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影向堂

2016-10-02 22:41:58 | 日記
観音さまのお説法やご活躍に不断に協力されている仏さま方を「影向衆」とお呼びし、これらの仏さまをおまつりするお堂。
旧影向堂は、現淡島堂で二天門の脇にあった。
現在のお堂は、平成6年(1994)、浅草寺中興開山慈覚大師円仁さまのご生誕千二百年を記念して建立された。
鉄筋コンクリート寄棟造り、錣屋根本瓦葺。内陣須弥壇中央に聖観世音菩薩、その左右に生れ年(干支)ごとの守り本尊八躰をまつる。
堂内には浅草名所七福神の内の大黒天をお祀りし、また浅草寺の御朱印所も併設されており、ご朱印をお求めになるご信徒の方々も大勢お参りになる。

西仏板碑と三尊名号供養塔

2016-10-02 22:30:32 | 日記
西仏板碑
建立者の西仏については明らかではないが、この板碑は彼が妻子の後世安楽を祈って建立したものと推測される。建立の年代も不詳であるが、鎌倉末から室町初期かと思われる。
上部が破損しているが、製作時には三メートル近くあったものとお漏れる。
寛保二年(一七四二)暴風雨によって倒れ破損、文化十一年(一八一四)に有志が側柱を立てて支えたという。材質は秩父粘板岩(青石)。
現存の板碑の大きさは高さ二一七・九センチメートル、幅四八・〇センチメートル、厚さ四・七センチメートル。
中世の信仰を知るうえでも貴重な遺品であり、かつ巨大板碑の典型例である。

三尊名号供養塔
正面に南無阿弥陀仏、振り分けに観音・勢至両菩薩の名号を刻す。
文政6年(1823)建立。上野屏風坂下の鹿島屋平兵衛の奉献。

石橋

2016-10-02 22:11:18 | 日記

現存する都内最古の石橋(重要美術品)。
1618年(元和4年)に、浅草寺の境内に造営された東照宮の神橋として、徳川家康の娘振姫の婿浅野長晟により寄進されたもの。
東照宮は、1642年(寛永19年)に焼失した後は再建されず、江戸城内の紅葉山に移され、境内には二天門と石橋だけが残されている。

銅造宝篋印塔

2016-10-02 20:55:17 | 日記
宝篋印塔は「宝篋印陀羅尼経」という経典に基づいて造立された塔である。
本塔は江戸時代中期以降に流行した、屋根型の笠をもつ宝篋印塔で、時代性をよく表している。
本宝篋印塔は、高さ約8m。西村和泉守藤原政時が宝暦11年(1762)に鋳造した。
西村和泉守は、代々和泉守を名乗る江戸を代表する鋳物師で、多くの作例を残している。
なかでも本塔は区内に現存する銅造宝篋印塔の中でも最大のもので、近世中期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上でも貴重な遺品の一つである。
また、本塔の造立に際しては、台座に刻まれた銘文から、様々な職種や地域からの寄進が確認でき、浅草寺に対する信仰の広がりが示される。
安政2年(1855)の地震で本塔は被災したが、明治40年(1907)に日露戦争凱旋記念として修復されたもので、区の歴史を知る上でも貴重である。 

阿弥陀如来像

2016-10-02 16:05:54 | 日記
阿弥陀如来さまは、極楽浄土にあって法を説き無量の光明と寿命をもって永遠の生命を与えてくださる仏さま。
この像は唐銅製で、阿弥陀三尊像として元禄六年(一六九三)に千人近い信徒によって建立された。
もとは本堂裏にあったものを、平成六年にこの地に奉安した。
総高七.五メートル。
極楽往生の諸霊の頓証菩提を祈る。
金龍山 浅草寺