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宮井戸遺跡

2013-10-30 21:56:04 | 日記

森に移動する。
振り返ると蓬莱山が見える。
ここは阿須賀神社社有地です。
それに古墳の様で、古墳ではなさそうです。
飛鳥行人のくだりがあるが、よく分らない。
検索してみると、新宮市誌でひっかかったが、難解でとても読めない。
他には中国語のサイトには幾つか出ていたが、理解出来ませんでした。

宮井戸遺跡は岩が密集して岩山を形成しており、これを『千引岩』と称している。
この一帯から弥生土器が出土しているという。
弥生時代頃の新宮の海岸線はもっと内陸部にまで及んでいたと推定され、宮井戸遺跡は元々は海に囲まれた小島だったと考えられており、黄泉道守命を祀る宮井戸社がいつの頃からか祀られていたという。
黄泉道守命は黄泉国と葦原中国とを繋ぐ神だという。
古来、熊野を黄泉国と見立てた信仰を今に伝える地である。
黄泉道守命は明治時代に阿須賀神社へ合祀され、現在宮井戸遺跡には地蔵菩薩を祀る祠が立っている。


神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑 秦徐福上陸之地

2013-10-30 21:42:43 | 日記

阿須賀神社の境内に神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑がある。
神社を出て、熊野川の河口へ移動。
すると徐福の上陸地がある。
これを探していたので、今回はかなり満足している。
徐福はここから老若男女3000人を連れ、上陸した事になる。
その先にこんもりした小さな森のような所がある。
神社の方に聞いた所では古墳があるとの事。


阿須賀神社2

2013-10-30 21:21:12 | 日記

阿須賀神社の人に徐福上陸地の場所を聞いた際、色々と話をしてくれました。

阿須賀神社が熊野三山の始まりだとか。
なので阿須賀神社の方が古く、その後に熊野三山が出来たという事。
徐福が3000人の老若男女を引き連れ、蓬莱山の麓に上陸して、そこから弥生時代が始まったという話。
この辺で、まだ住宅が出来てなかった所に、10キロ程の弥生時代の集落跡が出た。
新宮の蓬莱山周辺が弥生時代の始まりである。

徐福は不老不死の妙薬を探しに神倉山に行った。
しかしそこには不老不死の妙薬はなかった。
その後阿須賀神社の場所で天台烏薬を発見。
これの根が不老不死の妙薬である事を発見した。

ある霊感の強い人が阿須賀神社を訪れ、凄い神気である事を言った。
髪の毛がビンビン来るそうだ。
ここはかなりのパワースポットである。


阿須賀神社

2013-10-30 21:09:23 | 日記

帰路の途中、前から気になっていた事を確認する為、13時52分、阿須賀神社に寄る。
どうやらこの近くに徐福の上陸地があるらしい。
それを探しに来た。
ここへは何度も来ているが、上陸地は知らなかった。
手水に蟹がいる。
海が近いからかな?