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二河原辺城跡

2013-05-12 22:59:25 | 日記

以前、4月20日に金剛山下のセトから足谷林道経由で帰った時、偶然発見した森屋観音の看板。
前回は見付けられなかった、というか、見付けていた?多分この石仏がそうなのだろう?
説明版は一切ない。
最後まで責任取って欲しいです。

そしてここは二河原辺城跡?らしい。
その説明版はどこにも一切ない。
今日は千早赤阪工業団地から逆に登る。

ここは二段になっていて、更に上の段は墓地である。
大阪府内が一望出来る。
丁度上赤阪城跡からの景色に似ている。
位置的にも同位置にある。

六地蔵の横に、法界萬霊という石碑がある。
裏を見ると、ナカバヤシ物流センター建設の際に墓地を移設した、ある。
元々は墓地ではなかった様だ。

帰りに土井城跡と楠木邸跡を探したが、この辺?というのは分るのだが、やはり行き着けない。
はっきり言って私有地なのだろうか?
だから看板や道標が立てられないのではないか?
しかし「赤阪城塞群」なる看板を見てしまうと、全て回りたくなるのが人情というものである。
出来れば中途半端な事をせず、全て案内して欲しいと思うのは私だけではない筈である。

この日は12400歩の行程である。


浄心寺城跡(奉建塔)

2013-05-12 22:41:38 | 日記

何度も来ているが、ここが楠公の城跡だったとは今回初めて知った。
例の如く、ここが城跡である説明は一切ない。
と思ったら、奉建塔の根元の説明の銅版に辛うじて「楠公ゆかりの浄心寺塞址」の一行を発見。
楠木党としては、もっと宣伝して欲しいものだ。


吉年城跡(金峰神社)

2013-05-12 20:20:19 | 日記

まずは吉年城跡へ。
千早赤阪村立運動場横から登る。
金峰神社へは今日が初めて。
今までに何回もチャレンジしたが、行き着いたのは今日が初めてだ。
この神社、とても分り難い。
道標も一切ない。
今日は途中から道なき道を通り、山の裏から神社に到着した。
神社の横には三角点があるという情報を仕入れていたので、山のてっぺんを目指したのが良かった。
この神社、金峰神社という名前からも吉野奥の金峯神社と関わりがありそうな気がする。
南北朝絡みなのでしょうね。
「吉野」と「吉年」もなんとなく似てます。

でも社殿は千早城跡の千早神社にそっくり。
伊勢神宮系?

境内横には三角点があり、ここがてっぺんであるという事がわかります。
下りは正規の道を下りるが、狭い道の両サイドがせり上がり、これが城攻め対策の道なのか?
下りてみると、民家の間の狭い道を通り、道路に出る。
以前チャレンジした時は結構良い所まで行った様だが、この道を通るまでには至らなかった様だ。

大楠公の史跡を訪ねて

2013-05-12 20:08:29 | 日記

4月20日に上赤阪城跡の下で見た看板で、この近くに沢山の楠公の史跡がある事が判明。
今日はそれを確かめに歩く事にする。
ただしこの看板は村で唯一ここだけにあるもの。
他では見る事が出来ない。
そして殆どの史跡には道しるべもここがそうであるという説明も存在しない。
とにかく出来るだけ沢山の史跡を探そうと思う。


嶽山城(龍泉寺城)

2013-05-05 21:00:45 | 日記

5月3日に嶽山にある嶽山城跡に行って来ました。
楠木正成の7城の内の一つです。
近所に住んでいながら、最近知りました。
居ても立っても居られず直ぐ確認しに来た次第です。
嶽山は標高278m?260m?案内版が両方あります。
どっちやねん?

場所は嶽山の山頂にあります。
しかも分り難い。
嶽山は車で山頂まで上がれます。
山頂には簡保の宿があります。
嶽山城跡は簡保の宿の裏のテニスコートの更に裏にありました。
ちょっと入り難かったです。
でも見付かって良かった。
納得しました。

嶽山城は龍泉寺城とも言われています。
嶽山の中腹に龍泉寺がある事から付いた様です。

しかしこんな山の上にお城では当時の人達は大変だった事でしょう。
まあ戦争だからそんな事も言ってられないでしょうが。

そしてこの裏側には大阪で唯一の木造五重塔のある目白不動尊願昭寺があります。