名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

西宮名塩駅で人身事故

2017年01月24日 18時01分09秒 | 名塩・周辺地域関連

 神戸新聞の記事です。

JR名塩駅で事故 宝塚-篠山口間で運転見合わせ

 23日午後6時ごろ、兵庫県西宮市のJR宝塚線西宮名塩駅で男性が新三田発尼崎行き回送電車にはねられ、死亡した。JR西日本によると、運転士が駅を通過する際、ホームから線路内に立ち入る男性を確認し、非常ブレーキをかけたが間に合わなかったという。西宮署が男性の身元確認を進めている。

 JR西によると、宝塚-篠山口間で上下線とも約1時間20分運転を見合わせ、32本が最大約2時間20分遅れて約1万9千人に影響した。

この記事を読む限りでは、転落事故ではなさそうですね。長い人生には、様々なことがあります。私だって、人に言えない辛いことをたくさん経験してきました。正直、死にたいと思ったことも一度ならずあります。

でもねえ、死に急いではいけませんよ。急がなくても、やがて死ぬ定めなのですから。死んでいく本人はそれで良いかもしれませんが、残された家族は、死ぬまでやりきれない思いを抱き続けることになります。私もまた、そういう遺族の一人です。

列車への飛び込みは、特にいけません。大勢の乗客に迷惑をかけるだけでなく、運転士の心に、生涯消えない傷を残して苦しめることになります。更に、嫌なことを言うようですが、飛び込みだと判明したら、遺族にJRへの損害賠償責任が発生します。

繰り返しますが、死に急いではいけません。

 


「正義の味方、庶民の味方」は営業政策

2017年01月19日 23時09分08秒 | 昔の記事

2004年に書いたものです。

 テレビや新聞は、庶民の味方である。この点は間違いない。しかし、テレビや新聞は、庶民の味方をすることが正義だと考えているわけではない。テレビや新聞にとって、庶民の味方をすることは、単なる営業政策でしかない。

 これは、少し考えれば解ることである。例えば、テレビ。放送局の収入は、企業からの広告料である。広告主は、インスタントラーメン屋や、歯磨き粉屋である。ジェット機のコマーシャルなど見たことがない。金持ちでも庶民でも、一度に食べるラーメンは1食分である。一度に使う歯磨き粉の量も、金持ちと貧乏人で大きな差はない。それならば、より数の多い庶民の味方をした方が、視聴率が稼げる。視聴率が稼げれば、広告料を高く設定できる。広告料が高くなれば、テレビ局の収入が増える。つまり、訳の分からない広告に踊らされて、シャンプーやラーメンを買う馬鹿な庶民の味方をした方が儲かるのである。

 新聞の場合も事情は同じ。お金持ちも庶民も、一人1部しか、新聞を買ってくれないから、お金持ちの味方をするより、庶民の味方をする方が、売り上げを期待できる。これまた、庶民の味方をする方が儲かるのである。

 更に言わせてもらえば、当然のことながら、テレビ局の人間は、庶民であることが立派なことだとは考えていない。その証拠に、テレビ局に勤める職員の給料は、庶民より上等である。例えば、大卒の職員の場合、四十歳までに、年収1千万円を越えている。テレビ局に勤めるというのは、オイシイことなのである。
もうひとつ、嫌味を言わせてもらえば、馬鹿を騙す広告を作っている奴らの給料は、テレビ局の連中よりも更に良い。例えば、私は、博報堂の社員で、四十歳にして年収1千5百万円の男を知っている。




新聞の販売部数が減っているらしい

2017年01月19日 20時33分22秒 | 日記

 本日、所用で某食堂の厨房を訪ねたら、床に段ボールと新聞紙が敷かれていました。敷かれていたのは神戸新聞。そうそう、こういうときに便利なんだよね、新聞紙は。以前は、保育園でも新聞紙欲しさに定期購読していたのですが、ゆっくり新聞を読む時間のない職場なので、購読を止めました。新聞紙が欲しいときは、檀家さんにお願いして、貰っています。高齢者世帯では、新聞をゴミの集積所に運ぶのも大変なので、皆さん、喜んで提供して下さいます。中には、玄関へ古新聞の束を置いて、私が回収するのを待っておられるお家もあります。

 当寺が新聞を定期購読しなくなったのは、1989年です。この年、3%の消費税が導入されました。その前年、新聞各社は消費税導入反対を主張していましたが、ある時期を境に、急に静かになりました。当時の自民党小沢一郎幹事長がマスコミに与えられた優遇税制の廃止をちらつかせたからだと言われました。 マスコミの優遇税制には、減価償却期間の短縮、1989年まで法人事業税免除、輸入新聞用紙の関税免除などがあります。これらを廃止すると脅したのです。

 これを知って、私は新聞の購読を止めました。彼らが振りかざす正義は、所詮、営業上のポーズに過ぎないと思い知ったからです。

 さて、その新聞の販売部数が絶賛減少中だそうです。

 去年の8月の記事ですが、ガベージニュースに、

全紙マイナス、毎日は4%強の下げ率で300万部割れまぢか…新聞の販売部数などをグラフ化してみる(2016年前半期・半期分版)

というのがありました。

 詳しくは記事を読んでいただくとして、記事のグラフだけ貼っておきますね。

 判りやすいですねえ。ついでに、各紙の販売部数のグラフも。

 ビジネスジャーナルには、

朝日新聞、4年間で発行部数105万減の衝撃…新聞業界、存亡の危機突入へ

という記事もあります。これまた、詳しくはリンク先の記事を読んでいただくとして、表だけ貼っておきます。

   

これも時代の流れですかねえ。

 

     

 


コンコトは雪の中

2017年01月15日 19時18分29秒 | 日記

 前回、書いたように、当地では、左義長(とんど)の前触れとして、厚い木の板を叩きます。これを、コンコトと呼びます。

 今年の「コンコト」は、降りしきる雪の中、神社の世話人が上がってこられました。午前3時45分から打ち始め、30分ほど続きました。あまり長く叩いていると、文句が出るそうです。いずれ当寺の除夜の鐘も目の敵にされるのでしょうかね。何を言われても無視しますが。

 民法の不法行為について、受忍限度論というのがあります。簡単に言うと、

 生きている以上、誰かに迷惑をかけられ、誰かに迷惑をかる。

 その迷惑が我慢(受忍)の限度を超えたら不法行為になる。

という話です。つまり、その音が、平均的、客観的に観て、我慢の限度を超えるなら、音を出すのを止めろということです。

 除夜の鐘やコンコトのように、1年に一度、1時間程度、昔からの風習として行っているものが、裁判所に不法行為と認定される確率は低いと思います。

 今朝の鼓楼です。

 


左義長(とんど)

2017年01月13日 23時18分55秒 | 名塩・周辺地域関連

 左義長は、正月の注連(しめ)飾りや門松を焼く行事です。当地では、「とんど」と呼んでいます。今年は、1月15日の早朝に、名塩八幡神社で行われます。

 寺とは無縁の行事ですが、名塩では、当寺の鼓楼(太鼓堂)で、木の厚板をバチで叩いて、開始の合図にする習わしです。これを「コンコト」と言います。発せられる音をそのまま呼び名にしています。

これが、燃やされます。下の写真は、2010年1月11日の午前4時40分に撮影したものです。

 結構、迫力がありますよ。