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今里杵築神社4

2016-02-28 14:35:54 | 日記
神社の横や裏が池(掘?環濠?)があります。
この辺はため池が沢山あります。

今里の蛇巻
農作物の豊作を祈るとともに、男の子の成人を祝う節句行事である。
毎年六月の第一日曜日(旧暦のときは五月五日の男の節句の日)に、蛇の形をした長さ一八mの蛇綱を、新麦わらで作り、一三才から一五才の男の子が蛇綱の頭を担ぎ、それより年下の男の子と、当屋の男たちが胴を持って、村中の家々を大声で「おめでとう」と言って、祝福して回る。
その道中で、誰彼の区別なく、蛇綱で人を巻き込んだりする。
昭和五十八年に、隣ムラの鍵の蛇巻ともに「記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として、文化庁より指定されている。

今里杵築神社3

2016-02-28 14:01:15 | 日記
鍵の八坂神社と共に蛇巻きの神事が行なわれることで知られています。
創祀などは不明。
江戸時代は牛頭天王社といっていました。
明治42年に字東クノギにあった春日神社を合祀しています。
祭神:須佐男命、天児屋根命
境内社:市杵嶋神社
境内に(融通念仏宗)通法山「正福寺」があります。
本尊:室町時代の阿弥陀如来立像

今里杵築神社

2016-02-28 10:57:19 | 日記
11時10分に八坂神社を発ち、11時16分に杵築神社に到着。
今里の蛇巻き・鍵の蛇巻きに関して田原本町のホームページにこう書かれてある。
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
6月の第1日曜日、今里の杵築神社と鍵の八坂神社では、蛇巻きの行事が行われる。
今里の杵築神社では、午後1時過ぎに中学生以上の男子が麦わらを束ねて、全長18mの蛇を作る。
行事参加者が拝殿でお神酒を飲む間、村の参拝者にはわらの先にくくられた「わかめの味噌煮」が配られる。余れば、観光客にもおすそ分けがある。
甘く美味。
その後、中学生(本来は数えで15から17歳)の男子が蛇頭を抱え、今里の各戸を「おめでとう」と言いながら練り歩く。
広い道に至れば、「それ」との掛け声とともに、蛇体に人を巻き込む。
子供たちの笑い声が上がり、実に楽しい。
蛇は再び杵築神社に戻り、神社南側にある大樹に頭を上に巻き付けられる。(上り龍・昇り龍)
蛇が巻き付けられた大樹の根元には、絵馬や農具のミニチュアが祭られる。
鍵では、午前中八坂神社にて稲わらで蛇をつくる。
午後からは1年の間に鍵大字内で祝い事のあった家々を、蛇を担いで訪ねる。
200キロ近い頭を17歳の少年と当屋が一緒に担ぎ、後ろの綱を参加した全少年が頭の前進を阻むよう引っ張り合いながら道を進んでいく。
最後に、北中学校の前の「はったはん」という場所の大樹の根元に頭がおかれ、胴体が上へと樹に吊るされる。(下り龍・降り龍)
蛇巻きは、その構成員が男子であり、旧暦の5月5日に行われる端午の節句にちなんだ行事である。
また、やがてくる田植え時に雨が降るようにという祈りを含んでいる。

鍵・八坂神社2

2016-02-27 17:16:24 | 日記
ここにも田原本御佛三十三ケ所巡礼があります。
第七番 鍵 ・ 薬師堂
平安時代・後期 地蔵菩薩立像 像高60.5cm
薬師堂の沿革
鍵・八坂神社境内にあり、明治時代初めに八坂神社の旧神宮寺の薬師堂と地蔵堂が在って、この堂はそのどちらかの堂か明らかでないが、地蔵堂とも云い、現在堂内に 平安時代後期の地蔵菩薩立像、江戸時代前期の薬師如来坐像、如来形坐像二体、天部立像三体、十羅刹女立像七体、江戸時代後期の普賢菩薩坐像、佛涅槃図(宝暦二年・1752)が祀られている。

遥拝所があります。
でも方角が変です。
南を向いてます。
普通遥拝所って大体東を向いてるものですよね?
どこを遥拝してるのかな?
それとも移動させたのかな?