名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
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2017年10月の寺だよりに掲載しました 源信和尚(げんしんかしょう)

2017年10月20日 10時54分11秒 | 愚僧独言・「寺だより」掲載

 仏教の宗派を名乗るためには、三つの条件を満たさなければならない。一は根拠となる経典、二はその経典の解釈、三はその教えの継承者。この三条件が満足できなければ、仏教系新興宗教と呼ばれる。
 浄土真宗では、継承者として七人の高僧を挙げる。親鸞聖人がその六番目に数えたのが源信和尚(げんしんかしょう)である。平安時代中期の人で、七歳の時に父と死に別れ、信仰心の篤かった母の勧めで、九歳で天台宗(比叡山)に入門する。
 聡明な人だったようで、わずか十五歳で、法華経八巻を四日で講義する法華八講の講師に選ばれる。その時、天皇から頂戴した褒美を母に贈ったところ、諌言(いましめ)の和歌と共に、品物が送り返されたという。
『後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき』 後世に人々を導く僧になってほしかったのに、世渡り上手な坊主になるとは悲しいことだ、くらいの意味だろうか。 母の言に従い、源信和尚は、比叡山の横川に隠棲して精進を重ね、後に、日本初の浄土教解説書、往生要集を著す。
 その往生要集の中に、「歍(くちす)ひ抱(いだ)きて淫楽(いんぎょう)せん」云々という言葉が出てくる。歍は元々、鳥がくちばしで突き合うという意味なので、この文は、抱き合ってキスをすることだと判る。つまり、平安時代の人々も、抱き合ってキスをしていたのだ。
 もっともらしく話を始めておいて、オチはそれかい!!
と言われるかもしれないが、今回のオチはこれである。人間など、今も昔も大して変わっていないのだ。