名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

前坊守が少し回復しました

2023年11月22日 10時20分00秒 | 日記
住職の娘です。

一時期、体調が悪化していた祖母(前坊守・92歳)ですが、宝塚第一病院に入院し、適切な処置を受けたおかげで10日ほどで退院しました。
その後、施設に戻り、現在は良好な状態を保っています。

施設での面会には制限があるため実際に会うことは難しいですが、個室に置いているAlexaでテレビ通話をしながら2人で日々のことなどいろいろ話しています。

実は、今月、富山県高岡市伏木にある勝興寺さんへ個人研修旅行と称して参拝してきました。
この勝興寺さんに、昔、名塩教行寺から入寺した人がいるという記録があります。

その研修旅行の学びの内容をふまえて、私が
「書庫を整理していたら、おじいちゃんも20年ほど前に行ったことがあったことあったみたい!帰った後に知って、なんか感慨深かったわ」
というようなことを祖母に話して聞かせたところ、
「へぇ~!そう言われたら、いっとき富山によく行ってたような気ぃするなぁ…
でも、どこに何しに行ってたか知らんかったわ」
と笑っていました。

私もニヤニヤしながら、
「どうせ何してるかなんて興味なかったんやろ~。
おばあちゃんも仕事で忙しかったやろうし。
いっつも、おじいちゃんの『独り言』やったもんね」
と返しますと、
「まぁ…せやな。
なんか話してたけど、あんまり聞いてなかったわな」
とあっけらかんな言葉。

所謂「離婚の危機」もなく長年連れ添う夫婦とは、これくらいのこだわりのなさと鷹揚さが必要なのかな?と思うような、サラリとした気持ちの良い反応でした。


祖父が亡くなった後、こうして祖母と2人で祖父やそれに付随することを話したり聞くことができるというのは、本当に有り難いものだと感じています。
勝手な思いですが、祖母にはもう少し元気でいてほしいと願ってやみません。

南無阿弥陀仏



思い出すこと

2023年11月06日 20時49分48秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載
娘のお許しが出た寺だよりの原稿

私が「ちえ」に再会したのは、高校生の時だった。1960年代の終わり、彼女はスーパーマーケットのレジで袋詰めの補助をしていた。まだ少し麻痺の残る手で、かいがいしく働いていた。彼女とは、幼稚園で同じクラスだった。かけっこをすると、男子のビリは生来デブの私、女子は運動麻痺のある「ちえ」だった。幼稚園の頃に比べると、彼女の麻痺はかなり軽くなっていた。リハビリという言葉も障害者雇用も一般的でなかった時代、彼女が働くということは、今よりはるかに大変だったに違いない。

もちろん、私もそれなりに一生懸命生きていた。小学校6年生で50mを11.7秒で走っていた私は、中学に入学して柔道部に入り、高校に進学してからは、柔道部の部長になった。しかし、ひねくれたデブの期間が長かった私は、その後、あらぬ方向へ進む。
70年安保闘争の余波は地方の県庁所在地にまで及び、世間はささくれだった雰囲気に包まれていた。岡山大学の学生が、高校の正門でビラを配り、校内に入り込んでアジ演説をしていた。彼ら左翼を投げ飛ばして職員会議にかけられ、チンピラと喧嘩をして、岡山県警の柔道部の先輩に処分保留で助けられたり。

あの頃の私は、青春の隘路に迷い込んで、暗い目をしてさまよっている凶暴な若者だった。そもそも、スーパーマーケットで支払った金も、良からぬ方法で手に入れたものだった。しかし、あの時、スーパーマーケットを出た私は、ほんの少しだけ明るい目をしていたような気がする。