「入院していた友人が発作を起こしてICUへ移送されたとの連絡をもらい、僕はセンダード市の病院まで車を飛ばした。たまたま午後の職員が少ない時間だったのが幸いしたのか、止められることもなくICU専用の控室まで入ることができた。
友人の会社の社員たちはそれぞれ忙しく連絡業務に追われており、あとから着いた僕がひとり留守番のようになっていた。
病状と治療の進展について、説明がないか、じりじりと待ち続けていると突然、バ―ンとドアが開いた。地元選出の代議士だった。
あれ、井浦さんじゃない、ほかの社員たちは?
現在これこれこうなっています、先生は東京からいらしたのですね?
うん、さっき国会が終わったので新幹線とタクシーを乗り継いで戻ってきた。昨晩もね、ここに泊って朝、上京したんだ。ほら、彼は天涯孤独だろ、こんな時くらいオレがついていてやらないとさ。
先生に付き添われて、彼は幸せですね。先生がテレビに映ると、必ず嬉しそうにツッコミを入れてましたから。
まもなく僕は病院を後にした。代議士はこのまま控室で明日の衆議院本会議の下準備をするというので、邪魔をしてはと思い。
結局、友人は十年におよんだ苦しい闘病生活ののちに亡くなった。
I理事長、今日も先生はテレビに出てましたよ、誇らしいですね!」
イメージ(画像と本文は直接関係ありません)
決裁印をもらおうとNPO法人なごやか理事長の執務室に入ると、机に座った彼は一枚のハガキを斜めに眺めながらニヤニヤしていた。
どうしたのですか、と尋ねると理事長はそのハガキを私に差し出した。
転勤して行った若い営業マンが新任地への着任の挨拶をくれてね、その内容が嬉しかったものだから。僕は(東日本大震災でとんでもない目に遭っているので)社交辞令はなしですよ、と常々言っていたのだけれど、どうやらこのハガキもそのようだよ。
『何から何までわが子のようにお世話していただきありがとうございました。理事長様の経営力には感心させられることばかりで、お会いできて本当に、本当に良かったです。』
私は思わず吹き出しそうになった。確かに、社交辞令なしだ。
「これには前段があってね、離任の挨拶に来た際に、同行してきた上司へ言ったんだ、この方があまりに若いので、どのように接しようか、考えた末に、いっそのこと娘婿と思って丁寧に扱おうと。
それが上司にウケて、何度もヒジでつんつん突つかれていた。
ところがそのあと、別れの挨拶ももう済ませた転勤の当日、玄関チャイムが鳴るので出てみたら汗だくの彼が立っていてね、転勤前のノルマが達成できなくて、恥を忍んで理事長にお願いに上がりました、と。」
「ああ、いいですよ、と僕は名前を書き、実印を押した。
転勤して行く、いわばもう何もメリットがない私に、申し訳ありません、と頭を下げるので、いえいえ、私の願いは、困った時に真っ先に頭に思い浮かぶひとになりたい、ですから。それに、年を取ったので、見返りなど要らなくなりました。いや、若いころから求めていないかもしれません。」
そう言って、今度は本当に別れた。
「強いて言えば、本気の見返りは、本気が欲しいかな。」
私は内心ため息をついた、それがあなたと付き合うひとたちには一番大変だと思うのですが!
企業広告用のイラストをまたプロの先生に描いていただきました。
子供の頃、初めて亀島に渡って山頂から太平洋を眺めたら、水平線が緩く弧を描いていて、やはり地球は丸いのだ(?)と感心したものでした。
「はじめまして。
ただいま司会より紹介がありました、社会福祉法人千優会理事長の井浦と申します。
けせもい市内でぽらん、という名称の事業所をいくつか運営しています。
みなさんはぽらん、という名前は聞いたことがおありでしょうか?
そう、そうです、ぽらんと名前が入った車が毎日たくさん走っていますよね、ありがとうございます。
ぽらんとは、宮沢賢治の詩の中に登場する、架空の広場の名前です。
一説には、小岩井農場をモデルにしていると言われています。
私は平成17年3月に本吉町で初めてグループホームぽらんを開設して以来、そんな賑わいのある、地域の方々が気安く集える場としてのぽらんをあちこちに置いてきました。
けせもいぽらん、室根ぽらん、千厩ぽらん。
東日本大震災では二つのホームとデイサービスが流され、利用者様と職員を抱えて苦しい避難生活を送りましたが、くじけることなくやって来れたのは、それでもなお、ぽらんがいいのだ、ぽらんが好きなのだ、と利用者様やご家族様から言っていただけたからだと思っています。
当施設にしても、医療法人北海道会様からある日突然、千優会にぜひ引き受けて欲しいのだ、との申し出があり、それを意気に感じて、こうしてぽらんが亀島までやってまいりました。
とはいえ、よくニュースで老舗デパートや鉄道が惜しまれつつ閉店したり廃止される映像を目にすると思います。
島内の主要な介護サービス事業所である当施設がそうならないよう、もちろん私も努力いたしますが、ぜひ皆様には、これからぽらんのサービスを積極的に使っていただきたい、と本日はお願いしてまいります。また、それにより、皆様となじみの関係にある職員たちの雇用も維持されます。どうぞよろしくお願いします。
むすびに、この事業譲受が無事終わり、今日の良き日を迎えられたことにつきまして、ご支援を賜りました菅原けせもい市長様へ心より感謝申し上げながら、私の挨拶を終えさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。」
「けせもい福祉サービス法人組合の井浦でございます。
僭越ではございますが、ご指名によりひとこと閉会の挨拶を述べさせていただきます。
まずはじめに、みなさまそれぞれに年度末のご多用の中、ご来臨いただきまして大変ありがとうございました。
おかげさまでこのようにみなで親しく顔を合わせての総会が久しぶりに、無事開催されましたこと、大変嬉しく思っています。
当協議会は市内73団体で構成され、当市全域をくまなくカバーするものとなっていますが、県内を見渡してもこういった大規模かつ実務的な組織を持つ自治体はけせもい市だけだと、内心誇らしく感じています。
これも、つねづね福祉介護を重視し、また多様性に対して寛容であれと、さらに最近では、各種女性委員を増やしましょう、と発信し続けている菅原市政だからこそ、実現されたことだと考えてもいます。
このことにつきましては市当局に感謝申し上げますと同時に、ここにいるみながそれぞれの立場で当市と市民のために汗をかいて行くことを、当職は構成団体を代表して、この場で改めてお誓いいたします。
むすびに、今回の総会開催についてご尽力いただいた担当課の市地域包括ケア推進課M所長様はじめ職員の皆様に心より感謝申し上げながら、私の挨拶を終えさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。」
「市民ケーン」(1941年)より。何かを書くとき、必ずこのシーンが頭に浮かぶ。
『弊社は全ての真実を素早く、平等に、楽しく伝え、いかなる権力にも加担しない。市民および人間としての権利のために、私は戦う。
署名 C・F・ケーン』