若いころ、Kは裕福な三姉妹の家に出入りしていた時期があった。
姉妹の父親は大手家電メーカーの子会社の社長にまで登りつめた方で、叩き上げの苦労人だけに、かつての自分と同じ山出しの貧乏学生・平サラリーマンだったKを他の男の子たちと差別することなく可愛がった。
姉妹たちは全員日本舞踊の名取で、銀座和光や歌舞伎座周辺をテリトリーにしていた。
発表会ともなると、Kもよく荷物持ちに駆り出されたものだった。
和装の彼女たちが三人揃った場面に出くわすたび、Kは言った、
「みなさんは一人足りない『細雪』ですね。」
父親は満足げに目を細めた。
戦前の関西の旧家の四姉妹の日常を優雅な筆致で描いた谷崎潤一郎の「細雪」を、Kは高校二年の頃に読み、その直後に1959年製作の大映版映画化作品をテレビで観ていた。
そしてこの姉妹たちといる今の自分が、登場人物の誰に当てはまるのか、ぼんやり考えることもあった。(Kは末娘の友人だった。)
東北の片田舎の高校から東京の大学へそれぞれ進学したKの四人のクラスメートはたまたま全員長男だったのだが、全員東京でマスオさんになった。
最後の一人の結婚式の前日、姉妹たちの母親へそのことを苦笑交じりに話すと、ねえ、Kくん、三人のうちどれでもいいからもらってくれないかな、みなはねっ返りだけど、あなたの話すことなら聞くと思うだけどな、と真顔で言われたものの、とんでもありません、僕にはまったく分不相応ですし、この安月給ではみなさんの生活を維持できません、と丁重に断わった。
今考えると、まだ腹が据わっていなかったというか、覚悟がなかったのかもしれない。
それからまもなく、Kは家庭の事情で東京を引き払い、一家とも少しずつ疎遠になって行った。
それがある日、書店で高校二年生の息子の分の支払いも一緒に済ませようとしたKは、差し出された本が「細雪」の文庫本三冊だったので驚き、一体、柄にもなくどうしたのだ、と尋ねた。
クラスの女の子に勧められたんだ。
―そうか。やっぱり、いつの時代も、大切なことはすべて女性が教えてくれるのだな。