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峰の薬師堂跡

2014-01-29 20:58:01 | 日記

村上義光の墓を探して走る。
大駐車場の手前にあった。
前から気になってたので見つけて嬉しい。
義光の墓のすぐ隣に峰の薬師堂跡なるものを発見した。
石碑と説明版があるだけで、後はただの空き地。

明治初年まで瓦葺の大きなお寺があったが、廃仏毀釈で取り壊され、本尊の薬師如来は行方不明となり、石造不動明王は如意輪寺の境内に移され、今も近畿36不動尊の第三十番難切不動尊として厚い信仰を受けているそうだ。




吉野神宮 丈六平

2014-01-28 23:07:33 | 日記

吉野神宮の駐車場に気になる碑がある。
ここへは何度も来ているが、あまり気にした事がなかった。

「吉野神宮」の在る辺りは吉野山の北端で「丈六平」と呼ばれます。
昔は「勝福寺」と云う修験寺院が在り、身の丈1丈6尺の蔵王権現を祀っていたそうです。
俗に「丈六山一之蔵王堂」と呼ばれていました。



吉野神宮 建武中興関係神社

2014-01-28 22:27:38 | 日記

手水舎は凍っている。
寒い筈です。
建武中興関係神社というのがある。
湊川神社くらいなら行けそうだが、まだ行った事がない。
近い内に行ってみたいものです。

建武中興十五社とは、建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社である。
これらの神社は「建武中興十五社会」を結成している。
後醍醐天皇による建武の中興は、それまでの武家中心の社会を天皇中心の社会に戻そうとしたものであった。
これは、明治維新によって江戸幕府から実権を取り戻し明治政府を樹立した明治天皇にとって意義深いものであり、明治以降、建武の中興に関った人々を祀る神社がその縁地などに作られた。



吉野神宮

2014-01-28 22:06:56 | 日記

小雪舞い散る中、若干の不安を抱えながら吉野山を車で登る。
道路は大丈夫の様で、9時24分に吉野神宮に到着。
それでも境内にうっすらと雪がある。
かなり寒い。
いつもの事だが誰もいない。
シーズンオフだから余計です。

吉野神宮は、奈良県吉野郡吉野町に鎮座する後醍醐天皇を祭神とする神社。
建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣大社である。
旧社名 吉野宮。
南朝の後村上天皇は、父の後醍醐天皇が延元4年(1339年)に崩御した後、その像を吉水院に安置した。
以降、仏教式の供養が行われていたが、明治時代に入って神仏分離により明治6年(1873年)に吉水院を後醍醐天皇社という神社に改めた。
2年後に吉水神社と改称して後醍醐天皇を祭神とする神社となった。
このとき太政官政府は官費(国費)で別の神社を創建する考えを表明したが、そのまま棚上げになって時が経った。
明治22年(1889年)6月22日に、後醍醐天皇を祀る官幣中社吉野宮の創建が、明治天皇の意向で決定した。
明治25年(1892年)に社殿が竣工して、吉水神社から後醍醐天皇像を移して遷座祭が斎行された。
明治34年(1901年)に官幣大社に昇格し、大正7年(1918年)に吉野神宮に改称した。

なお、社殿はかって後醍醐天皇が京都の御所へ帰還される事を熱望されていた心情を汲んで、京都の方角を向き、北向きに建てられています。