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森に移動する。
振り返ると蓬莱山が見える。
ここは阿須賀神社社有地です。
それに古墳の様で、古墳ではなさそうです。
飛鳥行人のくだりがあるが、よく分らない。
検索してみると、新宮市誌でひっかかったが、難解でとても読めない。
他には中国語のサイトには幾つか出ていたが、理解出来ませんでした。
宮井戸遺跡は岩が密集して岩山を形成しており、これを『千引岩』と称している。
この一帯から弥生土器が出土しているという。
弥生時代頃の新宮の海岸線はもっと内陸部にまで及んでいたと推定され、宮井戸遺跡は元々は海に囲まれた小島だったと考えられており、黄泉道守命を祀る宮井戸社がいつの頃からか祀られていたという。
黄泉道守命は黄泉国と葦原中国とを繋ぐ神だという。
古来、熊野を黄泉国と見立てた信仰を今に伝える地である。
黄泉道守命は明治時代に阿須賀神社へ合祀され、現在宮井戸遺跡には地蔵菩薩を祀る祠が立っている。