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武内神社5

2017-07-30 12:02:47 | 日記
歴代の天皇に仕えるほどの長命を保ち、国家に忠誠を筑紫、子孫が繁栄したという点で、古くから理想的な人物として讃えられてきた。
そのため、戦前発行の紙幣には武内宿禰がしばしば図案として用いられた。
その母は紀伊国の名族紀氏一族の娘で彼は紀伊国で誕生したと言われている。
このため、江戸時代に彼の誕生した故地が求められ、享保十六年(1731)にこの井戸が、第七十一代紀伊国造俊範によって、彼の産湯を用いた井戸であると考証された。
その後、武内宿禰の事績にあやかろうとするため、紀州徳川家に子女が生まれたときにはこの井戸の水が産湯として用いられた。
今では長寿の水として親しまれています。

武内神社4

2017-07-30 11:53:03 | 日記
武内宿禰は「古事記」によると、第八代孝元天皇と紀伊国の日前宮を祀る紀伊国造第六代うじ彦の娘山下影媛とのあいだに生まれたという。
なお、「日本書紀」では、第十二代景行天皇が皇族の屋主忍男武雄心命を紀伊国に派遣した際、命と宇治彦の娘・影媛との間に生まれたともいう。その後、武内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の各天皇に仕え、特に神功皇后の朝鮮半島遠征を補佐したと伝えられる。
また、彼は蘇我・葛城・巨勢などの古代豪族の祖先として祀られている。

武内神社3

2017-07-30 11:05:12 | 日記
トレジャーナビによると
現在の和歌山市松原の辺りは、『古事記』や『日本書紀』に登場する武内宿禰の誕生の地といわれています。
安原八幡の中にある武内神社には、武内宿禰の産湯に使われたという井戸が残っています。
武内宿禰は、大和時代の初期に活躍したといわれる伝説の人物で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕え、天皇に次ぐ大きな権力を持った大臣です。
特に仲哀天皇の妻である神功皇后が朝鮮半島へと遠征した際には、軍事を補佐し、大きな功績を残したといわれています。
蘇我・葛城・巨勢・平群・紀などの豪族は、いずれも武内宿禰の子孫とされています。
天皇家に忠誠を尽くし、二百年以上を生きた長寿の人として、多くの人々から崇められる武内宿禰にあやかり、紀州徳川家では代々この井戸の水が産湯として使われたといいます。
井戸は、長寿殿と呼ばれる建物の中にあり、江戸時代の享保年間(1716~1736)から囲いが造られ、保護されているといいます。