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素盞鳴神社(興留)3

2016-05-15 16:50:31 | 日記
狛犬は丹波佐吉の作だそうです。
残念ながらまともに写真は撮れませんでした。
丹波佐吉は、文化13年、朝来郡和田山町竹田に生まれ、幼くして両親を亡くし、製糸業を営んでいた「若松屋」に預けられました。
文政3年、5歳の時、ワタリの石工(旅稼ぎの石工職人)としてこの地を訪れていた初代、難波金兵衛の養子となり、文政5年、丹波大新屋に居をかまえた金兵衛と共に石工の道に精進したのですが、天保8年11月28日、金兵衛に長男義継が誕生した翌年、佐吉23歳の時、金兵衛の反対を押し切り自らワタリの石工となります。
10年後、大阪の「石為」でわらじを脱いでいた佐吉は、同業の間で技比べをすることになり、「石の尺八」を作って見せ、その見事な出来に、時の孝明天皇から「日本一」との賞賛を賜ります。
その後、大和に移った佐吉は3年をかけて奈良県菟田野町平井の、「大師山霊場」を嘉永7年6月に完成。
そして安政3年、金兵衛の死を知って、丹波大新屋を訪れた佐吉は、子供の頃、読み書きを習った上山孝之進の依頼で、自宅、稲荷社の狐像一対を製作、その後、柏原八幡神社の狛犬一対を製作の後、丹波を去り、6年後、再び戻って来た時、その体は死の病に侵されていました。
慶応2年、51歳、死を覚悟した佐吉は一体の不動明王像を完成させると、人知れず丹波の地を去り、その後の行方は定かではありません。

素盞鳴神社(興留)2

2016-05-15 14:56:30 | 日記
石燈籠が沢山あります。
重要文化財 興留 素盞鳴神社
この社の主神は素盞鳴命を祀られ創建由来は不詳であるが、「興留」地名の起こりとされる天智天皇(670年頃)の頃の貴人・興間人王子(後の天武天皇)の宮殿内(興留5丁目1.2.4付近)に祀れれていた神々を遷座されて旧指定村社となっていたのが現在の神社と伝えられています。
社殿は春日造一間社にして桧皮葺・向拝付朱塗で様式上室町末期と推定され中卋社殿の著例として昭和44年3月奈良県指定文化財に認定されています。

素盞鳴神社(興留)

2016-05-14 11:30:58 | 日記
9時58分、素盞鳴神社(興留)に到着。
本殿は春日造一間社の檜皮葺で、建立年代は明らかでないが、様式上室町時代末と推定され、斗栱の形式、蟇股の輪郭、向拝紅梁の反りなど中世末様式を示す。
昭和四十四年三月二十八日県指定文化財になる。
向かって右に天照皇大神・八幡・春日の三境内社がある。