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ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

「こころ」

2019年03月18日 | 日記

 高校二年生の娘は現在、現代国語の授業で漱石の「こころ」を学んでいるのだそうだ。

40年たっても変わらないんだね、と大げさに驚いてみせてからふと思った、僕も同じ高校へ通ったのだが、当時は男子校で、そのあと女子校と合併して現在は男女共学になっている。

ねえ、ミオちゃん、これは決して女性蔑視で尋ねるのではないのだけれど、「こころ」はいわゆる、男子の求道が一つのテーマだよね、あれ、女の子は感覚的に分かるのかな?

「わかるよ。」

娘はとにかく言葉が短い。

けれども、口数の少ない女性は思いが深い、というのが僕の個人的な見解なので、そのままにしてきた。

「そうか。パパの時の先公は東大卒でね、東京生まれなのだけど、ゲバ学生だったために宮城県の教員試験しか受からなくて、こっちまで流れてきたって言ってたよ。

東大を出たひとに漱石を習ったのはいい思い出だね。

でも、夏休みに小説を書かされてみんな大変な思いをしてたっけ。」

「ふーん、今、授業でね、別のひと(登場人物)の視点から『こころ』の書き換えをしてるんだ。」

「へええ、奥さんやお嬢さんの?」

「そう。」

「クローディアスの日記」じゃない!と言うと、彼女は首をかしげた。

シェークスピアの「ハムレット」を、主人公ハムレットに父の先王を殺したと疑われている伯父クローディアスの視点から書き換えた志賀直哉の小説だよ、との説明は、、しなかった。

来年に迫った大学受験には必要ないだろうから。

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千本ノック

2019年03月15日 | シェイクスピア

 施設の駐車場で車止めにつまづいて、盛大に転んでしまった。

メガネがどこかへ飛んで行き、周囲を見回そうにもぼやけてよく見えない。

ともあれ、誰が見ているかわからないので早く起き上がらないと。

「大丈夫?」

後ろから声がした。

ざしき童子だ。

僕が困った時に現れるのはありがたいけれど、よりによってこんな状況を目撃されるなんて、とさすがに少しいまいましく思えた。

僕はやけになり、アスファルトの上にごろんと横になって大声を上げた。

どうにもこうにも、うまく行かなくて、いやになった。

もう、全部放り出したい。

見上げると、青い空の隅に彼女の顔があった。

スカートからはすらりと長い足が伸びている。

「そんな投げやりなことを言わないの。

それに、どうせ叫ぶなら、好きなシェイクスピアでも吟じたら?」

それはいい、と思った。

「馬をくれ!国をやる!」(リチャード三世)

「もう一度!」

「馬をくれ!国をやる!」

「次!」

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ!」(ハムレット)

「次!」

「マクベスは眠りを殺した!」

「もっと!」

「落ちめになったと悟るのは、自分で落ちたなと感ずるより早く、他人の目がそれと教えてくれるのだ!」(トロイラスとクレシダ)

「そのとおりね!」

「『今が最悪』と言える間は、最悪ではない!」(リア王)

「ホント、そのとおり!」

「お気をつけなさい、将軍、嫉妬というやつに。

こいつは緑色の目をした怪物で、人の心を餌食とし、それをもてあそぶのです!」(オセロー)

涙と鼻水と、降ってきた自分のつばでひどく汚れた顔をハンカチで拭くと、僕はゆっくり転がって、額を彼女の靴のつま先に載せた。

「―われわれはかつて真夜中の鐘を聞いたものですな、シャロー君、、、。」(ヘンリー四世第二部)

くすくすと笑い声が頭上から聞こえた。

「落ち着いた?」

「、、、ええ。でも、『弱き者よ、汝の名は女なり』って言うけれど、違いますね。くやしいので、このまま上を向こうかな。」

キャッと声を上げてざしき童子は飛びのき、僕は額を地面に打ち付けるはめになった。 

 映画「オーソン・ウエルズのフォルスタッフ」(1966年)より

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I am your singer

2019年03月12日 | Fab4

 以前紹介した「ラブ・イズ・ストレンジ」と同じく、ポール・マッカートニーが1971年に結成したウイングスのデビュー・アルバム「ワイルド・ライフ」の収録曲。

歌詞もメロディもとてもチャーミングで、そのひっそりとしたたたずまいに魅了される可憐なラブソングだ。

 

(ポール) きみは僕の愛

       きみは消え去らない僕の歌

       きみは僕の歌で

       僕はきみのための歌い手だ

 

(リンダ)  あなたは私のかけがえのないひと

       あなたは私だけのメロディ

       あなたは私の歌

       私はあなたのための歌い手よ

 

いつか私たちが一緒に歌ったら

二人して羽ばたき 飛び立つだろう

だから僕はきみのためにラブソングを歌う

 

僕の歌は歌い継がれる

日が暮れてもハーモニーは消え去らない

僕はきみの歌い手

だから僕はきみのためにラブソングを歌う

 

I am your singer

 

 You are my love,

 You are my song, linger on,

 You are my song,

 I am your singer.

 

 You are my one,

 You are my own melody,

 You are my song,

 I am your singer.

 

 Someday when we're singing

 We will fly away,

 Going winging. 

 Sing, singing my love song to you.

 

 My song is sung,

 When day is done harmonies will linger on,

 I am your singer,

 I am your singer,

 Singing my love song to you.

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こころばえ

2019年03月10日 | 珠玉

 こころばえ、という美しい言葉がある。「心映え」、あるいは「こころ延へ」とも書く古語で、「竹取物語」や「源氏物語」に登場する。                      ひとであれば気立て、ものには風情、といった意味で使われる。

 

「かぐや姫のいはく、『月の都の人にて、父母あり。片時の間とて、かの国よりまうで来しかども、 かくこの国にはあまたの年を経ぬるになむありける。 かの国の父母のこともおぼえず、ここには、かく久しく遊びきこえて、ならひたてまつれり。 いみじからむ心地もせず。悲しくのみある。 されど、おのが心ならず、まかりなむとする。』と言ひて、もろともにいみじう泣く。

  使はるる人々も、年ごろならひて、立ち別れなむことを、心ばへなどあてやかにうつくしかりつることを見ならひて、 恋しからむことの堪へがたく、湯水飲まれず、同じ心に嘆かしがりけり。

訳「かぐや姫の言うことには、『月の都には父母もおります。ほんのわずかの間というので、あの月世界からやって来たのですが、このように、この国には多くの年を過ごしてしまったのでございます。あの月世界の父母のこともなつかしくは思い出されません。この国には、こんなに長く逗留させていただいて、お二人にもなじみ申しあげております。帰ることでうれしいという気持ちも起こりません。かえって悲しいばかりでございます。けれども私は心ならずも、月の都へ帰ろうとするのです。』と言って、翁たちといっしょにひどく泣く。

 使用人たちも、長年一緒にいて親しんだ姫の気立てが優雅で愛らしかったことを見なれており、別れたあとはさぞ恋しいだろうと思うと、それが耐えられそうになく、湯水も喉を通らないありさまで、翁たちと同じ気持ちで嘆き悲しんだ。

 

 こころばえがいいことは、何より優れた長所だけれど、別れる時にみなが苦しむことも、日本最古の物語がすでに示している。

 

 

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ゴルフボール

2019年03月08日 | なごみ

 大震災から3日目の、避難先での職員たちの夕食は、ゴルフボール大のおにぎり一個だった。

想定以上の数の避難者によって備蓄していた食料は早くも底をついてしまった。

こんなことが現実にあるのか、と考えながら、おにぎりのサイズと状況をなかなか受け入れることができず手が止まっていたら、それ食べたいなあ、との利用者様の無邪気な声が後ろからして我に返った。

どうぞどうぞと半分に割り、二人の方に手渡して、僕は指に残ったご飯粒を口に入れた。

 

 小学3年の時に仙台空襲を体験した母は、あんな死ぬ思いをしたのだから自分はどんなことでもできる、と時々豪語していた。

 今は僕もそうだ。

利用者様と職員たちに寒い思いやひもじい思いをさせないようにとそればかり考え、奔走していた時のことを思い出せば、なんだってできるはずだ。

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