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奉建塔の桜

2013-04-02 21:08:47 | 日記

奉建塔の桜は満開です。
菜の花も満開です。
ユキヤナギも満開です。
でもスイセンはほぼ終わりです。
ちょっと残念です。

この塔は、徳島県の画家の方が発起人となり、昭和15年に楠公600年祭記念として建てられたものです。
塔の高さ43尺は湊川で戦死した時の楠木正成の年齢である43才を表わしています。
また、刻まれた文字「非理法権天」は「非は道理に勝たず、道理があっても法則には勝てない。
法がきめられていても権力には勝てない。その権力も天命には勝てない」という意味があり、正成が旗印として用いたと言われています。



太平記絵詞

2013-04-02 20:56:23 | 日記

いきいきサロンくすのきの駐車場に太平記絵詞があります。
楠木正成は河内の悪党。
悪党と言っても悪い連中という訳ではなく、まあ豪族ですね。
ただし武士という訳ではなく、武士でもあり、商人でもあり、農民でもある。
そして地域の民からは慕われていた。
しかし今のままでは悪党は生きて行けない。
そんなジレンマの中、後醍醐天皇に皇子、護良親王と共に叛乱を起こします。
天皇が叛乱という事事態がおかしいのです。
もはや天皇は力を持っていず、鎌倉幕府や六波羅の天下だったのです。
正成は悪党らしい戦いで、少ない手勢で奇策を駆使し、幕府や六波羅を相手に連戦連勝を続けたのです。


嫁号の車検の代車、NBOX

2013-04-02 20:34:18 | 日記

3月31日は嫁号の車検。
代車はNBOX。
今回は嫁号のタイヤ交換も頼んだので1台分の労力は減ったのでラッキーです。
せっかくの代車なので、試乗を堪能。
まずは河内長野から五条に抜ける310号線の峠を走る。
80タイヤの影響か、ワインディングはしんどい。
しかし、嫌なロールは全くないので許容範囲。
そして走りは良い。
急な登りも全く問題なし。
これは僕の主観ですが1500CCなみの走りをする。
ホンダの軽初のツインカム。
新エンジンはかなり良い。
これならターボは必要ない。
CVTも良い。
ギヤの繋ぎがスムーズで登りのワインディングもストレスは全くない。
しかもVSAが標準装備です。
五条から御所への農道を走る。
直線の走りも良い。

更に付け加えるなら、この車、走り出したと同時に、自動でドアロックがかかります。
そして信号待ちではアイドリングストップ。
しかもアクセルを踏んだら一瞬でエンジンがかかり、直ぐに走り出します。
坂道でも下がりません。
後ろのシートはメチャメチャ広い。
余裕で足が組めます。
スライドドアはかなり広く開きます。
左のミラー下の前後の足元が左ミラーで確認出来ます。
最早軽四の装備ではありません。
と良い事ずくめの褒め殺しです。

しかし良い事ばかりではありません。
若干気に入らない所もあります。
まずアイドリングストップ。
これってエコかもしれませんが、バッテリーはアイドリング対応のちょっと高めのものになります。
何がエコか分りません。
そして後ろの座席は乗り心地が余り良くはありません。
トランクも狭いです。
後部シートのスペースを確保する為に犠牲にした様です。
まあこれは考え方ですから居住スペースを重視したのでしょう。
荷物を積むのなら後部シートを倒せば良いのです。
エンジン音も高いです。
ただしそれはアクセルを踏んだ時だけ。
アクセルを戻すとアイドリングストップしてなくてもエンジンがかかってないみたいに静かです。
後ろのシートは1段階しかリクライニングせず、背中のシートを下げると座面のシートが上がります。
そしてスライドはしません。
とクレーマーの様な事を言ってますが、実はかなり気に入ってます。
良い車でした。

滝谷不動

2013-04-02 20:23:46 | 日記

滝谷不動の駐車場に車を置いたので、参拝して帰る。
車のお払い、30分置きにやっているが、いつも沢山の車が受けている。
超人気です。
私も歴代の自家用車は全てここでお払いを受けました。

寺伝によれば、821年に空海が龍泉寺に参籠したときに、国家安泰、万民化益を願い、一刀三礼で不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子の像を刻み、それら3体の仏像を祀るために諸堂が造営されたことを起源とするという。
造営当初は今より、約1km離れた獄山の中腹にあり、広壮優美な堂塔・伽藍が整えられていたという。
南北朝時代になると楠木正成が嶽山に築城し、守護仏として瀧谷不動明王寺の不動明王を崇敬した。
1360年に足利義詮が獄山・金胎寺城を攻め、そのときの兵火で諸堂が焼失した。
伝承によれば、このときに不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子は滝の下に移されて焼失を免れた。
その後、盲目の老僧が現れて、瀧谷不動明王寺の不動明王の霊験を人々に説いて、二間四面の小堂を建立して礼拝していたが、まもなく老僧は晴眼になり、姿を消したという。
この盲目の老僧は、弘法大師の化身であるとも、また、弘法大師が作った不動明王が霊験あらたかであることを教えたと伝えられている。
この説話により、眼病平癒を願う参詣者が多い。
1462年に畠山政長と畠山義就との間で獄山において合戦があり、そのときの兵火で再び焼失。
慶長年間(1596年~1615年)に三度目の再興が行われて、現在に至っている。

嶽山の中腹と言うと、現在目白不動尊がある。
何か関係があるのかな?
この目白不動、願昭寺と言い、最近木造五重塔を新築しました。
ちょっと話題になりました。
大阪で唯一の木造五重塔ですから。
新築ですけど。