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垂仁天皇陵の濠の中に田道間守の墓がある。
11代垂仁天皇の命により、非時香菓を求めて常世の国に渡った。
10年かかって葉附きの枝と果実附きの枝を日本に持ち帰ってきたが、垂仁天皇はすでに亡くなっていた。
タヂマモリは半分を垂仁天皇の皇后に献上し、残りを垂仁天皇の御陵に捧げ、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったという。
タヂマモリが持ち帰った「非時の香菓」は、記紀では現在の橘のこととしている。
「タチバナ」という名前自体、タヂマバナ(田道間花)が転じたものとする説もある。
当時「菓」といえば果物のことであったが、この説話からタヂマモリは菓子の神「菓祖」として信仰されている。
果物や薬草を求めて異界に行く話は世界各地に伝わるもので、この説話は中国の神仙譚の影響を受けているという説もある。
例えば秦の徐福が蓬莱に不老不死の薬を求めに行く話とは類似する点が多い。
因みにこの北西に蓬莱という地名がある。
新宮の徐福の蓬莱山とかぶるものがあります。