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大鳥大社3

2014-10-28 21:03:28 | 日記

境内に富岡治郎翁顕彰碑というのがある。
調べてみたけど良く分かりません。
この日は昼前だというのにガラガラです。
七五三が始まった様で、チラホラおられました。
境内のいたるところにロープが張られていたり、柵というか、扉で塞がれてました。
七五三対策でしょうか?
子供が迷子になるといけませんからね。

大鳥大社2

2014-10-26 19:57:12 | 日記

境内に日本武尊の像があります。
でも木も生い茂って、灯篭もゆがんで、状態は良くないかも。

大鳥大社由緒略記
当社は醍醐天皇延喜式神名帳所載の名神大社であり、月次新嘗の官幣に預かり、 和泉国の一の宮として、歴代皇室の御尊崇極めて篤く殊に防災雨祈の御祈願社八十 五社の一つであって、しばしば臨時奉幣に預かり、御神階も清和天皇貞観三年七月 には従三位に叙せられ後正一位に御昇階になりました。
御祭神日本武尊様は景行天皇の第二皇子で、その武勇は広く知られているところ でありますが、社伝によりますと日本武尊が東夷御征討の帰途、にわかに病におか かりになり、伊勢国能褒野に於て死去あそばされ、その御屍は白鳥と化して飛び去 り給い、最後に当所に来り留まられましたので、社を建立して尊様をお祀りしたの が当社の起源であって今から約一、八五0有余年前であります。
また、大鳥連祖神様は、この和泉国に栄えた神別であられ大中臣と祖先を一にす る大鳥氏と言う部族の先祖をお祀りしたもので、新撰姓氏録には天児屋根命を祖先 とすると伝えられております。
当社は明治四年五月祭神日本武尊として官幣大社に 列格になりましたが、明治九年一月天覧に供しました官社祭神考証においては、祭 神大鳥連祖神とせられ、明治九年以来この説が公のものとせられていたので、以来 当社の歴代宮司は度々御祭神の御変更方を禀請致しましたが、ついに明治二十九年 十月三日付を以て、「上奏相成候官社祭神考証に於て大鳥連祖神と確定相成居候条 左様御承知有度」との時の内務省社寺局長の通達回答がよせられて、当時としては これ以上は神社側の主張を通す方法はなかったのでありましたが、偶々昭和三十二 年六月二十八日付にて、祭神日本武尊増祀の御允許を得ることとなり、ここに御祭 神に関する問題も決裁し日本武尊様を主祭神とする二座の御社となり御神慮に御応 え申すことが出来たのであります。
御祭神の御神徳は文武の神として、累代の武家の崇敬が篤く、平清盛、同重盛父 子が熊野参詣の途次、当社に祈願し、和歌及び名馬を奉献したのを始めとして、織 田、豊臣、徳川の三武将も社領の寄進、社殿の造営等を再度にわたって奉仕してお ります。
また、聖武天皇の御宇には、僧行基が勅願を奉じて、この地に勧学院神鳳 寺を建立しましたが、明治維新の神仏分離によって廃寺となりました。


大鳥大社

2014-10-26 16:39:04 | 日記

10月24日、この日は健康診断で鳳へ。
せっかく鳳まで来たので、帰りに大鳥大社に行きました。
11時14分、大鳥大社に到着。

大鳥大社由緒
祭神
日本武尊
大鳥連祖神
例祭
八月十三日
御増祀記念大祭
三月十五日
当社はその起源古く古来大鳥大明神と 称せられ延喜式名神大社であり和泉 国一の宮である。
日本武尊は景行天皇の皇子にして勅 を奉じ熊襲並に東国を平定、帰途伊吹 山の賊を平げたとき病を得て伊勢国 熊褒野に薨じ給うたが御屍は白鳥と 化し御陵を出で大和国琴引原、次に 河内国古市にとび最後に此の地に留り 坐したので社を創建、之が当社の起源と伝える。
又、大鳥連祖神は大中臣と元を一に し祖先は天の岩戸開きに功を立てた 天児屋根命である。
聖武天皇の御世には僧行基が勅願により 神宮寺としてこの地に勧学院神鳳寺を 建立したが明治の神仏分離により廃寺と なり当社は明治四年五月官幣大社に列格。
社殿は大鳥造と称して神社建築史上 貴重な様式を今に伝えている。

蜘蛛窟

2014-10-24 20:46:53 | 日記

蜘蛛窟は蜘蛛族の住処の跡とされてます。
この下に洞窟があって、それをコンクリートで蓋をしてるのかな?
石碑の裏に、皇紀二千六百年 神武天皇聖蹟顕彰会と書かれてました。
蜘蛛屈の正面は山野草植物園になっています。
この植物園にはトリカブトもある様です。
そして裏には高天彦神社と元御神体の山が見えています。

近くの一言主神社にも土蜘蛛塚があります。
高天彦神社も一言主神社も葛城氏の神社です。
言わば聖地です。
その聖地に二つの土蜘蛛の塚があるという事は、土蜘蛛と呼ばれ排除された一族は、葛城氏と同族なのかも知れない。

10月11日の日記はこれで終りです。

鶯宿梅2

2014-10-24 17:19:19 | 日記

今はここまで車で上がれますが、本来はこの狭いあぜ道が参道です。
この先に杉ヒノキの石畳の坂道があります。
今から蜘蛛窟を参ります。
それにしても奥博雄、執念の道って何だろう?
コスモスが満開です。