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平群神社

2015-08-15 10:27:02 | 日記

10時42分、平群神社に到着。

御祭神大山衹神は山野を司る神で、平郡氏の祖武内宿禰が神宮皇后と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願しこの地に祀ったと伝う。
のち五穀豊穣と、武運長久、家内安全の守護神として信仰をあつめ今日に至る。
延喜式神名帳に「平群神社五座(並大、月並、新嘗)」とあり神宮寺としての龍華山西宮密寺があった古い社格の神社である。
一、秋季大祭 十月十五日
延喜式式内社 平群神社

西宮古墳2

2015-08-14 21:38:52 | 日記

10時16分、西宮古墳に到着。
ここは石室の中に入れます。

廿日山丘陵の南側斜面、中段に築造された方墳。
一辺約36mあり、二段のテラスを配して三段に築成されている。
墳丘の左右と後方の三方に堀割を廻らし、周囲の地形を大きく取り込んだ墓域を有する。
墳丘は全面に貼石が施され、傾斜部分(35度)は扁平な石を、テラス部分はやや丸みのある石を用いている。
墳丘の南側、下段テラス面にあわせて精美な切石の横穴式石室を設け、羨道側石と天井石の前面を墳丘勾配に合わせて加工している。
この状況から、石室の開口部を墳丘封土に埋め込むのではなく、扉状の施設によって閉塞し、石室を墳丘外に明示していたことが確認できる。
羨道の幅に合わせて前面テラスを0.2m下げて墓道としている。
石室は基本的に一石で積まれ、玄室は奥壁、側石、天井石がそれぞれ一枚石で積み木のように組まれており、目地には漆喰が詰められている。
石室の床面には近世に礫石経(法華経)が敷かれているが、この下には90cm角ぐらいの花崗岩切石を敷きつめているらしい。
玄門部に竜山石製の刳抜式家形石棺身部が盗難を免れて残り、外面上下に帯状の突帯を設けている。
羨門部で須恵器坏蓋、高坏片が出土し、7世紀中葉から後半の築造と考えられている。