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バラ園

2013-04-15 21:14:43 | 日記

中之島には薔薇園がある。
ここの薔薇園はかなり良いです。
まあ今は何もないのですが。

大阪市地域女性団体協議会?
昭和56年に設置されたものを平成21年の中之島公園の再整備の際にリニューアルされたものらしい。

こんなニュースを発見。

大阪市北部方面公園事務所は2日、大阪市北区の中之島公園の再整備工事で、一時的に解体し現場で保管していたブロンズ製の時計塔1基と照明塔3基の一部が紛失したと発表した。
盗難にあった可能性が高いとして、天満署に被害届を出す方針。
同事務所によると、時計塔などは、昭和56年のバラ園開園を記念して女性団体から寄贈されるなどしたもので、設置費用は4基で約3000万円。
再整備事業のため解体し、工事現場横のグラウンドに野積みして保管していたが、9月26日から10月1日にかけ、時計塔の上部や照明塔の部品の一部がなくなっていたという。
工事現場や保管場所はフェンスや河川で仕切られ、関係者以外は入れないようになっていたが、時計塔は全体で700キロあり、盗まれた部品の重さからみても、車や船などを使った可能性があるという。

難波橋

2013-04-15 21:03:44 | 日記

大阪は八百や橋と言われる位橋が沢山あります。
その分川や堀も沢山あるのです。

難波橋(なにわばし)は、大阪市の大川に架かる橋。
浪速の名橋50選選定橋。
大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。

大阪市中央区北浜~北区西天満の堺筋にかかる、全長189.7m、幅21.8mの橋である。
中之島を挟んで土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。
橋の中央で下流側に中之島通を分岐させ、上流側に中之島公園へ降りる階段が設けられている。

難波橋辺りの最初の橋は、元をたどると704年ごろに行基によって架けられたといわれている。
天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、最も西(下流)に位置する。
「浪華橋」とも表記され、明治末期まで堺筋の一筋西の難波橋筋に架かっており、橋の長さが108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。
1661年(寛文元年)天神橋とともに幕府が管理する公儀橋とされた。

1766年(明和3年)、山崎ノ鼻と呼ばれる中之島東端の新地が難波橋の近くまで埋立造成され、難波橋からの眺めは絶景と言われた。
1876年(明治9年)に鉄橋に架け替えられたが、このときに中之島が上流へ拡張されたため、以降の難波橋は中之島を跨ぐかたちとなっている。
なお、1891年(明治24年)に山崎ノ鼻を含む東端は中之島公園となった。

1912年(明治45年)に大阪市電が天神橋筋六丁目まで延伸される際、市電敷設の反対運動が起こったため、一筋東の堺筋に新橋が架けられた。
パリのセーヌ川に架かるヌフ橋とアレクサンドル3世橋を参考にして製作されたと言われるこの新橋が現在の難波橋である。

当初は難波橋筋に架かる旧橋と区別するため、堺筋に架かる新橋は大川橋とも呼ばれた。
新橋は当初中之島を跨いでいなかったが、1921年(大正10年)以降、大川の浚渫で出た土砂埋め立てによりさらに上流へ拡張された中之島公園を跨ぐようになった。
中之島通敷設の際に旧橋は撤去され、新橋は名実共に難波橋となった。

老朽化が目立ち始めた1975年(昭和50年)に大阪市によって大改修が施され、現在に至る。

橋の南詰めおよび北詰めには、最上級の黒雲母花崗岩を素材にした獅子像(=ライオンの石像、天岡均一作)が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。
このライオンは天王寺動物園の当時非常に珍しかったライオンがモデルと言われている。
像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており、狛犬(狛犬はライオンがモデルといわれる)の形式を採った獅子=ライオンであると言える。
これについて、江戸時代この地に白玉稲荷神社(豊国神社)が祀られていたためであるとの説もあるが、直接の関係はないとされる。
相場師として成功した松井伊助の和歌山の別荘六三園には松井が複製した像があることから、松井の寄付によるとの説もあるが、子孫はこれを否定している。

中之島

2013-04-15 20:55:24 | 日記

4月5日に会社の行事の花見に行って来ました。
目的地は天満橋の大川である。
時間があるので淀屋橋から歩いてみる。
ここ大阪中ノ島周辺は結構面白い。
話題の大阪市役所に中央公会堂。

大正7年(1918年)に建てられた堂々たる赤レンガの建物は、ネオ・ルネッサンス建築の傑作にあげられ、中之島のシンボルとして親しまれています。

そして通称ライオン橋。
このライオン、ちゃんと二頭居て、阿形と吽形になっています。