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南木の本の光蓮寺門前に碑がある。
高さ145㎝の自然石に、”稲城址”と刻してあり、昭和14年の建立によるものである。
聖徳太子が物部守屋をその居館のあった阿都に攻め寄せた時、守屋は兵を集めて、此の地に稲城を構えてたてこもり、抗戦したといわれる。
稲城は稲で囲った城とか稲t積みの城とか伝えられている。
物部守屋の阿都桑市の館が太子堂辺りから木の本にわたる地域であったことを語るものである。
なお、光蓮寺は若江山光蓮寺といい、浄土真宗本願派に属す.
寺伝によれば、中世には若江郡の稲葉(現 東大阪市役所付近)において法燈をつぎ光蓮寺となし、慶長年間(1596~1615)に現地に移転したという。
文明7年(1470)に、蓮如上人によって、天台宗から浄土真宗に転宗した。
住職は「稲城」とういう苗字である。
稲積みの城址で歴史上一番古い城址という。