アショカ王は、古代インド・マウリヤ朝の第3代国王。生年没年は不明だが、王位にあったのは、紀元前268年頃から232年頃だと言われている。インド史上、インド亜大陸を統一した最初にして最後の国王である。
父ビンドゥサーラ王に疎まれて育ったようで、反乱軍鎮圧を命じられたときに、父である王から軍備も与えられなかったという逸話が残っている。親に嫌われて育った腹違いの弟ならグレて当然。ということで、父が亡くなると、後継者とされていた異母兄を倒して王位に就く。
王位に就くと、自分を軽んじる官僚や自分を嫌う女官を、五百人ほども殺した。更に、インド亜大陸南部に勢力を張る宿敵カリンガ国を滅ぼし、十万人以上を殺したと、彼自身が磨崖に彫らせている。付いたあだ名が暴虐のアショカ。
ところが、カリンガを征服し、インド亜大陸を統一してからは、一転して領土拡張主義を捨て、ダルマ(人倫の法)による統治に切り替える。仏教に帰依し、仏教以外の宗教も保護し、多くの仏塔を建立した。仏教伝道にも尽力し、スリランカ、ベトナム、タイなどに仏教を伝えている。
世間ではあまり知られていないのに、坊主だけがこの王様に詳しいのは、そういう事情があるから。
父ビンドゥサーラ王に疎まれて育ったようで、反乱軍鎮圧を命じられたときに、父である王から軍備も与えられなかったという逸話が残っている。親に嫌われて育った腹違いの弟ならグレて当然。ということで、父が亡くなると、後継者とされていた異母兄を倒して王位に就く。
王位に就くと、自分を軽んじる官僚や自分を嫌う女官を、五百人ほども殺した。更に、インド亜大陸南部に勢力を張る宿敵カリンガ国を滅ぼし、十万人以上を殺したと、彼自身が磨崖に彫らせている。付いたあだ名が暴虐のアショカ。
ところが、カリンガを征服し、インド亜大陸を統一してからは、一転して領土拡張主義を捨て、ダルマ(人倫の法)による統治に切り替える。仏教に帰依し、仏教以外の宗教も保護し、多くの仏塔を建立した。仏教伝道にも尽力し、スリランカ、ベトナム、タイなどに仏教を伝えている。
世間ではあまり知られていないのに、坊主だけがこの王様に詳しいのは、そういう事情があるから。
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