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極楽浄土の庭2

2013-04-18 21:34:37 | 日記

ここにも亀が居た。

湯屋方丈である。
元和九年(1623)徳川秀忠公による再建です。
方丈とは住職の居室をさし、天海大僧正が四天王寺執務の際、在住されていました。
現在は、毎年五月に厳修される授戒灌頂会の道場としても使用されています。


極楽浄土の庭

2013-04-18 21:29:52 | 日記

桜は散ってしまっているが、桜の絨毯を楽しむ事が出来る。
さすがにこの庭には客はいないか、と思ったら5人の客が居た。
3人は中国人、2人は白人系の外国人でした。
日本人は一人も居ませんでした。


四天王寺 五智光院 極楽浄土の庭

2013-04-18 21:24:09 | 日記

せっかく来たので極楽浄土の庭に行ってみた。
だが前日の嵐で桜は全て散ってしまっていた。
入口のおばさんには桜の絨毯を楽しんで下さいと言われた。
上手い事を言う。

五智光院
大日如来を本尊とする五智如来を安置し、授戒灌頂会を修する道場で、灌頂堂ともいわれます。
また、徳川家代々の位牌を納めており、御霊舎(みたまや)ともいわれました。
五智如来とは、密教で五智を五仏に配すことをいいます。
五智とは、法界の自性を明確にする智、鏡の如く法界の万象を顕現する智、諸法の平等を具現する智、諸法を正当に追求する智、自他の作すべきことを成就せしめる智、の意味です。

そういえば、門に三つ葉の葵の紋章があった。

四天王寺 南大門の熊野権現礼拝石

2013-04-18 21:19:32 | 日記

平安時代から鎌倉、室町、江戸中期まで京都の皇族、貴族を中心に紀州の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参拝(熊野詣で)が盛んに行われた。
京都から淀川を船で下り大阪天満橋辺りの八軒家浜に到着、そこからは途中に九十九の王子神社でお祓いや休憩しながら、往復約25日にわたる長い旅である。
春、夏は毒蛇や毒虫が多いため秋から冬にかけての厳しい時期に行われた苦行、信仰の旅であったらしい。
熊野詣での人々は、八軒家浜から南に向かい熊野街道を辿り、王子神社ではないが古刹、四天王寺にも立ち寄り参拝した。
四天王寺の南大門のすぐ内側にある熊野権現礼拝石の上から熊野に向って旅の無事を祈り、熊野までいけない人はここから熊野の神に加護を願い遥拝した。 

四天王寺 太子殿2

2013-04-18 21:13:02 | 日記

太子奥殿へ向う途中の中庭に遺跡がある。
昔はここにも何か建っていたのでしょう。
そして奥殿の地下には沢山の太子観音像が安置されてました。

南大門の向かいに中門があります。
中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。
東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士で、大仏師松久朋琳・宗琳両師の作であります。