「文脈棚」とは、2012年の「新語流行語」としてイミダスの「時事用語辞典」に掲載された新語だ。
『ジャンル、形式にとらわれず、本のテーマや内容によって並べられた書店の陳列方法。書店の棚は従来、単行本、文庫、マンガなど、ジャンルごとに区別されたり、出版社、作家別に並べられたりすることが多かった。それに対し「文脈棚」の場合には、テーマに共通性があれば文庫とマンガが隣り合って配置されることもある。来客に他ジャンルの本との意外な出会いを提供することで店舗の個性を打ち出す試みとして、(中略)注目されている。』
僕の書斎は30年ほど前に作ったものだが、それに近い形式になっている。というか、客に売るためでも他者に見せるためでもなく、自分の使い勝手でそうなったものだから、かなり濃密だ。
関連する本、ビデオ、DVD、写真集、画集などをひと塊にして置き、調べ物やまとめ読みする際に壁の三方をうろうろすることをなくしているし、次に買い求めなければならないものも一目瞭然だ。よくコレクターは棚に有るものより無いもの、欠けているものに目が行く、と言うが、そのとおりだと思う。
一度だけ、自分の書斎の一部によく似た陳列を見たことがある。それは三井ホームのモデルハウスの書斎だった。スタインベックやF・スコット・フィッツジェラルドの単行本の隣に「ティファニーで朝食を」のビデオケースや「華麗なるギャツビー」の1シーンを入れたフォトスタンドが置かれていた。胸がざわざわした。
こんなにも書斎じまいに苦戦しているのは、長い時間を掛けて足で集めた一点一点を関連付けて塊にしてしまったからかもしれない。「文脈棚」という言葉から、そんな風に思えてくる。
例外もある。岩波文庫は赤帯(外国文学)、緑帯(日本近現代文学)ともに、目録順にびっしり揃えている。これはこれで、バラすことができなくなっている、、。
初めてのパリ旅行で泊まったホテルは、セーヌ川にかかるビル・アケイム橋近くのオテル・ニッコー・ド・パリ(日航パリホテル)だった。
たまたまだが、「太陽がいっぱい」の続編にあたるパトリシア・ハイスミスの小説「贋作」をヴィム・ベンダースが映画化した「アメリカの友人」に登場する。
設計は故黒川紀章大先生だ。
カーテンを開けると、セーヌ川を挟んだ対岸に巨大な円形の建物がそびえている。
あれがゴダールの「アルファヴィル」の舞台となったラジオ・フランス(国営ラジオ局)か。
訳もなく高揚してきた僕はひとり薄暮の街に出た。
少し歩くと、小さな書店があった。
面白そうな表紙の本が並んでいたが、当然中身はフランス語で、セルジュ・ゲンズブールの上下2巻の歌詞集だけ買って出ようとした僕は、出口近くに置かれた大判の本に目を奪われた。
「ローラ殺人事件」(1944年)のヒロイン、ジーン・ティアニーのフィルモグラフィー(作品解説書)だった。
まだインターネットは普及しておらず、もちろん、アマゾンもなかった。こういった本に出くわすのは、まさに運だと言ってよかった。
特に、ジーン・ティアニーは日本未公開の出演作が多く、80年代半ばに突如再評価のブームが起こったエルンスト・ルビッチ監督の「天国は待ってくれる」(1943年)や日本未公開だったのがやはり突然劇場公開されたジョン・フォードの「タバコ・ロード」(1941年)、あとは「地獄への逆襲」(1940年、主演ヘンリー・フォンダ)、「剃刀の刃」(1946年、タイロン・パワー)、「幽霊と未亡人」(1947年、レックス・ハリソン)、「街の野獣」(1950年、リチャード・ウイドマーク。デ・ニーロ主演でリメイクされている)といった、名優の相手役としての出演作がちらほらと観れる程度だった。
それがこのフィルモグラフィーによって彼女のキャリアの全体像を俯瞰することが可能になったのだから、本当に嬉しかった。このあとどれほど役に立ったことか。
時は流れ、現在、毎日弱々しくため息をつきながら書斎の処分を進めているのだが、たぶんこの本は最後の一握りにまで残るのだろうな。
「アルファヴィル」(1965年)
1988年公開時のパンフレット(日比谷シャンテ)
南部のプア・ホワイトの娘役。
連休中は古いハリウッド映画を何本か観た。
まとめて観ると改めて女優男優の着こなしや身のこなしの優雅さ・端正さに感心させられた。また、ち密に作り込んだセットやライティングなどにも目が行った。
40年代に量産されたフィルム・ノワールの代表作「ローラ殺人事件」(1944年)のテレビ版リメイク(1955年)という珍しいものも観た。
このあと1961年には西ドイツ(当時)でヒルデガード・ネフ主演のやはりテレビ映画が作られているが、こちらはあまりに現代風で、途中で観るのをあきらめてしまった。
55年のリメイク版は、オリジナルでは84分かけて描いたストーリーを43分の枠に収めているのだが、結構元の場面通りの作りで駆け足でもなく、違和感もなく、うまくまとまっていた。
ではどこを切ったのかと思い巡らすと、著名なコラムニストのライデカーが一介のOLだったローラ(44年版ではジーン・ティアニー)を発掘し、広告業界での後ろ盾となって引き立て、公私ともに一流の女性へと育てたものの、女たらしのヒモ男、シェルビー(ヴィンセント・プライス)に割り込まれて年甲斐のない嫉妬に燃えている、この物語において重要な要素のシーンがすっぽり割愛されていた。ガラティアに打ち捨てられた老ピグマリオンの悲しみを。
オリジナルでは回想形式で描かれる、このライデカーとローラの来し方が一番面白いのだが。
1955年版(リメイク)
1944年版劇場予告編
左からライデカー、ローラ、シェルビー、ヒモのパトロネス(飼い主)は
デーム・ジュディス・アンダーソン(「レベッカ」のダンヴァース夫人)だ。
ぽらんデイサービス玄関前の園庭に植えた記念樹も、やっと毎年咲くようになりました。
誰に似たのか、立ち姿がとても慎ましい、遅咲きの桜です。
4月20日
4月24日
NPO法人なごやかの事務局員が困惑顔で報告にやって来た。
さきほど、石巻市の〇〇様と名乗る方から、そちらの理事長さんは映画に詳しい井浦さんという方ですか、という電話がありました。それで私は、映画に詳しいかどうかはわかりませんが、確かに当法人の理事長は井浦と申します、と答えたところ、相手は石巻市で小さな映画館を兼ねたホールを運営しており、今度そこで「太陽がいっぱい」を上映する映画祭を企画している、ついてはひとづてにフランス映画にお詳しいと聞いている井浦さんにトークゲストとして上映後に15分ほどお話ししていただけないか、というお話がありました。どのようにお返事したらよろしいでしょう?
確かに、その井浦は僕のことだと思う。どうやら指名手配がかかったようだね。人前に出るのはいやだけど、求められたらそれに応えるのが僕のモットーでもあるので、お受けする、当日は万障繰り合わせて参加します、とお返事してください。
でも、なにを話そう?
パリでアラン・ドロンと握手した一生の自慢話?
マリー・ラフォレのレコード・コレクションのこと?
原作には、ニューヨーク出身でプリンストン大卒=アイビー・リーガーのフィリップ(ディッキー)・グリーンリーフの行きつけの店がブルックス・ブラザーズだという記述があるって豆知識?
フィリップのレジメンタルストライプ・ジャケットを羽織って自己陶酔のトム(ドロン)
マリー・ラフォレの娘は映画監督になり、孫は女優になった。驚きだ。