ、正直、あまりの重さに、不慣れな夫(←椎間板ヘルニア)と二人で下ろしたり戻したりということは、怪我と破損のリスクが高いと判断いたしました。
餅は餅屋ということで。
まずは、あみだ堂まんだらやさんでお見積もりをお願いした次第です。
 
これ以外に修繕が必要な大きな箇所は多くあるのですが、なかなか手が回らず難しいのが現状です。
取り急ぎ、内陣で必要だと思われるところを頑張りたいと思います。
 
最後に、こうして修繕やメンテナンスをおこなうことができるのは、教行寺を支えてくださる門信徒の方々のおかげです。
心より感謝申し上げます。
 
南無阿弥陀仏
 
 
追記
また経過報告させて頂きます。
 
 

収穫、追肥、コンポスト☆山寺時間

2022年08月21日 12時26分00秒 | 日記

住職の娘です。

今年、初めてカボチャを植えたところ、なんとか無事に1個は収穫できました。

初物です。
 
ナスも初めて植えたのですが、夫が無謀にも種から育苗したので、やっとここ数日でいくつか花芽がつき、これから収穫時期といった感じです。

正直、苗の弱々しさや酷暑のせいで、虫が集ってきて大変でした。
弱っている部分から養分を吸い上げたり、葉をかじっていくのは本当ですね…当初はあまりの虫の多さにビビりました。

夫は虫除けに竹酢液を噴霧したり、私は油かすで追肥や脇芽とりと、なんとかナスの苗が虫に負けないようにサポートしていました。
追肥は、粒状の油かすです。
夫に、油かすは高いと渋られましので、私の持ち出しとなりました。
個人的には、油かすは高いだけあると思うのですが…
そんなこんなで、背丈も葉っぱも急に大きくなってきて、虫も減ってきました。
虫に関しては経過を観察します。


キュウリの苗(これも種から)は、第一弾が枯れてきました。
虫の温床になってきたので、早急に撤去しました。
なぜか、連作障害への意識が薄い夫が「これを抜いたら、今育っているキュウリの苗、第二弾を植える」などと申しましたが、即却下!
虫の餌やりのような、無駄なことはやめましょう。。
 
キュウリを抜いた跡地は、とりあえず掘り起こして土作りの予定です。
夫には時間がないので、私がすることになるのでしょうか。
ここを掘り返したら、雑草や落ち葉、糠もあわせて埋めてしまおうと考えています。
腰を痛めない程度に頑張ります。


さて、話はかわってコンポストです。
JA直売所「農野花(ののはな)」で、糠をもらってきました。
コンポストに投入して、堆肥になるのを助けてもらうつもりです。

今日は、雨があがって土がゆるんでいたので、涼しい午前中は除草作業。
普段は土が硬くて根まで抜けない場所を、ガリガリと掘り起こしながら雑草抜きをおこないました。

作業時間2時間で、バケツ約3杯分。
本当は軽く乾燥させたほうがいいのですが、種が飛散するのがイヤで…そのままコンポストへ。

今日の雑草投入でコンポストが満杯になってしまいました。
さて、ここまできたら、上から土を投入してかぶせておいたほうがよさそうです。
糠サマ、どうかお助けください!
 
ちなみに、葉っぱをメインに入れたコンポストには、雑草や残飯などは投入していません。
堆肥の一種である「腐葉土」を作りたいときには、やはり葉っぱだけでゆっくり熟成させたいと思っています。
堆肥作りは長期計画なので、事前に夫と意思疎通しておかないと「そんなつもりじゃなかったのに!」と揉めるもとになりかねません。
のんびり継続していきます。
 
 
最近は、SDGsなどでコンポストや堆肥作りが再び注目されているようです。
私たちは、祖母が使っていたコンポストを引き継ぎましたが。笑
私自身、数年前、段ボールで生ゴミ処理(コンポスト風)も試してみたことがあります。
しかし、梅雨時は湿気により段ボールの底が抜けたり、ゴキブリ系の虫が段ボールの底に住み着いたり、乾燥しすぎて生ゴミがカラカラになってしまいうまく分解処理されなかったりと難しかったです。
生ゴミ処理機という機械もありますが、どうも清潔に維持したり、メンテナンスは必要な様子。
正直、ゴミ処理で清潔を維持することは大変ですし、機械は不具合がおこると途端に粗大ゴミとなってデッドスペースを作りますしね。
ある程度場所に余裕があるなら、夫や私のようなズボラ者には、シンプルなコンポストが手間暇かけずに管理することができて最高だと思い至りました。
結局、虫も匂いもある程度許容(というか共生)して、今は気楽に1メイン、2サブ、3オマケとコンポスト3つを運用しています。
 
合掌
 
 

乾電池式のお灯明

2022年08月18日 11時06分00秒 | 仏教・宗門関連
住職の娘です。
 
おかげさまをもちまして、昨日17日の盆法要は雷鳴とどろく中、なんとか無事に勤まりました。
お盆期間中、お参りくださった方、ご自宅でお勤め頂いた方、さまざまなかたちでご協力頂いた方々に心より感謝申し上げます。

今日は、お盆も終わって、そのネタか?と思われるようなお灯明のご紹介です。

 
ご覧の通り、乾電池式キャンドル型のLEDろうそく…いや、太い絵ろうそくに似せたLEDキャンドル?
とにかく、和洋折衷の雰囲気を醸し出すお灯明です!
写真の商品は、カメヤマ株式会社がだしている「いろは あかり」。
お世話になっている「あみだ堂まんだらや佛具店 三田支店」さんで展示してあるのをみて購入しました。
 
 
 
昔から、ろうそくは火の消し忘れや、燭台(ろうそく立て)の転倒などで、日本特有の木造住宅(畳文化)火災の大きな要因のひとつでした。
他には、ろうそく立てを水洗いした後に水滴が残っていると、ろうそくの火が尽きる瞬間、パチッと火花が散ることがあり、火花の飛んだ畳からじりじりと失火する可能性もあります。
近年は、安全のため、さまざまな種類の電気式のろうそくが仏具店に並ぶようになりました。
私がよく目にするのは、電源を必要とするコード有りのもの、コード無しの乾電池式の二種類です。
 
 



↑乾電池単三を2本。

リモコン付きというのは、初めてみました。
手を伸ばして、裏のスイッチをゴソゴソするよりもスマートです。
ただし、この小さなリモコンを紛失しないように気をつけなくてはいけませんが…
 
 
91歳の祖母は、未だにひとりで毎日お勤めしています。
お灯明は、無明を破する仏の智恵の光をあらわします。
お勤めの際には、できるだけお灯明をあげたいものです。
ただ、祖母に一人でろうそくは使わせられませんので、お灯明を上げることをここ数年控えてもらっていました。
かといって、コードも危ない…Web上でもキャンドル型を見ていましたが、どれが良いのかわからないため購入には踏み切れず。
そんなとき、お線香を買いに行ったあみだ堂まんだらやさんで、偶然見つけたのがこの「いろはあかり」です。
一目見て祖母が好みそうだと思い、小さいサイズを一つ購入してプレゼントしました。
祖母自身、指先が不自由に感じているので、このお灯明もリモコンも喜ばれました。
このお灯明の光が、少しでも不自由な祖母のなぐさめとなりますように。
 
南無阿弥陀仏

短めのお経(笑)

2022年08月15日 09時45分18秒 | 仏教・宗門関連

住職の娘です。

この新型コロナの中でも、気をつけるべきことには気をつけて、しかし、お経はいつも通り仏説阿弥陀経(時々、正信偈)をお勤しています。

 

仏説阿弥陀経は、俗に「小経」とよばれるくらい浄土三部経のなかでは短めのお経です。ちなみに浄土三部経(じょうどさんぶきょう)とは、以下の三種です。

 

・仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう):大経

・仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう):観経

・仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう):小経

 

「無量寿(仏・如来)」とは阿弥陀仏(如来)の別称でもあるので、三部すべて阿弥陀仏に関して書かれたお経であります。

 

まぁ、短めのお経といっても読経時間10分!とは参りません。

早口言葉のような高速で読経してもよいなら、いい線いくかも?程度です。

ただ、そんな「はやく終わらせたい」気持ち満々のお経は、み仏の心にも、人の心にも沿っているとは思えません…娑婆のワタクシの都合で必要なときはあるかもしれませんが。汗

 

 率直に申し上げれば、お経が長すぎて嫌いになるくらいなら、長くて続けられないなら、意図して「時短」にするのも自然なことで、そんなお経も悪くはないものだと考えています。実際のところ、浄土真宗は天台宗をもととして、仏具などは簡便簡略化し、お経の節なども一般に真似しやすい在家用に変更されてきたものであります。そして、「いつも、みんなで」唱和できることを徹底し実行されたのが、「浄土真宗中興の祖」である蓮如上人です。その根底には、読経を修行としない浄土真宗ならではの考え方。また、お経にかける労力の軽重、回数、時間の長短によって、仏様が人間を区別なさらない、善し悪しをいわれないことが理由になります。毎日、ご仏前に座して心をかけておられるのが、なにより大切で尊いことだと思われます。

 

 時々、「短めのお経はありませんか?」とか「ええとこだけ、お願いしますわ」と言われることがあります。私自身、そうおっしゃるお気持ちはよくわかります!しかしその際に、私がお返しできるのは「浄土真宗で、文言の数が少ないのは『重誓偈(じゅうぜいげ)』というお経です」と申し上げるくらいです。まずもって、「お経」に善し悪し、上下は言えません。お経は、少なくとも日本という国に限定しても、1000年以上の時を超えて、今、私たちのもとへ届いた「み仏の願い」のエッセンスです。このエッセンスをわからないなりに自らがよんで耳にして、繰り返すことで、そのみ仏の願いを自身の心を少しずついただいてゆく。ついでに、読経する私の声が、誰か近くで耳にする方へ、み仏の願いを間接的にお伝えするという意義ある行為だと考えています。現在制定されている浄土真宗のお経が、既にある程度有意義に凝縮されているのに、浅学な私の都合で「中略」とできるはずもありません。ですから、「ええとこを」とか「有り難い部分だけ」というお経のリクエストはご勘弁ください。

 特に、年回忌法要などの仏事の場合はおよそ定石のお経などが、宗派で決められております。いくら施主様にお願いされたとしても、しがない一僧侶としては「えー、ちょっとそれは難しいです~(笑)」といって、読経をスピードアップさせていただくくらいが関の山なのです。

 

 そして、日常的にお勤めする「短めのお経」と申しますと、先にあげた「重誓偈(じゅうぜいげ・じゅうせいげ)」になります。これは、浄土三部経の大経『仏説無量寿経(上巻)』から五言四十四句を抜粋した内容です。節もなく、所謂「棒読み」で最初から最後までお唱えします。浄土真宗において、この大経は最も重要なお経と位置づけられており、この抜粋部分自体が非常に意義深い場面であり文言でありますので、短めのお経(笑)では、こちらをオススメしたいと思います。

 

南無阿弥陀仏