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展望台

2014-01-26 10:44:40 | 日記

獅子窟寺駐車場の所に展望台がある。
帰りに少し寄ってみた。
ここからの景色は木々がかぶっていて少し見え難い。

天田神社まで戻り、11時41分に帰途につきました。
けっこう疲れました。
磐船神社の岩窟巡りは春にでもリトライします。
機物神社、百済王神社、百済寺跡も次回に持ち越します。
1月12日の交野巡りはこれで終わります。

王の墓

2014-01-26 10:38:44 | 日記

古い墓地の六地蔵だが、首が無いものが多い。
明治の廃仏毀釈の時に上部が壊されたものらしい。
それで行くと獅子窟寺に行く途中の坂道沿いにあったお地蔵様も廃仏毀釈の運動が起こった時に飛ばされたのだろう。

墓地の少し奥に二基の奇妙な形の墓石がある。
どうやらこのお墓が王の墓である。
亀山上皇とその皇后の墓と伝えられている。
この墓陵について交野市史には、「亀山上皇は疾病をお持ちであったが、熊野に参詣されたとき叔父の静仁法親王にお逢いになり、法親王が祈願されて験のあった獅子窟寺の薬師如来の話をお聞きになったので、交野の私市に行幸になり、獅子窟寺下の行在所に滞在して病の治癒を祈願されたところ、平癒された。
喜ばれた上皇は、荒れていた当寺を再建し寺領を寄進された。
上皇が崩御されたとき(1305)、上皇の徳をしたっていた住民たちが寺領内の百重が原を均して上皇とその后のために2基の宝塔を建てて供養した」(大意)とある。
簡単な竹矢来に囲まれ一段高くなった区画に2基の墓碑が並んでいる。本来は古式の五輪塔かと思われるが、下から2段目の水輪部(丸形)を欠いているので、ずんぐりとうずくまった感じを与える。
百重ガ原陵ともいうが、公式の陵ではなく地元民が祀る私的な墓陵である。


お大師さんの水

2014-01-26 10:19:26 | 日記

獅子窟寺を出て、仁王門の所に戻る。
王の墓とお大師さんの水へ行ける様だ。
少し下りるとお地蔵様と湧き水がある。

弘法の水。
現地の説明版には「誰が言うともなしに、この谷(男石と女石)から出る水を弘法大師の水と言われてきた。」とあった。


獅子窟寺 梵字碑

2014-01-26 10:04:52 | 日記

獅子窟の横に建つ梵字碑。
この碑は、現地の説明板によると『胎蔵界大日如来の真言で、5つの文字は宇宙の要素(地、水、火、風、空)を表わしている』とのことで、蓮華座の下には『永禄六年(1563年)』の年号と一結衆11名の名が刻まれてあり、逆修供養のため建立された。
胎蔵界大日如来の真言「アビラウンケン」を蓮華座の上に表わしたもので宇宙を現している。
我々は、宇宙の中で生を受けている。
その宇宙そのものが大日如来である。
つまり、大日如来の力で生きさせてもらっているのである。
その大日如来の真言が「アビラウンケン」であるという。